1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月26日・盛田昭夫の楽観

2019-01-26 | ビジネス
1月26日は、タレントの所ジョージが生まれた日(1955年)だが、ソニーの共同創立者、盛田昭夫の誕生日でもある。

盛田昭夫は、1921年、愛知県の造り酒屋の家に生まれた。昭夫が店を継げば、第15代目当主となるはずの古い家柄だった。
23歳で大阪帝国大学の理学部物理学を卒業した盛田は、海軍の技術中尉となり、24歳のときに、海軍で井深大(いぶかまさる)と知り合った。知り合ってすぐ敗戦となり、敗戦翌年の1946年、井深と盛田は東京通信工業という会社を興した。これが現在のソニーで、SONYの名前は、英語の「音(sound, sonic)」の語源であるラテン語の「Sonus」と、アメリカで男の子を呼ぶときの「ソニー(Sonny)」をかけ合わせたものだという。
ソニーの井深と盛田は、海軍時代の経験から、国家プロジェクトと結びついた巨大企業に戦いを挑むことを避け、民間向け、一般消費者向けの製品開発を目指した。
開発費や社員の給与など、メーカーの研究費、維持費は莫大で、はじめのころは、ソニーの社員の給料は、盛田の実家からでていたともいう。そうやってやりくりして、ソニーは、日本初のテープレコーダーを作り、日本初のトランジスタラジオを作った。
ソニーはアメリカへ進出。39歳のとき、盛田はソニー・アメリカの社長となり、日本の企業としてはじめてアメリカで株式を発行した。そして、42歳のとき、彼は家族を連れてニューヨークへ引っ越し、アメリカの市場開拓に真剣にとりくみだした。
ウォークマンの大ヒット、ベータマックスの法廷闘争などをへて、ソニーを世界企業に育て、アップルのスティーブ・ジョブズが教えを乞いに来るなど、世界でもっとも尊敬される企業にした盛田昭夫はソニーの社長、会長を歴任し、1999年10月、肺炎のため没した。78歳だった。

盛田昭夫は、日本国内だけでなく、世界の人々から敬愛されたビジネスマンだった。
理学部物理科出身の技術者なのに、セールスマンとして先陣をきって世界市場を駆けまわった。スポーツマンで、社交家で、勉強家だった。
よくテレビのドキュメンタリー番組などにも出演し、快活で、よくしゃべる、スマートな人物だった。盛田は言っている。
「私は楽観主義者である。われわれがそのためにベストをつくして努力しさえすれば、平和で偉大な未来は必ずわれわれのものとなるだろう」(盛田昭夫他『MADE IN JAPAN』朝日文庫)
彼の楽観論は「そのうちなんとかなるだろう」という「果報は寝て待て」論ではなく、
「強い意志をもち、努力をつづけるなら、かならず未来はよくなる」
という信念である。現代日本では見失われがちな信念である。
(2019年1月26日)



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