チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「One-Take Temple(一発okのテンプルちゃん)/シャーリー・テンプル女史の死にあたって」

2014年02月12日 18時35分57秒 | 寝苦リジェ夜はネマキで観るキネマ
日本が五輪でメダルを取れないようにと、
執拗にプレッシャーを与え続けるチャイナ・コリア贔屓の国賊マスコミにつぶされる選手を尻目に、
そんな自国を貶すマスコミなど屁でもないタイプの選手層が多い
スノボ(ハーフパイプ)では中学生と高校生が銀・銅両メダルを獲得した。先日の
都知事選は「在日外国人参政権付与推進派」の候補が勝ったが、
30代、20代と投票者が若い世代になるほど田母神候補の得票率が高かった、
と報道されてた。ネット時代にあっては、
「真実」が庶民に知れわたることのほうが多くなってくる、
という証左である。

10日に、
1930年代米国映画の名子役であり、
20世紀フォックス社の救いの神であり、
長じて外交官になり、
南アフリカのアパルトヘイト完全撤廃の功労者の一人でもあった、
Shirley Temple(シャーリー・テンプル、1928-2014)女史が、
カリフォーニア州のサン・フランスィスコウ半島にあるウッドサイドの自宅で死んだ。
ウッドサイドは故スティーヴ・ジョブズの家もあったように、
西海岸の超高級住宅地として知られる。

録画物で「小公女」と「青い鳥」くらいしか私は観たことがなく、
ロリ嫌いなのであまり魅力的とも思わなかったが、
母がリアル・タイムでよく観てたらしい。
同世代の母はテンプルちゃんに似ているとよく言われた、
としょっちゅう自慢してた。そして、
親からはテンプルちゃんが映画で着てた衣裳と同じデザイン・柄の
ワンピースを買ってもらったり、親の知り合いから
テンプルちゃん人形をもらったけど私は人形って嫌いなのよね、
ともさんざん聞かされて私は育った。

愛想もいいが、IQも非常に高い少女だったらしい。
台本は他の役の分もすべて暗記し、時間厳守で、
本番はいつでも一発でokだったという。そこから、
"One-Take Temple"という褒め言葉のニックネイムをつけられた。
ワプスの金持ちに生まれ、自身も
芦田愛菜嬢など霞むほどの莫大なギャラを稼ぎ、
さらに大富豪の息子と再婚し、自身も
外交官、実業家として活躍したアメリカ人女性である。
ヴェトナム戦争撤退や児ポ規制やアパルトヘイト撤廃に
おおきくはたらきかけた。また、
子役の頃は鬼畜フランクリン・ロウズヴェルトとその妻エリナーと親しく、
長じてからは共和党派となってアイゼンハウアーと懇意にした。
ニクスンが中共と国交樹立した路線に乗っかり、親中共となった。

大恐慌からスター俳優の事故死で経営危機だった
フォックス・フィルム社にシャーリー嬢は莫大な興行収益をもたらした。
20世紀映画社との合併で存続できた20世紀フォックスは、
神様仏様テンプル様とばかりに、その黄金像を本社前に建てた。
本社ビルが取り壊されてその像も取り去られたが、2002年に、
フォックス・スタジオの一角に、シャーリー・テンプル・モニュメントが建てられた。
ウソツキジデス史観の新聞社とそれに入れ知恵された
美容整形依存症候群民の虚偽の強制連行強制労働の
いもしなかった売春少女像や、ウソツキオモニの像でもない。
1934年、6歳のテンプル嬢主演の
"Baby Take a Bow(ベイビー・テイカ・バウ=シャーリーちゃん、ご挨拶なさい)"
で、父親役のジェイムズ・ダンと歌って踊りおわったときの、
実物大像である。とはいえ、映画にはない、
左手でスカートを広げて右手の人差し指であごを指してるポウズィングである。
エラも張ってなければ頬骨も突出してない。
ウソツキはドロボウの始まり、とはよく言ったものである。
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