1月16日は、女流評論家のスーザン・ソンタグが生まれた日(1933年)だが、ファッションモデル、ケイト・モスの誕生日でもある。
ケイト・モスことキャサリン・アン・モスは、1974年、英国イングランドの広域ロンドン南部の街クロイドンで生まれた。父親は旅行代理店、母親はバーのウェイトレスだった。ケイトが13歳のとき、両親は離婚した。
14歳のとき、バハマへ旅行した折、立ち寄った米国ニューヨークのJFK空港で、モデル事務所の経営者にスカウトされ、それがきっかけでファッション業界に入った。
16歳のとき、英国の雑誌ページにはじめて登場し、またたく間に世界的なモデルへとのし上がった。ケイトはグッチ、カルヴァン・クライン、シャネル、ブルガリなどのファッションショーに登場し「ヴォーグ」「ヴァニティ・フェア」の表紙になった。
彼女がファッション界にデビューした当時は、クラウディア・シファー、シンディー・クロフォードといった、女性らしいセクシーな曲線美で魅了するスーパーモデルたちが全盛を誇っていた。が、彼女らとは正反対に、ケイト・モスは肌が青白く、目の下にくまがあり、ガリガリにやせた、両性具有的で不健康な個性美の持ち主だった。
カルヴァン・クラインの広告でセミヌードになった彼女は、その裸体美でなく、拒食症と疑われるガリガリの細さで物議をかもし「ヘロイン・シック」「ウェイフ(浮浪者)ルック」などと呼ばれた。
31歳のときには、コカインを吸っている写真が大衆紙に載り、スキャンダルにもまれたが、1年後には世界で一、二を争う高収入のスーパーモデルとなって復活した。経済誌「フォーブス」によれば、2007年ごろの推定年収は約9百万ドル(約9億円)だったという。かつて映画俳優のジョニー・ディップの恋人だった彼女は、戦争地域の子ども救済やガン研究、エイズ患者支援などさまざまな慈善事業を応援している。2013年には彼女は満40歳を迎えるのを記念し、トルコで4日間のデトックスプログラムを受けてからだのラインを整えた後、「プレイボーイ」誌上でヌードを披露し、話題をまいた。
アンチ・スーパーモデルのトップモデル、ケイト・モスは、20歳ごろのデビュー当時、やせた不健康な若者だった。やせて両性具有的と言えば、1970年代の「ミニスカートの女王」ツイギーが思いだされるが、ツイギーのほうが異星人的(人間でない感じ)だったのに対し、モスのほうは病的(いちおう人間)な印象を受ける。
でも、2003年に、ジャケット姿のデヴィッド・ボウイに、後ろからモスが全裸で抱きついているツーショットを撮った29歳のころには彼女はすっかり女性らしくなっていた。
ポール・マッカートニーやキース・リチャーズと同様、マリファナやドラッグに関して寛容な考えをもっているので、モスのように、ドラッグの使用で批判された有名人は、つい応援したくなる。芸能人などがマリファナ・スキャンダルで世間のバッシングにあうたびに、ここがネーデルランドでないのが彼らの不運だった、と同情のため息をつく。
法律上の善悪と、道徳的な善悪を混同すると、ひどい社会になる。たとえば、さんざんいじめられた者が仕返しするのは、法律的には傷害罪だが、道徳的には同情すべき余地がある。一方、高級官僚が天下り、渡りを繰り返して何億円も稼ぐのは、法律的には問題ないが、道徳的には極悪非道だろう(公僕を看板にしているだけに悪質である)。
ケイト・モスからそんなことを連想する。
(2024年1月16日)
●おすすめの電子書籍!
『ブランドを創った人たち』(原鏡介)
ファッション、高級品、そして人生。世界のトップブランドを立ち上げた人々の生を描く人生評論。エルメス、ティファニー、ヴィトン、グッチ、シャネル、ディオール、森英恵、サン=ローランなどなど、華やかな世界に生きた才人たちの人生ドラマの真実を明らかにする。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
ケイト・モスことキャサリン・アン・モスは、1974年、英国イングランドの広域ロンドン南部の街クロイドンで生まれた。父親は旅行代理店、母親はバーのウェイトレスだった。ケイトが13歳のとき、両親は離婚した。
14歳のとき、バハマへ旅行した折、立ち寄った米国ニューヨークのJFK空港で、モデル事務所の経営者にスカウトされ、それがきっかけでファッション業界に入った。
16歳のとき、英国の雑誌ページにはじめて登場し、またたく間に世界的なモデルへとのし上がった。ケイトはグッチ、カルヴァン・クライン、シャネル、ブルガリなどのファッションショーに登場し「ヴォーグ」「ヴァニティ・フェア」の表紙になった。
彼女がファッション界にデビューした当時は、クラウディア・シファー、シンディー・クロフォードといった、女性らしいセクシーな曲線美で魅了するスーパーモデルたちが全盛を誇っていた。が、彼女らとは正反対に、ケイト・モスは肌が青白く、目の下にくまがあり、ガリガリにやせた、両性具有的で不健康な個性美の持ち主だった。
カルヴァン・クラインの広告でセミヌードになった彼女は、その裸体美でなく、拒食症と疑われるガリガリの細さで物議をかもし「ヘロイン・シック」「ウェイフ(浮浪者)ルック」などと呼ばれた。
31歳のときには、コカインを吸っている写真が大衆紙に載り、スキャンダルにもまれたが、1年後には世界で一、二を争う高収入のスーパーモデルとなって復活した。経済誌「フォーブス」によれば、2007年ごろの推定年収は約9百万ドル(約9億円)だったという。かつて映画俳優のジョニー・ディップの恋人だった彼女は、戦争地域の子ども救済やガン研究、エイズ患者支援などさまざまな慈善事業を応援している。2013年には彼女は満40歳を迎えるのを記念し、トルコで4日間のデトックスプログラムを受けてからだのラインを整えた後、「プレイボーイ」誌上でヌードを披露し、話題をまいた。
アンチ・スーパーモデルのトップモデル、ケイト・モスは、20歳ごろのデビュー当時、やせた不健康な若者だった。やせて両性具有的と言えば、1970年代の「ミニスカートの女王」ツイギーが思いだされるが、ツイギーのほうが異星人的(人間でない感じ)だったのに対し、モスのほうは病的(いちおう人間)な印象を受ける。
でも、2003年に、ジャケット姿のデヴィッド・ボウイに、後ろからモスが全裸で抱きついているツーショットを撮った29歳のころには彼女はすっかり女性らしくなっていた。
ポール・マッカートニーやキース・リチャーズと同様、マリファナやドラッグに関して寛容な考えをもっているので、モスのように、ドラッグの使用で批判された有名人は、つい応援したくなる。芸能人などがマリファナ・スキャンダルで世間のバッシングにあうたびに、ここがネーデルランドでないのが彼らの不運だった、と同情のため息をつく。
法律上の善悪と、道徳的な善悪を混同すると、ひどい社会になる。たとえば、さんざんいじめられた者が仕返しするのは、法律的には傷害罪だが、道徳的には同情すべき余地がある。一方、高級官僚が天下り、渡りを繰り返して何億円も稼ぐのは、法律的には問題ないが、道徳的には極悪非道だろう(公僕を看板にしているだけに悪質である)。
ケイト・モスからそんなことを連想する。
(2024年1月16日)
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