1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2/10・時代をひらく、平塚らいてう

2013-02-10 | 歴史と人生
2月10日は、ゴロ合わせで「ニットの日」だそうだが、女性解放運動の旗手、平塚らいてうの誕生日でもある。
「元祖、女性は太陽であった」と高らかに宣言して、雑誌「青鞜(せいとう)」を興した、あの平塚らいてう、である。
女性に教育など必要ない、女性は男にしたがっていればいいのだ、とされていた時代。良妻賢母、それが唯一無二の女性の道だった時代。もちろん女性に選挙権などなかった時代に、すでに女性の恋愛の自由、母性の保護、女性の参政権を訴えていた新しい女性である。自分は中学生のころからよく知っていて、えらい人だなあ、とずっと思っていた。
いまでも、そう思っている。男性、女性を含めて、若い人などのうちに、選挙の投票などいったことがないという人に会うと、ああ、平塚らいてうの魂が泣いているなあ、と思ったりする。

平塚らいてう(らいちょう)、本名、平塚明(はる)は、1886年、東京で生まれた。父親は元紀州藩士で、会計検査院の役人。らいてうは、3人姉妹の末娘だった。
「女子には女学校以上の学問は必要ない」という父を説き伏せて、日本女子大学校に17歳で入学。卒業後は、二松学舎、女子英学塾で学び、さらに成美女子英語学校で生田長江の教えを受けた。
22歳のとき、文学講座仲間の男性と、栃木県の塩原温泉で心中未遂事件を起こし、スキャンダルとして報道される。
生田長江に女性だけの文芸誌作りをすすめられ、1911年、25歳のとき、雑誌「青鞜」を創刊。
「青鞜」は、「ブルーストッキング」から長江が命名したもの。英国では当時、青い長くつしたをはくのが、教養ある婦人に流行していたところからきているという。
飛ぶように売れたというこの雑誌の創刊の辞に、彼女ははじめてペンネームの「らいてう」を使い、こう書いた。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他によって生き、他の光によって輝く、病人のやうな蒼白い顔の月である。……云々」
この宣言の急進性は、ものすごいと思う。
仏国のボーヴォワールが、同じ意味の旨を述べた書『第二の性』がでたのが、1949年で、それより40年近く前に、すでにその認識を声高らかに宣言しているのである。
雑誌「青鞜」は賛否両論を巻き起こし、彼女の家には激励の手紙が舞い込むとともに、石もよく投げこまれ、大変だったらしい。
らいてうは、自由恋愛を主張し、従来の結婚制度や「家」の制度からの脱却を訴え、母性保護に関しては、与謝野晶子を敵にまわして論争を繰り広げた。
私生活では、26歳のとき、年下の画家の卵と恋に落ち、実家をでて同棲をはじめている。このとき、いったん身を引こうと考えた相手の青年が、らいてうに宛てた手紙に、つぎのような意味の一節があった。
「水鳥たちが暮らしているところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱した。若いツバメは池の平和のために去っていく」
これはマスコミに乗り、たいへん有名になった。以来、年下の男性の愛人のことを「若いツバメ」と呼ぶようになった。
「ツバメなら、春になれば帰ってくるでしょう」
と、らいてうは、青年との関係をつづけ、2児をもうけたが、ふるい結婚制度を否定する考えから、婚姻届けはださず、事実婚をつづけた。
彼女は、雑誌「青鞜」を伊藤野枝に託した後も、市川房枝らと婦人運動団体を設立し、婦人参政権や母性の保護の必要を訴えるなど、つねに社会に対して、フェミニズムの立場に立って発言しつづけた。
胆のうのガンにより、1971年5月、85歳にて没。

日本で女性の参政権が認められるのは、結局、戦後のGHQの指導のもとでおこなわれた選挙でのことである。その意味では、日本人男性は、歴史的にみれば、日本人女性が政治に参加する権利などいまだかつて認めたことはなく、ただ、占領軍がそうしろというから、仕方なく認めただけだ、という見方もできる。

いずれにせよ、平塚らいてうの女性解放論は、百年くらい時代を先取りしていたわけで、当時の人たちは理解できない人が多かったのではないかと思う。その先見性には脱帽する。その恩恵を、後世の日本女性たちは受けとって生きていることになる。ただし、まだ不平等は多く、いたるところにあるけれど。
また、らいてうは、マッチョな男まさりのリーダーとして運動の先頭に立つのでなく、恋愛をし、子どもも育て、夫の看病もして、女性の自由を実践して示しながら、女性解放を叫びつづけたわけで、そこのところも、やはりすごい、と思う。
自分は男性だけれど、彼女のバイタリティーを見習いたいと思います。
(2013年2月10日)

著書
『12月生まれについて』

『新入社員マナー常識』

『コミュニティー 世界の共同生活体』

訳書、キャスリーン・キンケイド著
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』


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