土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

征韓論から見た、日本の戦争観

2013-05-31 18:01:23 | 誇るべき日本の歴史

土佐のくじらです。

前回記事で私は、日本の歴史観を、【国防】だと定義付けました。
こう定義付けると、日本の戦争の歴史のほぼ全てが、つじつまが合うからです。

神代の時代から、その名残りはありますが、話の流れ上、明治初期の『征韓論騒ぎ』について述べてまいります。

征韓論が政府で議論されていた頃は、明治4年頃からですから、明治の初期中の初期の出来事です。
廃藩置県の断行が明治4年ですから、まだ徳川の残党も、あちこちに相当いた時期ですね。

当時の明治政府自体が、緊急避難政権、救国政権的な性格を持つものでした。
外国勢力にいかに立ち向かっていく体制を創るか・・・というテーマを持った、一時的な性格の、ある意味で暫定政権なのです。

その政権の初期段階、まだ西南戦争以前の西郷隆盛らがいた頃に、朝鮮を征服するかどうかを動議として出す・・・

皆さん、このことを学校の授業で聞いていて、何か不思議な感じがしませんでしたか?

「そんなことやっている場合なの?」
「えっ、もう侵略のことを考えていたのかよ。日本人は・・・。」
幼かった私も当時は、素直にそう思ったものです。

しかしこの征韓論騒ぎは、世界の一般的な視点である、戦争=ビジネス論では、時期的につじつまが合わないのですね。
この問題はそれでは、しっくりこないのです。

現実の歴史の授業においても、征韓論=侵略論議のニュアンスを含んだ、教え方をしているのではないかと、私は推測いたします。
ここに既に、近代日本=侵略国家観の始まりがあると思います。

しかし日本は、この道義を巡って西南戦争という内戦まで行い、西郷隆盛という、明治政府の最大の功労者を失う・・・
という犠牲を払っております。

西郷さんを否定する・・・ということは、当時ではまだ、維新革命を否定する・・・ことと同じ意味を持っていたからです。

これは、大変な出来事であり、真剣そのものの議論だったはずです。
実際に当時の明治政府は、国外に眼を向けている場合ではなかったはずです。

他国侵略とは違う、別の動機があったはずです。
そう考える方が整合性があり、つじつまが合います。

この征韓論は日本の戦争観、【戦争=国防】という観点を入れない限り、絶対につじつまは合わない、代表的な歴史的事実なのですね。

つまり・・・
朝鮮半島という地形が問題なのです。

朝鮮半島は、日本の九州の北に、突き出すように伸びているじゃありませんか。
これが日本の国防上、極めて問題な所なのです。
つまり、日本に近すぎる地形なのですね。

ここにもし、日本を敵視したり、侵略の意図を持った強大な勢力ができると、日本は外敵からの、常時侵略の脅威にさらされるのです。
力関係によれば、防ぎきれない位置関係に、朝鮮半島と日本はあるのですね。

征韓論騒ぎ当時の朝鮮半島は、李王朝時代ですけど、鎖国をしており清の属国でした。

当時の朝鮮は近代化が遅れていたので、李王朝朝鮮という国自体が日本の脅威ではありません。
その後ろにいる清と、ロシア、そして欧米列強諸国が問題だったのです。

清も近代化は遅れていましたが、国内に西欧列強諸国を抱えていました。
いつ近代化されてもおかしくありません。

そして当時の清は、GDP第1位の大国であります。
清がその気になれば、すぐ近代化したでしょう。

当時のロシアは、冬でも凍らない港を探して、南下する機会を伺っておりました。

近代化された清、そして軍事大国ロシア、
これらに朝鮮半島に南下されれば、また日本を諦めた欧米列強が朝鮮に駐屯すれば、
せっかく苦労して明治維新政府を作り、西欧列強に対峙する体制ができて、
『 占領できない国、日本 』をつくったのに、常時侵略される脅威に、日本はさらされることになるのです。

幕末に日本に訪れた、西欧諸国はまだ良いのです。
彼らは遠いところから来ますので、こちらも準備もできますし、彼らも大量の軍船では、日本には来れませんからね。
つまり欧米から日本へは、大量の兵士を送り込むことはできないので、欧米は日本を占領できません。

戦争=ビジネス国家では、割の合わないことはしませんから、占領できない国は、攻撃さえしないのです。

しかし、朝鮮半島からだと近いので、そこを日本侵略の拠点にされると、大量の外国の軍隊が日本にすぐに来れてしまい、
とても防ぎきれないのです。つまり、明治維新政府のつくった陣形が崩れ、国防の前提が崩壊するのです。

ですから西郷ら征韓論派は、「朝鮮に出兵し、日本国としてしまえ。」と言い、
(朝鮮に開国を迫る、遣韓論という説もあります。)

一方、大久保、木戸、伊藤ら、反征韓論派は、
「それでは、国防ラインが清やロシアと接してしまい、かえって国防上厳しくなる。」
「朝鮮を独立させて清の影響を排し、朝鮮に独自に自国を守ってもらおう。」
という論戦が、征韓論の議論の中心概念なのですね。

征韓論派は、
「それでは、朝鮮が反日になればどうするのだ。」
「朝鮮が、清やロシアに毅然と戦い、勝てるというのか。」

反征韓論派は、
「朝鮮独立で、日本は守れる。」
「清やロシアと戦う力は、今の日本にはない。」

こうどちらも引かずに、結局多数派を形成できなかった西郷らは、明治政府を辞め、
日本は最後の内戦(西南戦争)になって行くのです。

どうです。
一般的な戦争、侵略的意図を持った議論、こういったものが、どこにも出てこないでしょう?

どちらの言い分も、国防論議です。
「どうやって、日本への外国勢力の侵入を防ぐか。」という、方法論の違いだけです。

ロシアのように、港が欲しいから軍事行動を起こす・・・みたいな、戦争=ビジネス論的動機は、一切入る余地がないのです。
戦争観で見た場合においては。

しかし征韓論については、この説が最もつじつまの合う説明になってしまうのですね。

これが日本が、世界の一般的な国々の戦争観、戦争=ビジネス・・・という発想を持ち合わせていない証拠なのです。

日本人の戦争観は、戦争=国防・・・これでないと、つじつまが合わないのです。

むしろ、歴史の教科書などは、戦争=ビジネス・・・という歴史観で書かれていると思います。
ですから、ピントがずれています。

その歴史観、特に戦争観の分析の間違いが、日本人を正しい歴史認識から遠ざけ、
現代日本人に自虐史観を持たせていると、私は考えています。

日本と朝鮮半島の地理的条件は、今も昔も変わっていません。
ですからこの征韓論騒ぎは、現代日本における国防と平和を考える上で、
きちんと認識し熟慮すべき、代表的事例であると私は思います。


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