小雨も降る曇り空だが山の木々もさらにその葉の色を濃くして来た。さすがに東北の落葉樹の山だけある。2日間巣を空けていたジョロウグモが今朝スマートなお腹になって再び姿を現した。やはり産卵していたようだ。巣の回りを見てみたが卵嚢らしきものは見られなかった。見つけにくいところに卵嚢を作ったのだろう。岩手県の瓦礫を引き受けてくれるのはいいが、結局東京都はその引き受ける瓦礫50万トン分の処理を東京電力グループの東京臨海リサイクルパワーへ発注している。200億円以上の予算の大半を使う訳だ。フランス放射線防護原子力安全研究所は福島第1原発事故で海洋に流出した放射性物質セシウム137の総量を約2万7千テラベクレルと発表した。これは先に東京電力が発表している量の30倍近い。先日の空間への放出量にしても東京電力はまったく測定を現実的にはやっていなかった。政府も独自に調査しようとせず、東京電力まかせだった。被曝から住民を守ることにも積極的ではなく、被爆した地域の除染にもほとんど熱意がない。ただ東京電力の存続だけを早々と決めてしまった。25日に内閣府原子力委員会の専門部会は福島第1原発事故の被害額を基に、原発事故のコストを1キロワット時当たり0.0046~1.2円とする試算を出した。福島原発事故を含めた国内実績に基づき、事故の発生頻度を500年に1回とすると、稼働率60%の場合、事故コストは1キロワット時当たり1.2円になると言う。今回の事故は3基から放射性物質が大量放出されたため、これを1回分と数えると、事故コストは3分の1になるのだと言う。しかし、日本国内には54基の原発があることを考えれば、事故の発生頻度は10年に1回だとも言える。どちらにしてもいつも通りの過小評価されたコスト計算でしかない。被害を防ぐ対策も、被害者への補償も、すべてが最小限でしかないのだから、コストが上がる訳がない。国策で始めた原子力発電所がこれだけ日本中に広まったのは、原子力発電が電力会社にとって旨味があるからである。直接的に言えば儲かるからだ。人の命や自然の保存よりも国策が優先される。湯川秀樹氏たちが掲げた『自主・民主・公開』の原子力研究三原則など全く無視されている。首相は英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューに応じて、運転停止中の原発について「(安全評価を原子力安全委員会などがチェックする)一連のプロセスを踏み、再稼働できるものは再稼働していく。」と述べている。福島第一原発事故で原子力安全委員会などのチェックが有効性を失っていることが明確になっているにもかかわらず、また同じ誤りを繰り返している。23日にトルコ東部でマグニチュード(M)7.2の地震があった。この地域はこの100年で死者1000人以上の震災が10回以上もあった。ユーラシアプレートとアラビアプレートが接し、国内には数多くの断層が走る。このトルコ東部の国境地帯に隣国アルメニアのメツァモール原子力発電所があり、今回の地震で被害が出たようで放射性物質がやはり放出されたようだ。ソ連型軽水炉(VVER-440)2基があり、出力はそれぞれ40.8万キロワットで、1号機は1977年から、2号機は1980年から操業を開始している。耐震補強には日本も関わっており、震度8までの地震には耐えられる。1988年12月7日アルメニアで起きたマグニチュード6.9の地震の際、震度6以上で自動停止するように設計されていたが震度5.5であったため原発は運転を続けていた。しかし、発電所のスタッフが避難してしまった。炉心溶融の危険もあったのだ。この原発は従来から世界でも最も危険な原発の一つと言われていた。日本と同じく地震多発地帯なのだ。地震活動期に入っている日本では今後も原発事故の危険性は十分にあるだろう。国民を守らない政府の下でまたさらに多くの人々が被爆させられる可能性がある。
救世菩薩(ぐせぼさつ)