1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月8日・アラン・ドロンの出世

2020-11-08 | 映画
11月8日は、精神分析学者のヘルマン・ロールシャッハが生まれた日(1884年)だが、世界的二枚目男優、アラン・ドロンの誕生日でもある。

アラン・ドロンは1935年、フランスのオー=ド=セーヌ県ソーで生まれた。本名は、アラン・ファビアン・モーリス・マルセル・ドロン。父親は映画館の経営者だった。
アランは両親の離婚、再婚、預けられた里親の死去などにより、関係者の間を行ったりきたりし、やっかい者扱いされながら育った。カトリック系の学校の寄宿舎に入れられたが、反抗的な態度のため、退学させられることを繰り返した。
14歳で学校をやめ、母親の再婚相手がやっている肉屋で働きはじめ、17歳のとき、アランはフランス海軍に入り、第一次インドシナ戦争に従軍した。
こうした経緯について、アラン・ドロンはこう言っている。
「個人的には、私の夢は外科医になることだった。だが不幸にして私は自分の夢を実現することができなかった。なぜか? 私の息子とは反対に、私にはほんとうに父親がなかったからだ。それに私の父親は私に義務教育を受けさせる能力を持っていなかったのだ。私は十四歳でもう働き始めていた。それから五年間、インドシナの軍隊に入ったのだった」(田山力哉責任編集『シネアルバム一四 血とバラの美学 アラン・ドロン』)
21歳で除隊したドロンは、フランスにもどり、食べていくために、ウェイター、秘書、営業マンなどの職についた。映画俳優たちと友人になったドロンは、彼らに連れられ、カンヌ国際映画祭が開かれている南仏、地中海の街カンヌへおもむいた。
美貌の青年ドロンはカンヌの海岸通りを歩いているとき、「風と共に去りぬ」を制作した米国人プロデューサー、デヴィッド・セルズニックにスカウトされ、続いて仏映画監督イヴ・アレグレに認められた。米仏の綱引きの末、結局、仏映画でデビューした。
24歳の無名俳優ドロンは仏伊合作映画「恋ひとすじに」で、ヨーロッパの名花ロミー・シュナイダーと共演。はじめ険悪だった2人は撮影中に恋に落ち、婚約した(4年後に破棄)。
ドロンは、仏映画「お嬢さん、お手やわらかに!」に主演。その輝く美男子ぶりを披露した後、25歳でルネ・クレマン監督作品「太陽がいっぱい」に主演した。
ドロンの若いた野望と美貌の魅力を、スクリーンいっぱいに躍動させたこの映画は、ニーノ・ロータ作曲のテーマ曲にのって世界的に大ヒットし、映画史に残る名作となった。
世界的スターとなったドロンは以後、「地下室のメロディー」「山猫」「パリは燃えているか」「冒険者たち」「サムライ」「さらば友よ」「ボルサリーノ」「レッド・サン」「暗殺者のメロディ」「愛人関係」などの名作に主演し、その出演歴がそのまま世界映画史となる世界的映画スターとなった。
アラン・ドロンは、2019年、83歳のとき、のカンヌ国際映画祭で「名誉パルムドール」を受賞した。かつてカンヌの通りをうろついていたすかんぴんの青年が、60年たち、世界映画の街の王さまになっていた。

アラン・ドロンはこう語っている。
「私が軽いコミックな役を演じようとすると、観客は決してそれを受け入れてはくれぬ。観客にとってドロンとは苦しみ、死に──たとえ死ななくとも悲劇的な結末をとげる一種の現代的ヒーローなのだ。」(同前)
(2020年11月8日)



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