チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Remember what I told you; Andante, very slowly!/ジョーン・フォンテーン女史の死にあたって」

2013年12月26日 18時09分03秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
去る15日に、英国人から米国人になったオスカー女優、
Joan de Beauvoir de Havilland
(ジョウン・ダ・ボヴワル・ダ・ハヴィランド)、いわゆる
Joan Fontaine(ジョウン・フォンテイン、1917-2013)女史が、
かつてクリント・イーストウッドも市長を務めたカリフォルニアの
カーメル(バイ・ダ・スィー)市の自宅で就寝中、
自然に心臓が止まって96年の生涯を終えた。
その本名から判るように、「風と共に去りぬ」のメラニー役、
Olivia de Havilland(オリヴィア・ダ・ハヴィランド、1916-)女史は
実姉である。ただし、映画界で超有名な
犬猿の仲でありつづけた。ケンブリッジ出の父親が
東京帝大のお雇い外人英語教授だったため、ともに
東京で生まれ、幼少期を現在スウェーデン大使館となってる
土地にあった邸宅で過ごした。フォンテイン女史はのちにも、
離婚して日本人家政婦と暮らしてる父がいる東京に戻り、
聖心女子学院と東京のアメリカン・スクールに通った。

本名のde Beauvoirはあのフランスの女流作家と同じ、
いわゆるドゥ・ボーヴォワールである。
ハヴィランド家は現在は英国王室属領となってる
ガーンズィー島出身である。イギリス海峡においてむしろ
フランスに近い位置にあり、実際、ノルマンディー公国の領土だった。
それがいわゆるノルマン・コンクェストで英国に帰属したのである。ちなみに、
この島は19世紀半ばにフランスの作家ヴィクトル・ユゴが
ナポレオン3世から逃れて"亡命"してた地である。それはさておき、
ジョウンの芸名であるフォンテインは、姉とかぶるために、やはり女優だった
母親が名乗らせなかったという噺もある。事実、
事実上離婚状態だった母のもとを離れて
父のいる日本に行ったのは妹ジョウンだけである。ともあれ、
そのフォンテインという名は、母親が再婚した、サンノゼの
ヘイル・ブラザーズ百貨店の共同経営者だった
ジョージ・ミラン・フォンテインの名である。ところで、
犬猿の仲で長寿まで競う形だった姉妹だったが、
父親も95歳、母親も88歳という長寿家系である。

さて、
ジョウン・フォンテイン女史といえば、
「レベッカ」、アカデミー主演女優賞を獲得した「断崖」、「ジェイン・エア」、
などをあげるのが普通かもしれない。が、
30歳を過ぎてからのB級映画(1950年制作)、
"September Affair(セプテンバー・アフェア=九月の情事。邦題=旅愁)"
が私はもっとも好きである。
フォンテイン女史はクラスィカル音楽のピアニストを演じてる。
音楽担当はフォンテイン女史がビング・クロスビーと共演した
「皇帝円舞曲」のときと同様にヴィクター・ヤングである。
妻子ある男性、デイヴィド役Joseph Cotten(ジョウセフ・カトゥン、1905-1994)、
いわゆるジョセフ・コットンの妻役には、後年(1989年)、
「ドライヴィング・ミス・デイズィー」で歴代最高齢のアカデミー主演女優賞に輝く
Jessica Tandy(ジェスィカ・タンディ、1909-1994)女史が、
薄倖の女性を演らせたら右に出る者なしな
マリア・シェルのような風貌で演じてる。

映画はライト兄弟のおかげで容易になった移動手段、
飛行機で隣席になったコットンとフォンテイン女史が搭乗した
ローマ発NY便が燃料ポンプの不具合で
ナーポリに緊急着陸したところから始まる。で、
修理を待つ間、二人はナーポリ湾の景観麗しいリストランテで食事。
戦死した米兵が置いてったレコードに聴き入る。
竹内まりあ女史ならぬクルト・ヴァイル作曲の"September Song"である。
イタリアだからどうせ修理は遅くなると思いきや、
予定どおりに離陸されてしまい、結局、
二人で本格的にナーポリやカプリ島を見物するのである。が、
乗るはずだった便が墜落して二人は死んだことにされてた。
そこで、別の人生をやりなおそうという、いかにも
安直な筋立てである。そして、二人は
フィレンツェに瞬間移動。まあ、
ナーポリとフィレンツェという"観光地"を巡る
名所巡り映画みたいな低級映画である。が、
だからこそ私のようなミーハーには向いてるのである。
フィレンツェのリストランテで二人はナーポリのを懐かしがる。
ピアノが置いてあったので、コットンはフォンテイン女史に
"September Song"を弾いてくれと言う。すると、
フォンテイン女史演じるマニーナのピアノに乗せて、
たまたま店にいたトリエステ駐屯の米兵が歌い出す。
結局はコットンは妻に見つかり、二人は米国に帰る。が、
NYカーネギー・ホールでのコンサートの後、フォンテイン女史は
次の公演先のフィラデルフィアへは行かず、
身を引いてラガーディアから南米へと旅立つ。
ジョセフ・コットンのエンディングはかくしてまたもや
女性が遠ざってくのである。

姉のオリヴィアもそうだが、この姉妹は
とても端正な顔立ちをしてる。知的でもある。が、
男の本能を喚起させる魅力というものではない。
その色気のなさがまたいいのである。
この映画の中でピアニスト役のフォンテイン女史が
コンサートで弾くのがラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」である。が、
マリアがアドヴァイスしたようには、ラフマニノフは遅く弾いてはならない。
映画の終わり近くでそのエンディング部分が演奏される。
(フォンテイン女史の死を悼み、
ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」第3楽章のエンディング部分を
再現してみました。
https://soundcloud.com/kamomenoiwao-1/rachmaninov-piano-concerto-2 )
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