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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月27日・レントゲン的

2024-03-27 | 科学

3月27日は、ディスクジョッキー、小林克也が生まれた(1941年)だが、レントゲンの誕生日でもある。

ヴィルヘルム・コンラート・レントゲンは、1845年、ドイツのレンネップで生まれた。父親は織物を扱う商人で裕福な家庭だった。父親はドイツ人だったが、母親はネーデルランド(オランダ)人で、ヴィルヘルムが3歳のとき、一家はネーデルランドへ引っ越した。
ヴィルヘルムはユトレヒトの工業学校を出た後、スイスのチューリッヒ工科大学へ進学。24歳のとき、気体の熱的性質に関する研究で博士号を得た。
25歳のとき、ドイツのストラスブール大学の助手となり、30歳で教授となって、ドイツやフランスの各地の大学で教授職を歴任しながら物理学の研究を続け、マクスウェルの電磁理論の実験による証明や、レントゲン電流の発見など、数々の業績をあげた。
50歳のとき、レントゲンは真空放電管の実験をしていて、放電管が黒い紙でおおわれているにもかかわらず、下の机にあった蛍光紙に光の線が現れたのに気づいた。なにか目には見えない光が黒い紙を突き抜けて漏れているのだった。
彼は工夫を重ねて実験を積み重ね、その目に見えない光の性質を追いつめていった。
その光は、千ページの本を軽々と通過し、ガラスを突き抜け、蛍光物質を発光させ、熱を発生させない、鉛を通過できない性質の光だった。
レントゲンはこの光を、数学で未知の数を表す「X」から「X線」と名付け、妻の結婚指輪をはめた手のレントゲン写真を撮影し、それを付して論文を発表した。
手の骨が結婚指輪をはめているレントゲン写真は一目瞭然の大ニュースで、たちまち世界を駆けめぐり、医学に利用されだした。彼はこの功績により、56歳のとき、ノーベル物理学賞を受賞した。
レントゲンは、自分の発見に関して特許をとらず、もらったノーベル賞の賞金も気前よく大学に全額寄付した。そのため、第一次大戦でドイツが敗戦国となり、巻き起こったはげしいインフレーションのため、彼は破産してしまった。
レントゲンはヴァイルハイムで晩年をすごした後、腸のガンのため、1923年2月に没した。77歳だった。

わたしたち現代人はみんなレントゲンの恩恵をこうむっている。

ラジウムの発見で有名なキュリー夫人は、放射能から肉体を守ることに比較的無頓着で、彼女が書いた論文のなかには、放射能を発していて、読む際には防護服が必要なものもあるそうだが、その点、レントゲンは防護対策をしっかりとっていて、しかも、それほど長い期間、X線の研究にたずさわっていなかった。それで、レントゲンの腸ガンは、実験の放射能が原因ではないだろうと推測されている。

現代では、最先端科学が細分化され、論文や業績の真偽、評価がわかりにくい。レントゲンほどわかりやすい功績をあげた偉人はすくない。誰もが一目瞭然で納得する圧倒的成果のことを「レントゲン的」と呼んだらいい。
(2024年3月27日)



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