2月11日は、神武天皇が即位した日を新暦に換算して決めた旧「紀元節」を、戦後に名称変更して「建国記念の日」とした祝日だが、この日は発明王、トーマス・エジソンの誕生日でもある。
日本人にとって、エジソン、イコール「えらい人」なのかもしれない。
「偉人」といったとき、真っ先に浮かぶ名前は、野口英世であり、キュリー夫人であり、ヘレン・ケラーであり、やっぱりこのエジソンということになる。世界偉人全集にとりあげられる常連、しかもそのなかの筆頭、それがエジソンである。
トーマス・アルバ・エジソンは、1847年、米国オハイオ州ミランで生まれた。父親はオランダ系で、カナダで政府刷新を狙った反乱に参加し、それが失敗したために合衆国に逃げてきた人物だった。
7人きょうだいの末っ子だったトーマスは、幼いときから好奇心旺盛で、にわとりの卵を自分で温めようとしたとか、学校では授業などうわの空で、教師を授業と直接関係のない質問攻めにして授業の妨げになるので、学校をやめさせられたなどの伝説があるが、一説によると、学校の教師があるとき、エジソンのことを「腐ったやつ」と呼んでいるのをエジソンが聞いてしまい、それで学校へ行かなくなったともいう。
いずれよせよ、家庭で母親が教師がわりになり、エジソンは勉強し、成長することができた。エジソンはこう回想している。
「母がわたしを作った。母はとても誠実で、わたしを信頼してくれた。それで、わたしは、自分が生きてゆくための何かをもっていると、感じることができたのだ」
7歳のとき、彼の家族は、ミシガン州ポートヒューロンへ引っ越した。そこでエジソンは、列車のなかの売り子になった。キャンディーや新聞を乗客に売って歩く仕事だった。
そんなあるとき、3歳の子どもを暴走列車にはねられる寸前に助けたところから、その子の父親である駅長から感謝され、エジソンは彼に電信の技術を教わる。それからエジソンは電信技師となり、比較的忙しくない夜間シフトを希望して、仕事中に読書や実験を繰り返していた。それから実用的な機械を発明しては、特許をとり、それをお金にして、さらにそれを実験に注ぎ込んでは発明を重ねていった。
21歳のとき、電気投票記録機を発明。
22歳のとき、株式相場表示機。
30歳のとき、電話機と、蓄音機。
32歳のとき、電球。
33歳のとき、発電機。
44歳のとき、のぞき眼鏡式映写機。
63歳のとき、トースター。
エジソンは生涯に約1300件の発明をし、ゼネラル・エレクトリック社など14の会社を創設した。
80歳をすぎてもなお、1日16時間のペースで働きつづけたというタフな発明王は、1931年10月、84歳で没した。
エジソンは、自分で発明するだけでなく、他人が発明した技術を改良したり、買い取ったり、あるいは盗んだり、部下の発明を横取りしたり、といったこともさかんにしたようだ。
なんだか、ビル・ゲイツや、スティーブ・ジョブズは、エジソンをお手本としたのではないか、と思われるふしもないではないが、それはさておき、そういった、よくない風評や批判を差し引いても、エジソンのなし遂げた業績の偉大さといったらない。
数々の発明もさることながら、エジソンの生きざまには、常人にはちょっとまねできない、強烈な魅力がある。
エジソンというと、その昔、クラスメイトがこんな愚痴をこぼしていたのが思いだされる。
「いやあ、生まれてくるのがちょっと遅かったよ。電灯にしても、レコードにしても、発明しようかな、と思ったものは、なんでもエジソンがもう発明してあるんだもの」
ああ、自分を含めて、凡人というのは悲しいものだ。
いや、やっぱり、エジソンは努力してエジソンになったので、エジソンの真にえらいところは、そこだと思う。
そんな風に考える凡人に勇気をくれる、エジソンのつぎのことばが、自分は好きである。
「わたしはがっかりしない。だって、まちがった試みは捨ててきたけれど、それらはすべて、前へ進むつぎの一歩となるのだから」
(I am not discouraged, because every wrong attempt discarded is another step forward.)
天才とは1パーセントのひらめきと、99パーセントの汗である」
(Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.)
(2013年2月11日)
著書
『12月生まれについて』
『新入社員マナー常識』
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』
『ポエジー劇場 天使』
日本人にとって、エジソン、イコール「えらい人」なのかもしれない。
「偉人」といったとき、真っ先に浮かぶ名前は、野口英世であり、キュリー夫人であり、ヘレン・ケラーであり、やっぱりこのエジソンということになる。世界偉人全集にとりあげられる常連、しかもそのなかの筆頭、それがエジソンである。
トーマス・アルバ・エジソンは、1847年、米国オハイオ州ミランで生まれた。父親はオランダ系で、カナダで政府刷新を狙った反乱に参加し、それが失敗したために合衆国に逃げてきた人物だった。
7人きょうだいの末っ子だったトーマスは、幼いときから好奇心旺盛で、にわとりの卵を自分で温めようとしたとか、学校では授業などうわの空で、教師を授業と直接関係のない質問攻めにして授業の妨げになるので、学校をやめさせられたなどの伝説があるが、一説によると、学校の教師があるとき、エジソンのことを「腐ったやつ」と呼んでいるのをエジソンが聞いてしまい、それで学校へ行かなくなったともいう。
いずれよせよ、家庭で母親が教師がわりになり、エジソンは勉強し、成長することができた。エジソンはこう回想している。
「母がわたしを作った。母はとても誠実で、わたしを信頼してくれた。それで、わたしは、自分が生きてゆくための何かをもっていると、感じることができたのだ」
7歳のとき、彼の家族は、ミシガン州ポートヒューロンへ引っ越した。そこでエジソンは、列車のなかの売り子になった。キャンディーや新聞を乗客に売って歩く仕事だった。
そんなあるとき、3歳の子どもを暴走列車にはねられる寸前に助けたところから、その子の父親である駅長から感謝され、エジソンは彼に電信の技術を教わる。それからエジソンは電信技師となり、比較的忙しくない夜間シフトを希望して、仕事中に読書や実験を繰り返していた。それから実用的な機械を発明しては、特許をとり、それをお金にして、さらにそれを実験に注ぎ込んでは発明を重ねていった。
21歳のとき、電気投票記録機を発明。
22歳のとき、株式相場表示機。
30歳のとき、電話機と、蓄音機。
32歳のとき、電球。
33歳のとき、発電機。
44歳のとき、のぞき眼鏡式映写機。
63歳のとき、トースター。
エジソンは生涯に約1300件の発明をし、ゼネラル・エレクトリック社など14の会社を創設した。
80歳をすぎてもなお、1日16時間のペースで働きつづけたというタフな発明王は、1931年10月、84歳で没した。
エジソンは、自分で発明するだけでなく、他人が発明した技術を改良したり、買い取ったり、あるいは盗んだり、部下の発明を横取りしたり、といったこともさかんにしたようだ。
なんだか、ビル・ゲイツや、スティーブ・ジョブズは、エジソンをお手本としたのではないか、と思われるふしもないではないが、それはさておき、そういった、よくない風評や批判を差し引いても、エジソンのなし遂げた業績の偉大さといったらない。
数々の発明もさることながら、エジソンの生きざまには、常人にはちょっとまねできない、強烈な魅力がある。
エジソンというと、その昔、クラスメイトがこんな愚痴をこぼしていたのが思いだされる。
「いやあ、生まれてくるのがちょっと遅かったよ。電灯にしても、レコードにしても、発明しようかな、と思ったものは、なんでもエジソンがもう発明してあるんだもの」
ああ、自分を含めて、凡人というのは悲しいものだ。
いや、やっぱり、エジソンは努力してエジソンになったので、エジソンの真にえらいところは、そこだと思う。
そんな風に考える凡人に勇気をくれる、エジソンのつぎのことばが、自分は好きである。
「わたしはがっかりしない。だって、まちがった試みは捨ててきたけれど、それらはすべて、前へ進むつぎの一歩となるのだから」
(I am not discouraged, because every wrong attempt discarded is another step forward.)
天才とは1パーセントのひらめきと、99パーセントの汗である」
(Genius is one percent inspiration and ninety-nine percent perspiration.)
(2013年2月11日)
著書
『12月生まれについて』
『新入社員マナー常識』
『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句』
『ポエジー劇場 天使』
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