6月12日は、ベルゲン・ベルゼン強制収容所で死んだアンネ・フランクが生まれた日(1929年)だが、作家、鎌田慧(かまたさとし)の誕生日でもある。
鎌田慧は、1938年、青森県弘前市で生まれた。高等学校卒業後に上京し、いくつかの工場で働いた後、早稲田大学に入学。大学卒業後、業界紙の記者をとなり、後に退社して、フリーのルポライターとなった。
35歳のとき、『自動車絶望工場 ある季節工の日記』を発表。これは、みずからトヨタ自動車の期間工となって働いた現場の経験をもとに執筆したもので、これにより鎌田慧の名は一躍有名になった。
以後、現場にからだごとぶつかっていき、自分の目で見、自分の耳で聞いた真実を大切にするスタイルで、社会に隠れている問題点や不正義を履く白日の下にさらし、数々の名著をものにした。扱うジャンルは、産業、労働、環境、教育、法律、政治など幅広い分野に及ぶが、つねに、差別され、こき使われ、いじめられる弱者の側に立った視点から発言をつづけている。
『隠された公害 ドキュメント イタイイタイ病を追って』
『ロボット時代の現場 極限の合理化工場』
『ぼくが世の中に学んだこと』
『死刑台からの生還 無実! 財田川事件の三十三年』
『家族が自殺に追い込まれるとき』
など、著作は膨大な数にのぼる。
鎌田慧は、もっとも信用するノンフィクション作家である。これだけ非情な現実を扱いながら、よく怒りを抑えて冷静に書けるものだと感心させられる。
名作『自動車絶望工場』は、大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考に残った作品だけれど、選考委員に大物評論家の草柳大蔵がいて、草柳の批判にあい落とされてしまった。「正規に申し込んだ取材でない、潜入取材がよくない」という頓珍漢な理由だった。
草柳が批判したわけは、なんのことはない、『自動車絶望工場』の文中に、草柳が登場するからである。かつてトヨタの工場を見学にきた草柳大蔵が、トヨタの広報部に説明されるまま、立派な福利厚生施設が整ったすばらしい職場だなあ、と牧歌的に納得して帰り、提灯記事じみた文章を書いた、そういう指摘が作品中にあって、草柳はそれにかちんときたのにちがいない。第二次大戦の末期、ナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所テレージエンシュタットを、国際赤十字の調査団が視察したときと似ている。
近年の日本の労働環境は、『自動車絶望工場』が書かれたころより、もっと深刻になっている。鎌田は新聞のインタビューに答えて言っている。
「日雇い派遣で働く今の若者たちが私の本を読むと、好待遇と感じるのだという。自分達は登録している派遣企業から携帯電話に届く求人の連絡を待ち、明日の仕事はあるか、次はどんな仕事だろうと不安を感じながら職場を転々としている。勤務先の企業に直接雇われて3カ月、6カ月と安定して働け、ボーナスや退職金までもらえるなんてうらやましいじゃないかというのだ。戦後、労働者がこれほど絶望的な気持ちを抱いた時代は初めてだろう」(2008年8月3日・朝日新聞)
(2017年6月12日)
●おすすめの電子書籍!
『誇りに思う日本人たち』(ぱぴろう)
誇るべき日本人三〇人をとり上げ、その劇的な生きざまを紹介する人物伝集。松前重義、緒方貞子、平塚らいてう、是川銀蔵、住井すゑ、升田幸三、水木しげる、北原怜子、田原総一朗、小澤征爾、鎌田慧、島岡強などなど、戦前から現代までに活躍した、あるいは活躍中の日本人の人生、パーソナリティを見つめ、日本人の美点に迫る。すごい日本人たちがいた。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
鎌田慧は、1938年、青森県弘前市で生まれた。高等学校卒業後に上京し、いくつかの工場で働いた後、早稲田大学に入学。大学卒業後、業界紙の記者をとなり、後に退社して、フリーのルポライターとなった。
35歳のとき、『自動車絶望工場 ある季節工の日記』を発表。これは、みずからトヨタ自動車の期間工となって働いた現場の経験をもとに執筆したもので、これにより鎌田慧の名は一躍有名になった。
以後、現場にからだごとぶつかっていき、自分の目で見、自分の耳で聞いた真実を大切にするスタイルで、社会に隠れている問題点や不正義を履く白日の下にさらし、数々の名著をものにした。扱うジャンルは、産業、労働、環境、教育、法律、政治など幅広い分野に及ぶが、つねに、差別され、こき使われ、いじめられる弱者の側に立った視点から発言をつづけている。
『隠された公害 ドキュメント イタイイタイ病を追って』
『ロボット時代の現場 極限の合理化工場』
『ぼくが世の中に学んだこと』
『死刑台からの生還 無実! 財田川事件の三十三年』
『家族が自殺に追い込まれるとき』
など、著作は膨大な数にのぼる。
鎌田慧は、もっとも信用するノンフィクション作家である。これだけ非情な現実を扱いながら、よく怒りを抑えて冷静に書けるものだと感心させられる。
名作『自動車絶望工場』は、大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考に残った作品だけれど、選考委員に大物評論家の草柳大蔵がいて、草柳の批判にあい落とされてしまった。「正規に申し込んだ取材でない、潜入取材がよくない」という頓珍漢な理由だった。
草柳が批判したわけは、なんのことはない、『自動車絶望工場』の文中に、草柳が登場するからである。かつてトヨタの工場を見学にきた草柳大蔵が、トヨタの広報部に説明されるまま、立派な福利厚生施設が整ったすばらしい職場だなあ、と牧歌的に納得して帰り、提灯記事じみた文章を書いた、そういう指摘が作品中にあって、草柳はそれにかちんときたのにちがいない。第二次大戦の末期、ナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所テレージエンシュタットを、国際赤十字の調査団が視察したときと似ている。
近年の日本の労働環境は、『自動車絶望工場』が書かれたころより、もっと深刻になっている。鎌田は新聞のインタビューに答えて言っている。
「日雇い派遣で働く今の若者たちが私の本を読むと、好待遇と感じるのだという。自分達は登録している派遣企業から携帯電話に届く求人の連絡を待ち、明日の仕事はあるか、次はどんな仕事だろうと不安を感じながら職場を転々としている。勤務先の企業に直接雇われて3カ月、6カ月と安定して働け、ボーナスや退職金までもらえるなんてうらやましいじゃないかというのだ。戦後、労働者がこれほど絶望的な気持ちを抱いた時代は初めてだろう」(2008年8月3日・朝日新聞)
(2017年6月12日)
●おすすめの電子書籍!
『誇りに思う日本人たち』(ぱぴろう)
誇るべき日本人三〇人をとり上げ、その劇的な生きざまを紹介する人物伝集。松前重義、緒方貞子、平塚らいてう、是川銀蔵、住井すゑ、升田幸三、水木しげる、北原怜子、田原総一朗、小澤征爾、鎌田慧、島岡強などなど、戦前から現代までに活躍した、あるいは活躍中の日本人の人生、パーソナリティを見つめ、日本人の美点に迫る。すごい日本人たちがいた。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com