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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月9日・カーク・ダグラスの炎

2018-12-09 | 映画
12月9日は、盲目の詩人ジョン・ミルトンが生まれた日(1608年)だが、映画俳優カーク・ダグラスの誕生日でもある。

カーク・ダグラスは、1916年、米国ニューヨーク州のアムステルダムで生まれた。誕生時の本名はイジー・デムスキー。両親は当時帝政ロシアだった現在のベラルーシからやってきたユダヤ人移民だった。ロシアで馬喰(ばくろう)をしていた彼の父親は、米国ではごみを馬車で運ぶ廃品回収業をはじめた。彼らの住む地域は街でもっとも貧しい地区で、そのなかでも廃品回収業を営む彼ら一家は最下層に位置していた。
イジーは小さいころから、製粉所の労働者たちにスナック菓子を売り、新聞配達をして貧しい家計を助けた。学資ローンを組んで、セントローレンス大学へ進んだイジーは、植木屋やビル管理人のアルバイトをしながら大学に通った。レスリング部の有力選手だった彼は、賞金目当てで夏祭りのレスリング大会に出た。
俳優を志したイジーは、ニューヨークの演劇学校に入学し、素質を認められて奨学生となった。彼は25歳の年に演劇学校の卒業公演でブロードウェイの舞台デビューを果たしたが、それは第二次世界大戦中で、すぐに徴兵され、海軍に入隊した。入隊にあたり、彼は名前を「カーク・ダグラス」と改めた。
従軍中「ライフ」誌の表紙写真に、自分の元クラスメイトが載ったのを見て、ダグラスは同僚の水兵に、この娘と結婚すると宣言し、その半年後、実際に彼らは結婚した。二人のあいだに生まれた最初の子どもが、後に映画俳優になったマイケル・ダグラスである。
戦場で負傷したダグラスは、28歳のとき除隊。ニューヨークでラジオ、劇場、広告の仕事をしていたが、演劇学校のクラスメイトだったローレン・バコールに口をきいてもらい、映画界入り。30歳で映画「呪いの血」に出演。映画デビューを果たした。
33歳のときの出世作「チャンピオン」をへて「探偵物語」「海底二万哩」の後、39歳のとき、独立プロダクションを立ち上げて映画プロデュースにも乗りだした。
「炎の人ゴッホ」「OK牧場の決斗」「バイキング」「ガンヒルの決斗」などに出演した後、44歳のとき、みずから制作、主演した大作「スパルタクス」で、ダグラスは押しも押されもしない大スターに登り詰めた。
「パリは燃えているか」「ファイナル・カウントダウン」などをへて、80歳のときに声優として参加した「ザ・シンプソンズ」以後、しばらく映画から遠ざかっていたが、2003年、87歳で「グロムバーグ家の人々」に出演し、久々に元気な顔を見せた。

カーク・ダグラスは、骨っぽい男らしさを前面に押し出した強い印象がある。息子マイケル・ダグラスよりも風貌が知性的である。「スパルタクス」「OK牧場の決斗」「バイキング」もよかったけれど、なんといっても「炎の人ゴッホ」が忘れられない。耳を切るシーンなどDVDで何度も見返した。主演ダグラスがゴッホの自画像そっくりで、ゴッホがダグラスなのだか、ダグラスがゴッホなのだかよくわからない。苦しい環境から身を起こし、立ち上がったその強い意志がそのまま服を着て演技しているような「炎の役者」だった。
(2018年12月9日)



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