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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月13日・本田圭佑の狂信

2017-06-13 | スポーツ
6月13日は、統合失調症の数学者ジョン・ナッシュが生まれた日(1928年)だが、サッカー選手、本田圭佑の誕生日でもある。

本田圭佑は、1986年、大阪の摂津市で生まれた。小学校低学年のころからサッカーをはじめた彼は、Jリーグのガンバ大阪の下部組織であるジュニアユースに入った。中学を卒業すると同時にジュニアユースも卒業し、その上のユースチームを目指したが、入団できなかった。本田は心機一転、引っ越して石川県のサッカー強豪校、星稜高校へ進んだ。
高校時代は全国大会でも活躍し、高校卒業後、19歳の年に名古屋グランパスに入団した。21歳のとき、ネーデルランド(オランダ)の1部リーグのVVVフェンローへ移籍。チームはいったん2部へ降格したが、本田の活躍で2部リーグで優勝し、すぐに1部へ返り咲いた。
そして23歳のとき、ロシア・リーグのCSKAモスクワへの移籍。チームがカップ戦やリーグ戦で優勝する原動力となった。
25歳になる年には、ロシア・リーグで右ひざの半月板を傷める大けがを負い、半月版の半分をとり除く大手術を受け、長いリハビリ生活を送った。選手生命が危ぶまれる事態だったが、彼はみごと復活し、ロシア・リーグで活躍した。
移籍金が高額なため、本田は希望するイタリアのセリエAへなかなか移籍できなかった。長らく待たされた末、ついに念願のセリエAのACミランへ移った。そしてエースの背番号「10」のユニホームを着た。さらに、オーストリアのサッカークラブの経営者にもなった。
彼はまた、日本代表としても、北京五輪、ワールドカップ・南アフリカ大会、ブラジル大会に代表チームの主力として出場し活躍した。ACミランを出でて、彼の旅はさらに続く。

サッカー選手として、本田圭佑はたくさんのすぐれた長所を持っているが、彼のもっとも顕著な長所は、敵ゴール前にいるときの冷静さである。ゴール前では、場数を踏んだベテラン・プレイヤーであっても、焦りがちだが、本田はまるで緊張する神経があらかじめ切除されているかのように落ち着きはらって、必要とされるプレーをシンプルにこなす。
彼のようにゴール前で落ち着いてプレーできる選手は、世界でもすくない。サッカーの歴史の浅い国からはなかなか出てこない逸材である。

本田圭佑は天才だけれど、子どものころから天才だったわけではない。たとえば、名波浩、小野伸二といった選手のように、小さいときから全国に名前が響く天才プレイヤーではなかった。むしろ、子どものころの本田はそんなにうまくなかった。ボールの扱いがうまいわけでもないし、致命的なことに足が遅かった。
ガンバ大阪のユースに入れなかった時点で、ふつうの人なら断念し、進路を変えるところだが、本田はあきらめず、居場所を変え、陸上選手に教えを乞うて足の遅さを克服するトレーニングを重ねた。また、不運なけがにも見舞われた。そうしたハンディやアクシデントを、すべて努力によって乗り越え、自分の力としてきた。「本田圭佑」という運命を信じた狂信者、それが本田圭佑である。

本田は、テレビ番組の取材に答え、こうコメントしている。
「信じるっていうのは本当に、希望そのものですよね。未来が誰にも分からないなかで、どれだけ自分を信じてやれるか、未来を信じてやれるか」
(2017年6月13日)



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