1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月7日・与謝野晶子の歌心

2016-12-07 | 文学
12月7日は、歴史学者ヨハン・ホイジンガが生まれた日(1872年)だが、歌人・與謝野晶子(よさのあきこ)の誕生日でもある。

天下の大歌人、与謝野晶子は、1878年、現在の大阪の堺で生まれた。誕生時の本名は鳳志よう(ほうしょう)。家は和菓子屋で、彼女の上に兄のほか、姉が二人いた。
志ようは、9歳で漢学の塾に入り、琴や三味線を習い、女学校のころは『源氏物語』など古典のほか、尾崎紅葉、幸田露伴、樋口一葉などの小説を読む文学少女だった。
20歳のころから和菓子屋の店番をしながら、雑誌に短歌を投稿しだし、22歳のころ、師匠の妻帯者だった与謝野鉄幹と不倫関係におちいった。鉄幹は結局、離婚し、晶子と結婚した。それで彼女は与謝野晶子になった。
晶子は鉄幹の雑誌「明星」に短歌を発表して上京。23歳で処女歌集『みだれ髪』を出版。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
「人の子の恋をもとむる唇に毒ある蜜をわれぬらむ願い」
センセーショナルな歌の並ぶこの歌集は、日本文学史上にそびえる記念碑となった。
26歳の年には、日露戦争に従軍した弟を思う詩「君死にたまふことなかれ」を発表。
「親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。」
「すめらみことは、戦ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獣の道に死ねよとは、」
こうした生々しい心情吐露の詩句は社会にショックを与え、広く共感を呼んだ。
晶子は鉄幹とのあいだに12人の子どもをもうけ、育てながら『源氏物語』の現代語訳を完成し、文化学院を創設するなど精力的に働いた後、1942年5月に没した。63歳だった。

肉感的な迫力の歌心といい、軍事一色の時代に「天皇は戦いにはみずから出かけていかれない」と堂々と書く強さといい、與謝野晶子こそ恐るべき詩人である。

『源氏物語』の「胡蝶」の段の光源氏は36歳くらいである。そのころ光源氏が引き取り、育てている娘・玉鬘(たまかずら)が美しく成人し、彼女のもとへいろいろな男たちが言い寄ってくる。嫉妬した養父の光源氏は、自分はただでさえ育ての親として愛しているのに、それに男女間の愛も加わって、こんな大きな愛をあなたに捧げる人はいないのですよ、ほかの男にとられでもしたらと心配でたまりません、と、わが娘を口説く。その後に、作者の紫式部がこんな寸評を付けている。
「いとさかしらなる御親心なりかし(たいへん余計な親心である)」
与謝野晶子訳『源氏』は、これをこう訳している。
「変態的な理屈である」(与謝野晶子訳『日本国民文学全集 第三巻 源氏物語・上』河出書房)
谷崎潤一郎ほか現代語訳者は数多いるが、こんな風に訳した人はほかにいない。
(2016年12月7日)



●おすすめの電子書籍!

『女性解放史人物事典 ──フェミニズムからヒューマニズムへ』(金原義明)
平易で楽しい「読むフェミニズム事典」。女性の選挙権の由来をさぐり、自由の未来を示す知的冒険。アン・ハッチンソン、メアリ・ウルストンクラフトからマドンナ、アンジェリーナ・ジョリーまで全五〇章。人物事項索引付き。フェミニズム研究の基礎図書。また女性史研究の可能性を見通す航海図。

●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする