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『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月16日・ケイト・モスの連想

2024-01-16 | ビジネス
1月16日は、女流評論家のスーザン・ソンタグが生まれた日(1933年)だが、ファッションモデル、ケイト・モスの誕生日でもある。

ケイト・モスことキャサリン・アン・モスは、1974年、英国イングランドの広域ロンドン南部の街クロイドンで生まれた。父親は旅行代理店、母親はバーのウェイトレスだった。ケイトが13歳のとき、両親は離婚した。
14歳のとき、バハマへ旅行した折、立ち寄った米国ニューヨークのJFK空港で、モデル事務所の経営者にスカウトされ、それがきっかけでファッション業界に入った。
16歳のとき、英国の雑誌ページにはじめて登場し、またたく間に世界的なモデルへとのし上がった。ケイトはグッチ、カルヴァン・クライン、シャネル、ブルガリなどのファッションショーに登場し「ヴォーグ」「ヴァニティ・フェア」の表紙になった。
彼女がファッション界にデビューした当時は、クラウディア・シファー、シンディー・クロフォードといった、女性らしいセクシーな曲線美で魅了するスーパーモデルたちが全盛を誇っていた。が、彼女らとは正反対に、ケイト・モスは肌が青白く、目の下にくまがあり、ガリガリにやせた、両性具有的で不健康な個性美の持ち主だった。
カルヴァン・クラインの広告でセミヌードになった彼女は、その裸体美でなく、拒食症と疑われるガリガリの細さで物議をかもし「ヘロイン・シック」「ウェイフ(浮浪者)ルック」などと呼ばれた。
31歳のときには、コカインを吸っている写真が大衆紙に載り、スキャンダルにもまれたが、1年後には世界で一、二を争う高収入のスーパーモデルとなって復活した。経済誌「フォーブス」によれば、2007年ごろの推定年収は約9百万ドル(約9億円)だったという。かつて映画俳優のジョニー・ディップの恋人だった彼女は、戦争地域の子ども救済やガン研究、エイズ患者支援などさまざまな慈善事業を応援している。2013年には彼女は満40歳を迎えるのを記念し、トルコで4日間のデトックスプログラムを受けてからだのラインを整えた後、「プレイボーイ」誌上でヌードを披露し、話題をまいた。

アンチ・スーパーモデルのトップモデル、ケイト・モスは、20歳ごろのデビュー当時、やせた不健康な若者だった。やせて両性具有的と言えば、1970年代の「ミニスカートの女王」ツイギーが思いだされるが、ツイギーのほうが異星人的(人間でない感じ)だったのに対し、モスのほうは病的(いちおう人間)な印象を受ける。
でも、2003年に、ジャケット姿のデヴィッド・ボウイに、後ろからモスが全裸で抱きついているツーショットを撮った29歳のころには彼女はすっかり女性らしくなっていた。

ポール・マッカートニーやキース・リチャーズと同様、マリファナやドラッグに関して寛容な考えをもっているので、モスのように、ドラッグの使用で批判された有名人は、つい応援したくなる。芸能人などがマリファナ・スキャンダルで世間のバッシングにあうたびに、ここがネーデルランドでないのが彼らの不運だった、と同情のため息をつく。

法律上の善悪と、道徳的な善悪を混同すると、ひどい社会になる。たとえば、さんざんいじめられた者が仕返しするのは、法律的には傷害罪だが、道徳的には同情すべき余地がある。一方、高級官僚が天下り、渡りを繰り返して何億円も稼ぐのは、法律的には問題ないが、道徳的には極悪非道だろう(公僕を看板にしているだけに悪質である)。
ケイト・モスからそんなことを連想する。
(2024年1月16日)



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