1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月15日・ロンメルの騎士道

2020-11-15 | 歴史と人生
11月15日は、七五三。この日は、天王星を発見したウィリアム・ハーシェルが生まれた日(1738年)だが、ドイツ軍人ロンメル将軍の誕生日でもある。

エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメルは、1891年、ドイツ領だったヴュルテンベルク王国のハイデンハイム・アン・デア・ブレンツで生まれた。学者の家系で、父親はギムナジウムの数学教師で、後に校長になった。エルヴィンは4人きょうだいの上から2番目で、兄、弟、妹がいた。
エルヴィンは勉強嫌いの怠慢な少年だったが、しだいに勉学とスポーツに目覚め、航空機のエンジニアを志望するようになった。しかし父親の反対にあい、彼は19歳になる年にヴュルテンベルク王国軍に入隊した。
軍の歩兵隊にいたロンメルが23歳になる年に第一次世界大戦が勃発。少尉だったロンメルは、塹壕戦や敵要塞の攻略に功をあげ、ドイツが敗戦したときには大尉に昇進していた。
荒廃した敗戦国ドイツでヒトラーが首相となり、ナチス党が政権をとると、42歳のロンメルはヒトラーの軍拡路線を多くの軍関係者たちと同様に歓迎した。
ロンメルは軍学校の教官をへて、ヒトラーの警護担当となり、ヒトラーの個人的な信頼を得て出世していった。これは、貴族出身の上級軍人が多いドイツ軍のなかで、ヒトラーが同じ平民出身のロンメルに親近感をもったためだとも言われる。ロンメルが46歳のときに出した軍事教本『歩兵攻撃』はベストセラーとなった。
ロンメルが48歳のとき、ヒトラー率いるドイツはチェコスロバキアを併合、ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまった。
ロンメルはみずから前線勤務を願い出て、戦車隊を率いて西部戦線に従軍。ドイツ戦車の唯一の長所である高速性能を生かし、猛烈なスピードで進軍した。彼は部下には止まらずに砲撃するよう指示し、しばしば参謀本部からの停止命令を無視して、自分の師団だけで動き、敵の意表をつく電撃攻撃で、フランス占領に多く寄与した。
フランスが降伏すると、ロンメルはアフリカ戦線に移り、戦車隊を率いて砂漠で戦った。戦力と補給力で圧倒的に勝る連合軍側の裏をかき、多くの捕虜、燃料、装備を奪い「砂漠のキツネ」と恐れられた。砂漠の戦いでは兵器や物資が枯渇しがちで、両軍側とも敵から奪った兵器で戦っており、ロンメルも英国軍の装甲車に乗っていた。
地中海の補給路が断たれると、さすがにロンメルも局地戦で敗戦、撤退するようになり、52歳で現地任務を解任され、ドイツへもどって病気療養をした。
1944年、ノルマンディー上陸作戦(Dデイ)があった翌月、ロンメルは前線近くで敵機の機銃掃射を受け頭部に重傷を負った。その3日後、ヒトラー暗殺未遂事件が起きた。
事件への関与を疑われたロンメルは、反逆罪で裁判を受け死刑になるか、自殺するかの選択を迫られ、家族の安全と引き換えに、1944年10月、毒を飲んで自殺した。52歳だった。
国民的英雄だったロンメルは戦傷により死亡したと発表され、国葬が営まれた。

終生ナチス党員にならなかったロンメルは、敵陣地を攻撃する際、殲滅作戦をとらず、攪乱して捕虜にする方法をとった。また、捕虜にした敵軍ユダヤ人兵士は全員射殺せよという命令を無視して、捕虜を丁重に扱った。こうした騎士道的な態度によって、彼の名声は死後も高くありつづけている。

ロンメルはアルベルト・シュペーアなどと並び、敵側・連合軍からも評価の高い、突出したドイツの才能だった。ロンメルの人生は、生まれた時と場所によって大きく制約を受けたけれど、彼が平時に生まれたらどんなことをしただろうとときどき想像する。
(2020年11月15日)



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