1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2/12・良識ある天才、ダーウィン

2013-02-12 | 科学
2月12日は、第16代米大統領エイブラハム・リンカーン(1809年)の誕生日だが、彼が米国ケンタッキー州で生まれた、ちょうどその同年同月同日に、英国で、生物学者、チャールズ・ダーウィンが誕生している。

自分は若いころから、ダーウィンの『ビーグル号航海記』の愛読者だった。細かな部分は忘れてしまったが、スペイン人たちによる現地のインディオたちへの虐殺、虐待ぶりに対しダーウィンが抗議するくだりや、ダーウィンが南米ではじめて地震を体験したくだりなどの鮮やかな印象はいまでも懐かしく思いだされる。
有名な『種の起源』は、何度か読もうとしては挫折して、いまだ読みおおせていない。
とはいえ、ダーウィン・ファンなので、彼の著作の概要や生涯については、学生のころからよく知っていた。

チャールズ・ロバート・ダーウィンは、英国イングランドのシュルーズベリーで生まれた。父親は医師で、母親は陶器で有名なウェッジウッド家の出身だった。
子どものころから、博物学に興味があり、植物や鉱物を収集していたダーウィンだったが、父親の意向もあって、エジンバラ大学で医学の勉強をした。しかし、成績は芳しくなく、そこで今度は牧師になるようケッブリッジに移って神学を勉強した。
22歳のとき、英国海軍の測量船ビーグル号に乗船し、世界周航に出発。この旅立ちについては、父親は猛反対したが、叔父のとりなしで、ダーウィンは船に乗りこむことができた。南アメリカ大陸の測量を主な目的とするこの航海は、英国プリマス港を出航、アフリカ沖のカナリア諸島をかすめて大西洋を渡り、南米ブラジルの海岸沖を南下し、マゼラン海峡をへて太平洋にで、ガラパゴス諸島へ寄り、オーストラリアのシドニーをへて、インド洋を渡り、喜望峰をまわって大西洋にでて横断し、測量の補足のためふたたび南米へ寄ってから、大西洋をとって返して本国英国へもどるという約5年がかりの大航海だった。
ビーグル号船上でのダーウィンの役割は、はじめ船長の話し相手、後に船医といったものだったが、船がいかりを下ろし、上陸した土地土地で彼は精力的に植物、動物、鉱物、化石など大量の標本を採集し、記録をとりつづけた。
帰国後、ダーウィンはもち帰った標本の研究を進め、そうして発表したのが『ビーグル号航海の動物学』『ビーグル号航海の地質学』で、つづけて出版した『ビーグル号航海記』も好評を博した。

ダーウィンをもっとも偉大ならしめているのは、帰国したころすでに彼が着想を得ていた「自然選択」という考え方だった。
当時は(現在でも米国の半数以上の人々には)、人間を含め、すべての生物は神が作ったもので、それぞれの種は、まったくべつの、不変のものである、と考えられていた。
しかし、ダーウィンはガラパゴス諸島の生態系など、航海中に得てきたさまざまな見聞を通して、種は環境に適応して、種が生き残る方向へとしだいに変異した者が生き残っていく、つまり、種は変わっていく、そういう考えをもつにいたった。
これが「自然選択」説であり、進化論の骨子である。
ダーウィンは、この考えに説得力をもたせるために、約20年間にわたって、さまざまな証拠を集め、研究を重ねた。そうして『種の起源』の原稿が準備されていった。
50歳のとき、『種の起源』を発表。このセンセーショナルな書は、発売当日に完売し、即座に増刷され、大反響を呼んだ。
ダーウィンはその後も動植物などの研究、論文執筆をつづけ、1882年4月に没した。73歳だった。国葬が営まれ、遺体はウェストミンスター寺院に眠っている。

もしも叔父さんが応援してくれなかったら、もしもビーグル号に乗れなかったら、ダーウィンはダーウィンになれなかったろう。やっぱり、かわいい子には旅をさせよ、というのはほんとうだなあ、と思う。

ダーウィンは、天才中の天才のひとりとされるが、彼とよく比較されるのは、古代ギリシアの哲学者、ソクラテスである。
ダーウィンは、家庭内ではよき夫であり、父であり、外ではよき友人であり、おだやかな晩年を送った。
一方のソクラテスは、酒飲みで、家庭をほとんどかえりみず、最後は毒を飲んで死んだ。
ダーウィンのような温厚で誠実、礼儀正しい人物が、それまでの世界観を根本からひっくり返す爆弾のような書を社会にたたきつけたというのが興味深いと思う。

自分がダーウィンを好きなのは、もちろん『ビーグル号航海記』がおもしろかったからなのだけれど、ひとつには、ダーウィンが若いころから、奴隷制を嫌悪し、新大陸での現地人の虐待に憤慨するという、当時の英国の富裕層にしては、信じられないくらいに進歩的な良識の持ち主だったこともある。

また、こういうこともある。
29歳のとき、ダーウィンは結婚を前にして、マリッジブルーというのか、ずいぶん迷っている。幼なじみである、ウェッジウッド家の従妹をお嫁さんに迎えるにあたり、彼は貸借対照表のようなものを書いている。

「結婚しないことの利点」
・好きなところにでかけられる自由。
・親戚訪問の強制、くだらないことに屈する必要もいっさいなし。
・子どもに対する出費と心配もなし
・たぶん口げんかもなし。
・いずれも時間の浪費。
……

「結婚することの利点」
・子ども。
・一生の連れ合い(それと、老いたときの友)。
・愛情と遊びの相手。
・とにかく犬よりはまし。
……
・ソファーにすわる優しくてすてきな妻に暖かい暖炉、読書、たぶん音楽が、おまえにとって唯一の団らん風景。
・この光景とグレート・マルバラ街の陰気な現実を見てみろ。
「結婚──けっこう──結婚。証明終わり」(国立科学博物館他編『ダーウィン展』読売新聞東京本社)

ダーウィンの、こういう人間味のあるところも、自分は好きである。
(2013年2月12日)



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