大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

狂気故の悲しさか、凱旋門賞惜敗のオルフェーヴルに思う

2012-10-08 | 競馬
日本時間昨晩の凱旋門賞生中継、多くの競馬ファンが見守る中、オルフェーヴルはよくやったという感じのまさしくこれ以上ない善戦でした。直線大外から早め先頭に立ち後続を一気に突き放した足はやはりただ物じゃない感じでしたが、最後は早めに抜けた分だけ集中力が切れてしまったか。3着以下の馬の脚色を見る限り、オルフェが決してゴール前で“タレた”という感じではなかったように思います。それだけに余計残念。やはり気性の難しさが、最後までネックであったのか。見方を変えれば、神経質な馬であればある程、乗り役の精神力の差が馬に伝わったようにも思えました。

名馬には2パターンあって、まじめな優等生タイプと狂気と背中合わせの天才肌タイプ。前者の代表がシンボリルドルフでありディープインパクトあります。そして後者の代表が古くはカブトシローであり、サイレンススズカであり、そしてオルフェーヴルであるわけです。前者タイプとして、日本馬の最高に惜しかった凱旋門賞で思い出されるのが、99年のエルコンドルパサー。あの時も早め先頭に出たエルコンドルを外からモンジューが強襲しゴール前で1/2馬身交わされるという、似たような展開でした。

話が本題からそれますが、実はこのエルコンドルと狂気の天才馬サイレンススズカは同時代の活躍馬で、毎日王冠で1回だけ対戦しています。ここには故障明けのグラスワンダーも出走していて、世紀の3つ巴対決は大変な注目を集めたことが記憶に新しいところです。結果はサイレンススズカの圧勝。2着のエルコンドルに影をも踏ませぬ超ハイペースの逃走劇でした。サイレンススズカは4歳時までその気性の難しさゆえ圧勝と惨敗の繰り返しだったものが、武豊騎手の手綱に代ってから別馬の如く変身し、誰も捕まえられない向かうところ敵なしのハイペースの逃げ馬として一躍スターダムにのし上がったのです(その直後の悲劇については、柴田善臣の“暴言”とともに多くのファンが決して忘れられない決して繰り返したくない結末となってしまうわけですが・・・)。

エルコンドルの凱旋門賞2着を見たときに、狂気の天才サイレンスズカがいて凱旋門賞に挑戦できたならと私なんぞは思ったものです。その意味では今回のオルフェーヴルの挑戦は、もしも稀代の狂気の天才馬が世界の頂点に挑戦したならというサイレンスズズカ以来の夢を叶えてくれた、待望の一戦でもあったわけなのです。しかし結果を見る限り、狂気はまた気性難と言う現実的な言葉に置き換えらえてしまうようで、ゴーサインと共に一気に行きすぎとも思える驚異的な足を繰り出してしまう姿や(狂気あるが故の驚異?)、抜け出し先頭を走ることに飽きたのかゴール前に見せたうつろな目つきには、あーやはり狂気はどこまでいっても狂気でしかないのかと、狂気の可能性に賭けることの空虚さを教えられたかのような気持ちにもさせられたのです。

1年後の凱旋門賞再挑戦に期待する声もあるようですが、どうなんでしょう。今からまた1年の調教を重ねて気性的に大人になったならもっと期待できるのかと言えば、答えはノーであるように思います。オルフェーヴルの強さは狂気あってのものに思えますし、それを除いてしまっては本来の力は全く出せなくなってしまうのだと、阪神大章典逸走後に躾(しつけ)ばかりに追い回された末の天皇賞惨敗が雄弁に物語っているのではないでしょうか。狂気の天才馬オルフェーヴルは、世界の頂点に最も近くて最も遠い馬なのかもしれません。

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