1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月16日・竹久夢二の女

2018-09-16 | 美術
9月16日は、国連の難民高等弁務官を務めた緒方貞子が生まれた日(1927年)だが、画家、竹久夢二の誕生日でもある。

竹久夢二は、1884年、岡山の邑久で生まれた。本名は竹久茂次郎(たけひさもじろう)。家は造り酒屋だった。茂次郎は次男だったが、誕生時にはすでに兄は没していて、彼が事実上の長男になった。
中学は親戚の家に居候して神戸の中学校に通っていたが、家業が傾いたため、中退。
茂次郎が16歳のとき、父親は造り酒屋をやめ、九州福岡にく引っ越して、八幡製鉄所に勤めだした。茂次郎もしばらく製鉄所で働いた後、17歳のとき、家を離れて上京し、早稲田実業に入学した。
勉学のかたわら、絵を描いては新聞に投稿し、21歳のころからしだいに絵が掲載されだし、竹久夢二と名乗るようになった。
23歳の年に、時事スケッチを描く絵描きとして新聞社に入社。
25歳の年に画集を出版すると、これがベストセラーとなり、夢二の人物画は一気に有名になった。
新聞、出版など、印刷媒体のの売れっ子画家だった彼は、画壇においてはなかなか評価されなかった。48歳のときには、米国に乗りこんで西海岸のあちこちで個展を開いたが、思うような評価は得られなかった。
米国を離れ、ヨーロッパをめぐった後に帰国して、結核にかかり、1934年9月に長野県の療養所で没した。50歳だった。
没後も、絵はがきに、美術全集の目玉にと、その画風は絶大な人気を誇っている。

竹久夢二は、日本画の技法で描き、洋画の油彩でも描いた、一代の美人画の画家だった。画家は女性によくもてたようで、結婚、離婚、同棲を繰り返した。
彼が描いたのは、倦怠感とユーモアと、やさしさ、軽み、そういったものの感じられる独特の雰囲気のある女性で、男の目から見ると、こういう浮世離れした女性と恋に落ちてみたいと思わせるなにかがそこにある。日本のモディリアーニである。
(2018年9月16日)


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