1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月12日・ジェフ・ベゾスの胆力

2019-01-12 | ビジネス
1月12日は、作家、村上春樹が生まれた日(1949年)だが、実業家、ジェフ・ベゾスの誕生日でもある。ベゾスは世界的企業アマゾンの創業者である。

ジェフ・ベゾスは、1964年、米国のニューメキシコ州アルバカーキで生まれた。誕生時の名前はジェフリー・プレストン・ヨルゲンセン。彼が生まれたとき、母親は17歳の高校生だった。ジェフの誕生後、両親はすぐに別れ、ジェフは母親に引き取られた。母親は高校とカレッジを卒業し、銀行に勤めた。そしてジェフが4歳のとき、キューバ生まれのエンジニア、ミゲル・ベゾスと結婚した。これで彼の名前は、ジェフリー・プレストン・ベゾスとなった。彼の下には異父きょうだいの妹と弟が生まれた。
3歳のとき、ベッドを分解しようとしたジェフは、モッテソーリ教育の幼稚園をへて、小学生時代にはコンピュータ・プログラミングをしていた。毎年夏休みになると母方の祖父母がもつテキサス州の農場で働きにいき、クレーンを直したり、牛の焼き印を手伝ったりして3カ月を過ごすという少年時代を送った。
名門プリンストン大学に進んだ彼は、はじめは物理学志望だったが、コンピュータ科学、電子工学を専攻し、同大学を最優秀学生として卒業した。
22歳のベゾスは、ベル研究所やインテルの内定を蹴って、金融通信ネートワークのベンチャー企業に就職した。ヘゾスはその後、銀行のシステム開発の会社へ移り、さらに株式投資の意思決定プログラム開発の会社へ転職し、28歳のころには、副社長となり年収100万ドル(1億円)以上を得ていた。
インターネット書店を開業したいと会社に提案したベゾスは、その案がいれられないと見るや高収入の地位を捨てて会社を辞め、自分で創業することにした。1994年、30歳のときワシントン州ベルビューに借りた家のガレージで、世界初のインターネット小売業者アマゾン社をはじめた。設備投資が必要となると、彼は両親に資金提供を頼んだ。
「彼は、自分の計算によれば、インターネットビジネスが成功する確率は約10%だと両親に伝えていた。」(ジェニファー・ランドー著、スタジオアラフ訳『Amazonをつくったジェフ・ベゾス』岩崎書店)
両親は老後資金である貯金と退職金の積立金の全額30万ドルを息子の「10%」に賭けた。その後もアマゾンは、投資家から調達して100万ドル単位で設備投資を注ぎ込み、借金がふくれる割になかなか黒字化せず苦しんだが、ベゾスが33歳のときに株式公開し、39歳のときにようやく採算がとれる企業となった。アマゾンは本以外にもさまざまな商品をネット販売し、ベゾスが43歳のとき電子書籍用端末キンドルを発売した。その後も彼は、ネットビジネス、慈善活動、宇宙開発、エネルギー開発など幅広い分野で活躍している。

いまでこそアマゾンは成功した企業と言われるが、その成否は長らく疑問視されていた。すると、すでに大成功者だった地位と安定を捨てて新事業に挑み、借金を重ねに重ねて耐えて事業を続けたベゾスの胆力に注目すべきである。頭が切れ、度胸がすわっている。ベゾスは言っている。
We've had three big ideas at Amazon that we've stuck with for 18 years, and they're the reason we're successful: Put the customer first. Invent. And be patient.(アマゾンが大事にしている三つの考えがある。これは18歳のときから守ってきたもので、それで成功したのである。お客さん第一、発明、忍耐すること、の三つである)(Business Insider Inc.: http://www.businessinsider.com/)
(2019年1月12日)



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