1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月20日・J・S・ミルの功利主義的理想

2014-05-20 | 思想
5月20日は、文豪オノレ・ド・バルザックが生まれた日(1799年)だが、経済学者で思想家のジョン・スチュアート・ミルの誕生日でもある。
自分がJ・S・ミルを知ったのは中学時代で、多湖輝の本『頭の体操』にこう紹介されていたからだ。ミルは知能指数190の天才だったが、
「六十歳近くで代議士になった。二回めの選挙のときのモットーは、『選挙運動をしない。選挙費用を出さない。当選しても地域のために苦労しない』ことであった。もちろん落選した。」(『頭の体操 第5集』光文社)

ジョン・スチュアート・ミルは、1806年、英国イングランドのロンドンで生まれた。父親は哲学者、経済学者のジェームズ・ミルで、父親は息子のジョンを学校に通わせず、自宅で教育した。ジョンは、3歳でギリシャ語、8歳でラテン語、11歳でローマ法史を学んだ。
彼は17歳で、父親が勤める東インド会社に入社し、以後35年間同社に勤めた。会社勤めをしながら、『論理学体系』『経済学原理』などを書いた。
プライベートでは、彼は20歳のころ、うつ状態におちいり、数年間そのままだったが、夫と子をもつ人妻だったハリエット・テイラーと出会い、うつ状態から脱出した。ミルはテイラー夫人と友人として交際をつづけ、夫人の夫が死んだ後、ミルが45歳のときに二人は結婚した。
東インド会社を退社後、ミルは選挙に出て一期だけ下院議員議員を務めたが、二期目に落選した後は著作に専念し『自由論』『功利主義』『自伝』などを書いた。
東インド会社時代、大学からの誘いを断りつづけていたミルは、59歳のとき、セント・アンドルーズ大学の学長を引き受けた。
1873年5月、滞在先のフランスのアヴィニョンで感染症により没した。66歳だった。

功利主義哲学者のミルは、父親の友人だったベンサムの、
「正邪の尺度は、最大多数の最大幸福である」
という功利主義を、発展させ、修正を加えた人である。ベンサムの「量」の理屈だと、
「大勢が幸福になるのなら、少数の者はそのために犠牲になってもかまわない」
ということになるが、ミルはそこに「幸福の質」を加えた。そして、
「おのれの欲するところを人にほどこし、おのれのごとく隣人を愛せよ」
という道徳律を提唱した。理想主義的な思想家だったと思う。

「人間の能力は、知覚、判断力、識別感覚、知的活動、さらには道徳的な評価さえも、何かを選ぶことによってのみ発揮される。何事もそれが習慣だからという理由で行う人は、何も選ばない。最善のものを識別することにも、希求することにも習熟しない。知性や特性は、筋力と同じで、使うことによってしか鍛えられない……世間や身近な人びとに自分の人生の計画を選んでもらう者は、猿のような物真似の能力があれば、それ以上の能力は必要ない。」(山岡洋一訳『自由論』光文社)

「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。」(井原吉之助訳『功利主義論』『世界の名著38 ベンサム J.S.ミル』中央公論社)

ミルの文章を高校生のときに読み、自分もやせ我慢のソクラテスでありたいと志を立てたが、それからいく星霜をへて、気がつけば、いつの間にか太ったただのブタになってしまった。人生は思い通りにゆかない。流され、どんどんそれていく。自分にとって、ミルはそれを思いださせる苦い作家である。
(2014年5月20日)


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