チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「シューベルト『Der Lindenbaum(菩提樹)』歌詞篇/フィッシャー=ディースカウの死にあたって(2-1)」

2012年05月24日 18時08分06秒 | toneナリノ曲ハヨク歌曲ウ歌謡曲ダ

シューベルト 菩提樹 歌詞 和訳


Dietrich Fischer-Dieskau(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、1925-2012)が、
5月18日に、いわゆるバイエルン州シュタルンベルク湖畔のベルクの別荘で亡くなった。
フィッシャー=ディースカウといえばいろいろとすばらしい歌唱を残したが、
なんといってもシューバートである。季節はずれだろうが、
"Winterreise(ヴィンターライセ=冬の旅、D911)"である。なかでも
……連作歌曲だから単独に取り出すのは間違ってるとか言っても……
"Der Lindenbaum(デア・リンデンバウム=西洋菩提樹)"である。とりわけ、
1971年グラモフォンでの録音である。
この録音を聴くと涙が溢れる。
ムーアのpfもお見事なのである。
ブレンデルのセンスのかけらもなくかつ下手なのとは
雲泥の差である。とはいえ、
ナット・キング・コウルとダンディ坂野の顔を即座に判別できない
拙脳なる私が感じることにすぎない。

詩はシューバートとほぼ同時代の詩人
Wilhelm Mueller(ヴィルヘルム・ミュラー、1794-1827)
によるものである。比較的若くして死んだが、
親は金持ちで自身も妻子に恵まれてたので、
詩の内容は絵空事にすぎない。また、
オスマン・トルコという"異教徒"に支配されてるギリシャ独立運動の
シンパであったように、選民思想に根ざしてる。ちなみに、
顔も覚えてないくらいに同人を失った倅で英国に帰化した
Friedrich Max Muller(フリートリヒ・マクス・ミュラー、1823-1900)は、
人種差別、アーリアン思想の持ち主だった。ただし、
白人がインドに起源を持つということから、
インド哲学や仏教に関心を持ち、その研究者となった。
父親のヴィルヘルムに根づいてたことかもしれない。

敬愛するベートーヴェンが死に、いよいよ
自らも梅毒による死が現実のものとなってきたシューバートが、
死の前年に作曲した「冬の旅」は、全24曲から成る。
失恋した若者の絶望で貫かれ、
死に場所さがしの旅に出る、というものである。
未だ結婚もできず子もいない中で着実に
死が間近に迫ってきたシューバートには、
まさしく切実な内容である。子を、遺伝子を残せなかった
シューバートにとって、音楽創作がその補償行為である。
いたく創作意欲をかきたてられたことだろう。この第5曲が
いわゆる「菩提樹」である。その短い生涯に試行錯誤でコロコロと
作風を変遷してたシューバートがショートカットで辿りついた
頂点である。が、日本でも、100年ほど前の
近藤朔風の意図的な内容変更"訳詩"によって、
菩提樹を愛でる"心温まる"歌と巷では混同されてきた。

"泉に沿いて 繁る菩提樹
慕い行きては 美(ゆか)し夢見つ
幹には彫(え)りぬ 愛の言葉
うれし悲しに 訪(と)いしそのかげ

今日もよぎりぬ 暗き小夜中
真闇に立ちて 眼とずれば
枝はそよぎて 語るごとし
「来よいとし侶(とも) ここに幸あり」

面をかすめて 吹く風寒く
笠は飛べども 棄てて急ぎぬ
はるか離(さか)りて 佇まえば
なおもきこゆる 「ここに幸あり」
はるか離りて 佇まえば
なおも聞こゆる 「ここに幸あり」
「ここに幸あり」"

いっぽう、十数年前にはこんな
"口語訳詩"なるものも商品として巷に出回った。

"泉のほとり そよぐ菩提樹
木洩れ陽あびて 夢を紡ぐ
愛の言葉を 木に刻んで
歓び嘆き 語りに集う

今は真夜中 木を横切り
闇に瞳を 閉じて急ぐ
ざわめく枝が ぼくを呼んで
「おいでここには 憩いがある」

逆らう風が 帽子飛ばし
顔に吹いても 振り向かない
遠く離れた 場所にいても
ざわめく枝が 耳打ちする
「おいでここには 憩いがある」
「心安らぐ 憩いがある」
「憩いがある」"

が、こちらも原詩に近づけるつもりは毛頭ないようで、
"はっぴいえんど"調である。
あくまでも"歌詞"なので字数に限りはある。がしかし、
これでは詩歌中の時間差の意味が支離滅裂である。また、
木に刻んで、とか、木を横切り、ぼくを呼んで、とか、
その語彙の貧弱さもこの訳詞を無感動なものにしてる。
明らかな誤解が誤訳となってる箇所も目に余る。
"語りに集う"のでは過去のことではないし、かつ、
この語り手単独だけのことでなくなる。
第二連も現在のことのように誤訳してる。それから、
"闇に瞳を閉じて急ぐ"なんていう芸当は
この語り手にできたとは到底思えない。これは、
第三連についても同様で、"現在形"で進める。が、
"現在"、菩提樹のそばにいる、
と語った舌の根の乾かぬうちに、
"遠く離れた場所にいても、ざわめく枝が耳打ちする"
というのである。これではオカルトになってしまう。だからか、
"目を閉じて急ぐ"必要があった、ということのようだ。
この"訳詩"の価値が
いかほどのものかは、お笑い芸人トリオ「ネプチューン」の
原田泰造と作詞の大家松本隆の顔の違いを
瞬時には指摘できない拙脳なる私には解らない。
菩提樹の木漏れ日の下で寝ころんでそうな発想である。ともあれ、
ミュラーの原詩(括弧書きはシューバートが繰り返した箇所)はこうである。

"Am Brunnen vor dem Tore, da steht ein Lindenbaum,
ich traeumt' in seinem Schatten so manchen suessen Traum;
ich schnitt in seine Rinde so manches liebe Wort;
es zog in Freud' und Leide zu ihm mich immer fort.

Ich musst' auch heute wandern vorbei in tiefer Nacht,
da hab ich noch im Dunkel die Augen zugemacht,
und seine Zweige rauschten, als riefen sie mir zu:
Komm her zu mir Geselle, hier find'st du deine Ruh'!.

Die kalten Winde bliesen mir grad' ins Angesicht,
der Hut flog mir vom Kopfe, ich wendete mich nicht.
Nun bin ich manche Stunde entfernt von jenem Ort,
und immer hoer' ich's rauschen. "Du faendest Ruhe dort!"
(Nun bin ich manche Stunde entfernt von jenem Ort,
und immer hoer' ich's rauschen. "Du faendest Ruhe dort!"
"Du faendest Ruhe dort!"")

(拙カタカナ発音)
(アム・ブル(ン)ネン・フォル・デム・トーレ、 ダー・シュティート・アイン・リンデンバオム。
イッヒ・トロイムト・イン・ザイネム・シャッテン、 ゾー・マンヒェン・ズューセン・トラオム。
イッヒ・シュニット・イン・ザイネ・リンデ、 ゾー・マンヒェス・リーベ・ヴォルト、
エス・ツォーク・イン・フロイト・オント・ライデ、 ツ・イーム・ミッヒ・イ(ン)メル・フォルト。

イッヒ・モスト・アオフ・ホイテ・ヴァンデルン、 フォルヴァイ・イン・ティーフェル・ナッハト、
ダー・ハープ・イッヒ・ノッホ・イム・ドンケル、 ディ・アオゲン・ツーゲマッハト、
オント・ザイネ・ツヴァイゲ・ラオシュテン、 アルス・リーフェン・ズィー・ミール・ツー、
コム・ヒール・ツ・ミール・ゲゼレ、 ヒール・フィンスト・ドゥ・ダイネ・ルー!

ディ・カルテン・ヴィンデ・ブリーゼン、 ミール・グラート・インス・アンゲズィッヒト、
デル・ホート・フローク・ミール・フォム・コップフェ、 イッヒ・ヴェンデテ・ミッヒ・ニッヒト。
ヌーン・ビン・イッヒ・マンヒェ・シュトンデ、 エントフェルント・フォン・イーネム・オルト、
オント・イ(ン)メル・ヘール・イッヒス・ラオシェン。 「ドゥ・フェンデスト・ルーエ・ドルト!」)

(拙逐語訳)
「市壁門の前の井戸に接して一本の西洋菩提樹が立ってる。
私はその木陰で数えきれないほどあの子と結ばれ愛しあう夢を見た。
私はその樹皮に数えきれないほど愛の言葉を刻んだ。
浮かれているときも沈んでいるときもいつもそこに行ってしまった。

私は今日もまたそこを通り過ぎて真夜中に旅立たなければならなかった。
そこで、暗闇の中だというのにさらに私は目を閉じた。
すると小枝どうしが触れあって私に呼びかけるかのように、ざわめいた。
こっちにおいで、修業を終えたお若いの。ここには安息があるぞ、と。

冷たい風が正面から私の顔に吹きつけた。
帽子が私の頭から(うしろに)飛んでった。(でも、)私は後戻りしなかった。
(そして)今、私はあの町から何時間も離れたところまで来てしまった。
(でも)ずっとあの木がざわめくのが私には聞こえてくる。
「こっちがお前の安息の地なんだ」と。

Brunnen=(この詩での意味は泉ではなく)井戸、水飲み場
    地下に湧いてる泉もしくは地下水を人工的に地表まで汲み上げた設備
    泉はむしろQuelle(クヴェレ)
Lindenbaum=ライム・ツリー、西洋菩提樹(インド菩提樹とは別物)
      冬に落葉した木は細くて錯綜した小枝が重なり合ってるので、
      風が吹くとさやぐのである。
      ゲルマン民族の間では、女性の美、幸福、愛、結婚の象徴
ich traeumt'←ich traeumte(traeumte=traeumenの単数一人称過去形)
suessen Traum=直訳は「甘い夢」だが、子供の無邪気な楽しい夢ではない。
       男が女性とイタシテルところを想像して寝ることである。
Freud'←Freude(喜び、幸福)
Ich musst'←Ich musste(musste=muessenの単数一人称過去形)
      =私は~なければならなかった
Ruh'←Ruhe(静寂、平穏、休息)
grad'←grade←gerade=角度を表す副詞(空間的に「まっすぐ、正面から」、
           時間的に「ちょうど、ぴったり」        
ich hoer'←ich hoere=私は聞く(私には聞こえる、聞こえてくる)
ich's←ich es
*immer hoer' ich's rauschen.
←immer hoere ich es rauschen.
←ich hoere immer es rauschen.

"Brunnen"が「泉」というのはまったく間違いというわけではない。が、
少なくともこの詩の意味では、城壁都市の門前に備えてある
「井戸、人馬の水飲み場」である。
ヴィーンに旅行する日本人ならほとんどが訪れる
Schloss Schoenbrunn(シュロス・シェーンブルン=シェーンブルン宮殿)のbrunnである。
神聖ローマ皇帝Matthias(マティアス、1557-1619)が狩猟のおりに
「美しき泉」を見つけたという伝説がある。おそらく、
狩猟なので馬に跨ってたことだろう。
茶色を表すBrun(ブルーン)は茶色い馬をも意味した。そこで、
駿馬と美しき泉をひっかけて、
"Der Schoner Brunnen(デア・シェーナー・ブルネン=美しき井戸)"
と命名したのだと推測する。それはともあれ、
その名がここに建てられた宮殿の名称になったのである。
この伝説のBrunnenは現在もローマの廃墟の近くに存在する。

さて、
この"Der Lindenbaum"という詩を、さらにくだいた拙大意で表すと、

1)私が修業を積んだ町の城壁門の前の水飲み場に
 一本のセイヨウボダイジュが植わってる(事実の著述)。

2)私はこの町での修業時代にその木の下で数々の思い出を作った(過去)。
 あの子への熱い思いもすべてその木の樹皮に刻んだのだった。
 あの子にも脈があるんじゃないかと思い込んで有頂天になったときも、
 やっぱり私などに気はなかったのかと落胆したときも、
 なぜかこの木に足が向いてしまうのだった。

3)この町での修業課程が終わって、次の修業地へ移るために、
 今夜じゅうにこの町を出なければならなかった(近い過去、数時間前)。
 暗闇なので木の姿は何も見えなかったが、その上さらに目を閉じると、
 視覚では認識できなかった木から、
 「つらい修業なんてもうやめちゃいなよ。ユー、ここで死んじゃいなよ」
 とジャーニーに出る私に向かって
 小枝が風で擦れあう音がそうささやいてるかのように聞こえてきた。
 冷たい風が私の顔の正面から吹いてきて、
 大事な帽子がうしろに吹き飛んでしまったが、
 もうここを発つと決意したからには、
 そんなことで振り返って戻るなんてことはできないので、
 そのまま捨て置いて私は旅立った。

4)(それから数時間後)
 あのセイヨウボダイジュが植わってる場所(修業を積んだ町)から
 もうずいぶん離れてしまった(現在)
 (距離の隔たりを時間で表現してる)
 ……ちなみに、日本語の「た」という助動詞は「過去時制ではない」……
 それなのに、いまだに私にはあの小枝のささやきが聞こえてくる。
 あの子への思いがかなわなかった以上、
 これから先、どんなに修業を積んで立派な職人になっても
 どれほどの意義があるというのか?
 思い出深いあそこで人生を諦めて潔く死ぬべきだったのかもしれない。

ということなのである。
「人間到る処青山有り」とはまったく違う心境である。
自分にとってかけがいのない女性に出会ったが
その相手にとっては自分はそのような存在ではなかった、
という絶望に彩られた、命がかりな内容の詩なのである。それを、
シューバートやミュラーやドイツやオーストリアやドイツ語やセイヨウボダイジュ
などのことをよく知りもしないで商品にして
人様から対価を得てぬくぬくと生活するなど、買った人々に対し
無礼極まりない。
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2 コメント

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「菩提樹」の本当の意味がわかりました。 (堀井秀雄)
2013-10-22 23:23:12
私は最近「冬の旅」を繰り返し聴いていますが、あなたが指摘されるように、この歌曲は絶望と諦念に満ちています。でも聴いていると、自分自身の心の悲しみが慰められる気がします。哀しみの心を癒すのは、哀しい調べなのでしょう。「菩提樹」の本当の歌詞を教えていただき、ありがとうございます。従来の日本語の歌詞は、「冬の旅」の深く哀しい調べにそぐわない、と違和感を持っていました。その疑問が解けた気がします。ありがとうございました。
返信する
菩提と煩悩、ボディと本能 (passionbbb)
2013-10-23 23:14:12
堀井秀雄さん、コメント、ありがとうございます。

近藤朔風の日本語詞は、シューベルトの原曲の"Der Lindenbaum(デァ・リンデンバオム)"ではなく、
「ローレライ」のズィルヒャーが主要三和音だけの単調な"民謡ふう"にしたものに附けられた詞です。
しかし、その「民謡調化」の際にも原歌詞は替えられてないので、
ドイツ語に堪能だった近藤が「明るい民謡」などと混同して誤訳するはずもなく、
明治政府の指導による「音楽学習用」として意図的に"平和幸福調"で書かれたものです。

暑い日に冷たい物を飲んで涼を取る人もいれば、
反対に、熱い飲み物のほうが涼むという人もいます。
物事は、一律に決まるものでも、何かしらの原理があまねく当てはまるものでもなく、
北風が強くて外套が吹っ飛んでしまうのも、太陽の日が暑くて脱ぐのも、結果は同じであり、
哀しみの心を癒すのに、脳天気な調べが向く人もいます。
悲しみも喜びも、痛みも快感も、じつは表裏一体で、
モノアミン神経伝達物質が脳内に満たされれば気持ちがカラっと晴れて躁となり、
そうしたセロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンなどが減れば気がふさいでシクシックと鬱になります。

ヒトというものは本来的に悲しいものだということを私は認知してます。
ヒトは必ず死ぬからです。あの世や天国(したがって地獄も)などはありません。
私はいわゆるシューベルトの「冬の旅(ディ・ヴィンターライセ)」が好きですが、来世(ライセ)などないことは承知してます。
ヒトが生を受けて生きてく以上、
つらいこと、悲しいこと、惨めなこと、恥ずかしいこと、悔しいことばかりなのが普通です。
どうせいずれ死ぬ定めなのですから、生きてくうえでそのつど思い悩むのは無駄です。
生きることに意義があるとすれば、
子を作り育てるか、家族・親類を含め他人のために犠牲なるか、
の二つ以外には基本的にはありません。
それ以外のことは瑣末なことで、また、あれこれ考えを巡らしてもどうなるというものでもありません。
生存競争という使命を背負わされてるヒトは所詮、本能に根ざした嗜好には抗しがたいものです。
脳内のモノアミン神経伝達物質がドバッと出ることをすればいいのです。
その人そのひとの好みに合ったものなら、音楽鑑賞に限らず、
セックス、読書、映画鑑賞、旅行(美しい風景を浴びる)・転地、達成感のある仕事、美食、睡眠、など
(深酒と喫煙とドラッグ類とゲーム関係とペット溺愛と過激なスポーツとギャンブルには問題があるので×ですが)、
さまざまです。が、その中でも私はとりわけ、
チャイコフスキー、ベートーヴェン、ブルックナー、シューベルトの4人の音楽に強烈に惹かれるのです。
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