1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月1日・マリリン・モンローの知

2017-06-01 | 映画
6月1日は、柔道家、山下泰裕が生まれた日(1957年)だが、米国の映画女優、マリリン・モンローの誕生日でもある。

マリリン・モンローは、1926年、米国のロサンゼルスで生まれた。誕生時の本名はノーマ・ジーン・モーテンセンだった。彼女は複雑な家庭環境に育った。彼女が生まれたとき、母親は、最初の夫と離婚した後、結婚した二番目の夫と別居中で、夫とはべつの男性と関係をもってできたのがノーマ・ジーンだった。母親は、ハリウッドの現像所で安い賃金で働いていたが、そこに出入りしていたセールスマンがノーマ・ジーンの実の父親だった。赤ちゃんがお腹にいることを打ち明けられると、セールスマンは姿を消した。生まれたノーマ・ジーンは、別居中だった義理の父親の姓をとって、モーテンセン姓を名乗った。両親はノーマ・ジーンが2歳の年に正式に離婚。母子家庭となった。さらに、彼女が7歳のとき、母親がうつ病を発症し、入院した。ノーマは近所の家族に預けられたり、孤児院へ預けられたり、親戚に預けられたりと、転々と環境を変えながら育ち、16歳のときに、生活の便宜のため、航空会社の整備工と結婚した。第二次世界大戦中のことである。
夫が海軍に召集されて家を留守にすると、ノーマ・ジーンは部品工場に勤めはじめた。そこで知り合ったカメラマンから、モデルになることをすすめられ、工場を辞め、モデルとなり、女優となっていった。
27歳のときの映画「ナイアガラ」でモンロー・ウォークを披露。以後「紳士は金髪がお好き」「百万長者と結婚する方法」「帰らざる河」「ショウほど素敵な商売はない」「七年目の浮気」「お熱いのがお好き」などに主演。ハリウッドを代表するセックス・シンボルとして世界中の男性を魅了した。
私生活では、野球選手のジョー・ディマジオ、ノーベル賞作家のアーサー・ミラーと結婚・離婚し、ジョン・ケネディ大統領、ロバート・ケネディ司法長官の兄弟とも関係があった。派手に浮名を流すセクシー女優だった彼女は一面、演技の研究に熱心な勉強家で、アクターズ・スクールの伝説として、マーロン・ブランドと並び語り継がれるほどの演技力の持ち主だった。しかし、しだいに薬物依存が進み、映画撮影に支障をきたすようになり、1962年8月、ロサンゼルスの自宅で全裸で死亡しているのが発見された。36歳だった。死因は睡眠薬の大量摂取による自殺と推定されたが、陰謀・暗殺説も根強い。

モンロー・ファンで、出演映画はほとんどみた。
素顔のマリリン・モンローは読書家、勉強家で、ウィットに富んだ警句を吐く知性派だった。彼女のことばでは、これがいちばん有名だろう。
「寝るときは、何を着ますか(全裸ですか)?(What do you wear to bed?」
の問いに答えて彼女いわく。
「シャネルの五番をつけるわ(Just a few drops of No. 5...)」

下司な連中が幅をきかせる男性優位社会の犠牲となり、またその下司な連中を利用してのし上がった女性、それがモンローだった。男性優位社会の光と陰を象徴する存在だった。彼女は、こう言っている。
「犬にかまれたことはないわ、かむのは人間だけよ。(Dogs never bite me. Just humans.)」
(2017年6月1日)




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