吉田隆・恵理子夫妻のすばらしい賛美は会衆を魅了しました。
説教者:吉田 隆 宣教師
説教箇所:旧約聖書ヨシュア記 2章(7月3日金沢フィラデルフィア教会にて)
私がミャンマーに行った時のこと。
耳の聞こえない13歳の女の子が毎日集会に来た。
彼女は賛美ができない。見ていて本当に心が痛くて、イエス様の御名によって祈った。
それから6ヶ月が経ち私は再びその教会を訪れた。
見ると彼女は癒されて賛美を歌っていた。
私は教会の牧師に尋ねた。「6ヶ月の間どの位お祈りをしたのですか?」
「毎日お祈りしました。きっと癒してくださるだろうと期待して祈っていました」
「やめようとは思いませんでしたか?」
「何度もやめようと思った。しかし聖霊に励まされ祈り続けた。ある日突然癒された。
すぐにしゃべれなかったが、急速にしゃべり歌えるようになった。」
神様の方法は限定できない。主がすぐにして下さるとは限らない。
ヨシュアがエリコに偵察隊を送ったとき、偵察の二人が入った家の女性ラハブは
ヤハウエという天地の神様を信じていた。
紅海を分けられる奇跡をなしエジプト軍からイスラエル人を救った神を信じていた。
それは40年も昔の奇跡だった。ラハブ以外のエリコの住民も紅海を分けた奇跡を知っていた。
しかしラハブはヤハウエの神を信じ、他の住民は偶像崇拝をしていた。
なぜ違いが生じたか。エリコの町は高さ5m、幅2mの堅固な城壁でめぐらされていた。
住民はイスラエル人にはこの城壁は崩せないと思っていた。
しかしラハブは紅海を分けた神ならエリコの城壁も崩せると考えた。
この住民の思いは、今の我々と同じ。イエス様の奇跡は昔のこと、今はできないと考えてしまう。
中国の50年前は100万人のクリスチャンしかいなかったのに、今は1億人になった。
韓国にもリバイバルが起こった。主は、日本にめぐらされた城壁をも崩し、訪れてくださる。
ラハブは危機感を抱いていた。イスラエル軍が攻めてきたらエリコの町は滅ぼされてしまうだろうと。
ラハブは自分と自分の家族、知り合いをイスラエル軍の攻撃から守るために、
イスラエルの偵察隊に協力した。イスラエルの偵察隊は言った。
「私たちが攻めてきたら、私たちを逃がすために釣りおろした窓に赤いヒモをつるしておきなさい。
その部屋にいる人は救われます。」
これは「主イエスを信じなさい、そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。」
という私たちの十字架の信仰の予標であったと思う。
日本にリバイバルの時に、家族、友人、職場の人が救われますように。
私は預言者ではないので、日本にどれくらいの規模のリバイバルが来るかは分からない。
また主は再臨される。裁きをもって来られる。
その時に私たち自身が、復活できますように祈っていきましょう。
「富士山に登るには、どこから登っても同じだよ」神様に行き着くには、
どの宗教から入っても同じだという考えがある。
しかし主は言われた。
「私は道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してではなくて、
だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネの福音書14:6)
もし私たちが東京湾で溺れたとします。
ヘリコプターが助けに来てくださり、はしごを下ろしてくれた。
でもヘリコプターが嫌いだといって、それを拒んだら助からない。
神は私たちに救いの方法を提示して下さっておられる。
それは十字架の上で流された血潮による贖いという方法である。
これしか助かる道はない。ラハブという一人の女性を通して彼女と関係する
エリコの住民が救われたように、日本にも愛するみなさんを通して、
主は救いを起こそうとされている。
(文責:三浦)
説教者:吉田 隆 宣教師
説教箇所:旧約聖書ヨシュア記 2章(7月3日金沢フィラデルフィア教会にて)
私がミャンマーに行った時のこと。
耳の聞こえない13歳の女の子が毎日集会に来た。
彼女は賛美ができない。見ていて本当に心が痛くて、イエス様の御名によって祈った。
それから6ヶ月が経ち私は再びその教会を訪れた。
見ると彼女は癒されて賛美を歌っていた。
私は教会の牧師に尋ねた。「6ヶ月の間どの位お祈りをしたのですか?」
「毎日お祈りしました。きっと癒してくださるだろうと期待して祈っていました」
「やめようとは思いませんでしたか?」
「何度もやめようと思った。しかし聖霊に励まされ祈り続けた。ある日突然癒された。
すぐにしゃべれなかったが、急速にしゃべり歌えるようになった。」
神様の方法は限定できない。主がすぐにして下さるとは限らない。
ヨシュアがエリコに偵察隊を送ったとき、偵察の二人が入った家の女性ラハブは
ヤハウエという天地の神様を信じていた。
紅海を分けられる奇跡をなしエジプト軍からイスラエル人を救った神を信じていた。
それは40年も昔の奇跡だった。ラハブ以外のエリコの住民も紅海を分けた奇跡を知っていた。
しかしラハブはヤハウエの神を信じ、他の住民は偶像崇拝をしていた。
なぜ違いが生じたか。エリコの町は高さ5m、幅2mの堅固な城壁でめぐらされていた。
住民はイスラエル人にはこの城壁は崩せないと思っていた。
しかしラハブは紅海を分けた神ならエリコの城壁も崩せると考えた。
この住民の思いは、今の我々と同じ。イエス様の奇跡は昔のこと、今はできないと考えてしまう。
中国の50年前は100万人のクリスチャンしかいなかったのに、今は1億人になった。
韓国にもリバイバルが起こった。主は、日本にめぐらされた城壁をも崩し、訪れてくださる。
ラハブは危機感を抱いていた。イスラエル軍が攻めてきたらエリコの町は滅ぼされてしまうだろうと。
ラハブは自分と自分の家族、知り合いをイスラエル軍の攻撃から守るために、
イスラエルの偵察隊に協力した。イスラエルの偵察隊は言った。
「私たちが攻めてきたら、私たちを逃がすために釣りおろした窓に赤いヒモをつるしておきなさい。
その部屋にいる人は救われます。」
これは「主イエスを信じなさい、そうすればあなたも、あなたの家族も救われます。」
という私たちの十字架の信仰の予標であったと思う。
日本にリバイバルの時に、家族、友人、職場の人が救われますように。
私は預言者ではないので、日本にどれくらいの規模のリバイバルが来るかは分からない。
また主は再臨される。裁きをもって来られる。
その時に私たち自身が、復活できますように祈っていきましょう。
「富士山に登るには、どこから登っても同じだよ」神様に行き着くには、
どの宗教から入っても同じだという考えがある。
しかし主は言われた。
「私は道であり、真理であり、いのちなのです。私を通してではなくて、
だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネの福音書14:6)
もし私たちが東京湾で溺れたとします。
ヘリコプターが助けに来てくださり、はしごを下ろしてくれた。
でもヘリコプターが嫌いだといって、それを拒んだら助からない。
神は私たちに救いの方法を提示して下さっておられる。
それは十字架の上で流された血潮による贖いという方法である。
これしか助かる道はない。ラハブという一人の女性を通して彼女と関係する
エリコの住民が救われたように、日本にも愛するみなさんを通して、
主は救いを起こそうとされている。
(文責:三浦)