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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月19日・カルバン・クラインの専心

2020-11-19 | ビジネス
11月19日は、ツイッター(Twitter)の共同創業者ジャック・ドーシーが生まれた日(1976年)だが、米国のファッションデザイナー、カルバン・クラインの誕生日でもある。

カルバン・リチャード・クラインは1942年に、ニューヨークのブロンクスで生まれた。父親はハンガリーからの移民で、ハーレムで雑貨屋を経営していた。カルバンは、3人きょうだいの真ん中だった。カルバンの母方の祖母は洋服の仕立て屋をやっていて、カルバンの母親は家族でやっていた雑貨屋を手伝いながら、よく母親の仕立て屋を訪ねていた。これが、カルバンの服への愛情を培い、彼は子どものころから、服のファッション・スケッチを描きためていた。
工業デザイン高校、州立のファッション工科大学へと進んだカルバン・クラインは、いくつかのアパレル会社で働いた後、26歳のとき、幼なじみのバリー・シュワルツとともに「カルバン・クライン」ブランドのレーベルを立ち上げた。これは、親友シュワルツが実家の雑貨屋を継いで出してくれた1万ドルを元手に、小さなショールームを借りてスタートさせたベンチャー・ビジネスで、シュワルツが経営面を、クラインがデザイン面を担当した。
はじめ、クラインはコートなどを中心とした女性服からスタートした。男性的な感覚の女性ファッション、機能的でシンプルなデザインの「カルバン・クライン」服は好評を得、彼らのビジネスは、百貨店ボンウィット・テラーへの販路を得ることをきっかけに急成長。
「カルバン・クライン」ブランドは、スポーツウェア、化粧品、男性下着、ジーンズ、香水、時計、宝石などの分野にも進出し世界的なブランンドに発展した。
60歳のとき、クラインは会社を4億3000万ドル(約520億円)で米アパレル会社フィリップス・バン・ヒューゼン(PVH)に売却し、PVH傘下に入り、その翌年、クラインはデザイナーから引退した。
彼の引退後も「カルバン・クライン」ブランドは続いている。

1985年の米国映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の主人公が、「Calvin Klein」のロゴが大きく入った下着パンツをはいていて、これがギャグのネタに使われていた。
日本でもこのロゴ入りパンツをはいている男性をときどき見かける。

カルバン・クラインは、「ポロ」のラルフ・ローレンと同じく、ブロンクスの片隅のユダヤ人ファッション・シーンから出発し、ニューヨークのセレブ・ファッション・シーン、世界へと活躍の舞台を広げきた成功者である。共和党支持者で、巨額の政治献金を共和党に渡してきたことでも知られる。
子どものときから、好きな道一筋で突き進んできた彼は、一意専心、一点突破、全面展開と、まことにみごとなビジネスキャリアをもつアメリカンドリームの体現者である。

カルバン・クラインは、味わい深いことばを吐いている。
「わたしは狂っている。それ以外のふりをしたことはない。(I'm crazy, and I don't pretend to be anything else.)」(Brainy Quote)
(2020年11月19日)



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