土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

世界の主流の戦争観 戦争=ビジネス論 前編

2013-05-28 18:35:12 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

私は歴史ファンですけど、ちょっと変わった歴史の見方をします。
それは、「どう考えれば、前後のつじつまが合うのか。」ということを、重視することです。

かなりマニアックなモノの見方だと、自分でも思うのですが、
ある意味での、歴史における原因結果の法則の適応であるし、科学的な分析方法の一つではないかと思っております。

ですから、私の歴史観シリーズを貫くテーマは、つじつまが合うか否か・・・であります。(笑)

さて、世界の国々における戦争観は、私は、戦争=ビジネス・・・ではないかと思っております。

なぜそう思うかは、もう語るまでもないかも知れませんね。
そうです、そう考えた方が、つじつまが合うからでございます。

もちろん全ての国の事情を、私は知りませんので、歴史の表舞台に出てくるような、主だった国々、
欧米列強や、中国各王朝といったレベルではあります。

どう考えても、これらの国々の戦争の歴史を見れば、
既存の国家予算の範囲でしか、戦争をしている様子はない・・・ということです。
その中で、割の合う戦争しか、諸外国は戦争をしている様子はないということです。

どこかの身近な国(日本)のように、国家の存亡を賭けて・・・という戦争の歴史を有している様子は、
全く、微塵も感じられない・・・ということですね。
前後のつじつまで言えば・・・。

第一次世界大戦が泥沼の戦争であった・・・と言われますが、戦勝国は敗戦国のドイツから、多額の賠償金をふんだくっております。

このように、どこかで経済的に”ペイ”しているのです。
これが、戦争=ビジネス論です。

多くの現代日本人には、この感覚がわからないだけだと思います。

現代においては、企業間でM&Aと言われる、企業間買収が行われていますが、
恐らくそういった感覚で、国の経済のパイを増やすために、取れるものは取れる時に、取れるだけ取っておく・・・
というのが、諸外国にとっての、極々当たり前の姿なのではないかと推測するのです。

軍事力や軍事予算は、それを行使しない限り利益を決して産みません。
つまり、山賊方の略奪経済です。

ですから、いざと言うときの手っ取り早い経済として、軍事力を有しているのが、諸外国・・・
そう言い切って良いのではないかと、私は思っています。

そういう眼で見た方が、すっきりと世界史やニュースが読め、理解できるのですね。
(ただ、表面的な大義名分としては、宗教や民族問題が、よく使われておりますけど。)

世界では、語られるのがはばかられるレベルの、ごく当たり前の価値観であるけれども、
日本人でそういう視点を有している人が、極めて少ないだけではないかと、そう私は思っています。

その、国家経済の一つのツールとしての軍事力・・・であり、方法論としての戦争・・・ではないかと私は思っています。
そういう視点を持ったならば、自然と前後のつながりがよくなる事例で、世界史は満ち満ちているからです。

ただ、日本の歴史だけは、それではつじつまの合わないことだらけです。
教科書で習っている歴史観、特に戦争観だけでは、この国の神秘は深すぎて、整合性がなさすぎるのです。


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