1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月25日・ヒルトンの信仰

2016-12-25 | ビジネス
12月25日、クリスマスは、万有引力を発見したあのニュートンが生まれた日(1642年)だが、実業家コンラッド・ヒルトンの誕生日でもある。ヒルトン・ホテルの創業者である。

コンラッド・ニコルソン・ヒルトンは、1887年、米国ニューメキシコ州がまだ準州だったころ、同州のソコロ郡で生まれた。父親はノルウェーからの移民で、母親はドイツ系米国人だった。コンラッドは8人きょうだいの一人だった。
コンラッドは、小さいときから父親が経営する雑貨屋を手伝って、商売に親しんでいた。
ニューメキシコの工学系の学校を出たコンラッドは、イリノイ・ウェスリアン大学の学生クラブで国際的秘密結社であるTKEのメンバーとなり、ニューメキシコ州が州に格上げされて、州議会ができると、共和党議員として最初の州議会議員になった。
第一次世界大戦が始まると陸軍兵士として出征し、フランスを転戦した。
兵役を終えて米国へ戻ったヒルトンが32歳のころ、テキサスで石油ブームが起きた。ヒルトンはテキサスで銀行を買収して金融業をはじめようと考えたがうまく行かず、結局テキサスでホテルを買った。
それは40部屋あるホテルで、一日にひとつの部屋を3組の客が利用するほどの高回転で業績がよく、ヒルトンはテキサス州内にホテルを買収したり建設したりして傘下のホテル・チェーンを増やしていった。
彼が42歳のころにはじまった大恐慌の際には破産しかけ、何軒かのホテルを失ったが、彼はくじけず、7軒のホテルをなんとか持ちこたえ、しだいに盛り返していった。
52歳ではじめてテキサス州外に進出し、60代に入ると、折からの米国人の海外旅行ブームに乗って国外にも進出し、結局ヒルトンは米国内の38の都市に188軒のホテルと、海外に54軒のホテルを展開するにいたった。そして、1979年1月、老衰のため、カリフォルニア州のサンタモニカで没した。91歳だった。

ヒルトンの両親は経験なローマン・カトリック教徒で、息子のヒルトンはそれに大きく影響を受けていた。彼は母親の教えを守り、困難な状況にぶつかった折には、かならず教会へ行き、祈った。祈りことが最大の投資である、との母親を教えを信じ、大恐慌の危機的状況も祈りによって耐え抜くことができたという。
さすがクリスマス生まれ。一般に、信仰心がうすい日本人は、そういう面では弱いのかもしれない。日本のビジネスマンや政治家はしばしば、お金を崇拝しているだけだったりする。すると、お金がなくなったとき、拝む頼りがなくなる。

ただ、祈るばかりではやはり成功はおぼつかなくて、ヒルトンは言っている。
「成功……それは行動することに関係があるようだ。成功する者は、動き続けている。彼らはミスをする、けれど、彼らはやめない。(Success ... seems to be connected with action. Successful men keep moving. They make mistakes, but they don't quit.)」
(Goodreads Inc: http://www.goodreads.com/)
(2016年12月25日)


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