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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

3月14日・アインシュタインのエネルギー

2015-03-14 | 科学
3月14日は、円周率のゴロ合わせから「数学の日」。哲学者メルロー=ポンティが生まれた日(1908年)だが、物理学者アルベルト・アインシュタインの誕生日でもある。

アルベルト・アインシュタインは、1879年、ドイツ南部の町、ウルムで生まれた。アインシュタイン(「ひとつの石」の意)はユダヤ人で、父親はセールスマン、技術者だった。
アイシュタインは5歳ごろまでほとんどしゃべらない子どもだった。一説に、彼はディスレクシア(難読症、読字障害)だったと言われる。ダ・ヴィンチやトマス・エジソン、ジョン・レノンなども同じ障害を抱えていたとされる。
話しはじめは遅かったが、学業成績はよく、とくに数学系が秀でていた。
21歳でチューリッヒ連邦工科大学を卒業したアインシュタインは、保険外交員や家庭教師のアルバイトをして暮らした。翌年、スイス国籍を取得し、スイスの特許庁に勤めだした。
1905年、26歳のアイシュタインは、「特殊相対性理論」「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」に関連する5つの重要な論文を立て続けに発表した。
「特殊相対性理論」はもともと博士号をとるための博士論文として書かれたものだったが、むずかしすぎて受け入れられず、仕方なくアインシュタインはべつの論文を用意したという。彼の「相対性理論」が発表された当時、これを理解できる人が世界にいく人いたか。
31歳の年にプラハ大学教授、33歳の年に母校、チューリッヒ連邦工科大学の教授に就任。
37歳のとき、一般相対性理論を発表。
その後、ナチス・ドイツがユダヤ人を迫害したため、アインシュタインはヨーロッパを脱出し、米国に帰化した。
アインシュタインは、第二次大戦がはじまると、米国大統領への、原子力の軍事兵器への利用をうながす科学者たち連名の手紙に署名した。が、ヒロシマ、ナガサキの原爆投下に衝撃を受け、戦後は、一転して核兵器の廃絶運動に力を注いだ。
1955年4月、動脈瘤の破裂のため、ニュージャージー州プリンストンにて没。76歳だった。

アインシュタインは、晩年、生まれ変わったら、鉛管工になりたいと答えた。頭のいい人生は、凡人が想像するほど楽なものではないのかもしれない。

「E=mc2(二乗)」
これがアインシュタインが書いた質量とエネルギーの関係式で、E はエネルギー、m は質量、そして、c は高速である。これは、たとえば、手にのせたひとかたまりの石炭のかけらのもつすべてのエネルギーを燃やしたら、米国全土で消費する何カ月かぶんの電力がすべてまかなえるだけのエネルギーが得られることを表している。

アインシュタインはこう言った。
「男性がきれいな女性と1時間いっしょにいたとする。それは1分くらいに感じられるだろう。しかし、彼を熱いストーブの上に1分間すわらせてみたまえ。それは1時間よりもっと長く感じられるだろう。これが相対性である。(When a man sits with pretty girl for an hour, it seems like a minute. But let him sit on a hot stove for a minute, and it's longer than any hour. That's relativity.)」
(2015年3月14日)



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