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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

迷惑なメールを阻止しよう

2010-02-16 20:44:20 | いろいろ雑記帖
もうちょっと前からになるのだけれど、下のような迷惑メールがよく来るようになった。

タイトル:"「黄金の株手法」お役立ち情報=7日間によるFXの学校が無料?!"
送信者: 小野寺<gold-s@biz.mymate.jp>

検索してみると小野寺と言う人の株式投資に関する本が出版されているらしい。またこのメールマガジンは勝手に他人のメールアドレスを登録して無作為に送りつけるものとしても有名なようだ。

困るのはこのメールマガジン(らしきもの)はよくあるメールマガジン配信サービスを利用してはおらず、独自配信しているらしい。だからうかつにメールの下部にある配信停止のURLをクリックしてしまうと何が起こるかわからないのだ。もしかしたらクリックした瞬間に不正なプログラムをダウンロードさせられる可能性もあるし、そしてこのパソコンに記録されている友人のメールアドレスなどを取得されてしまうかも知れない。そんな危険は冒せない。

さらに困るのはこのメールをプロバイダで迷惑申告してもメールマガジン扱いだからか、何度申告しても迷惑判定はされないのだ。

そこで、今回、プロバイダに事情を説明して迷惑判定してくれるようにサポートページからお願いのフォームを送信してみた。もしこれが悪質な方法によって取得したメールアドレスを使って勝手に送信しているものだとしたら、この申告によって少なくとも同じプロバイダを使っている人も恩恵を受けるかもしれない事を期待して。


みなさんの中にはこの小野寺からメールが来ませんか?
もし来ているようだったらぜひプロバイダに申告してみてください。

携帯電話に関すること

2010-02-16 11:16:52 | いろいろ雑記帖
ちょうど新世代の携帯電話と言うより携帯端末に関して複数の方からのお話があったので、そろそろそう言う時代なのだなと再認識させられた。

iPhoneはじめ、Android端末、そしてWindows MobileなどのOSが入った携帯電話がそろそろ一般化して来ている。先日の日本への出張などはその必要な機能から言えばそうした小さな端末で済んでしまうことが多いのでわざわざ大きくて重いパソコンなどは必要ないとわかっている。ビジネス用アプリケーションだって使えると言うことも含めてそれは間違いない。

ただ、そこで置いて行かれているのが通信ラインの方で、少しづつ改善されているにしてもまだ通話用とデータ通信用に分かれているし、それは料金設定でも分かれてしまっている。だからせっかくそうした高機能端末を所有しても今まで以上に回線使用料を払わなくてはならないわけで、端末が1つなのに2回線契約しているような状態になってしまうのが現実的と言えるのかどうかと思うところだ。

電話会社は魅力的な端末を用意してシェアを上げたいところだろうけれども、実際に供給している3~3.5G回線を全員が普通に使ってしまうとすぐにパンクと言う原理は変えられないわけだから、こんなに便利ですよと宣伝しながらも裏でハラハラしている事だろう。だから料金設定が変なのに違いない。


それに持ち歩き用端末はやはり持ち歩き用であって、そではないパソコンもそれと接続したり同期したりといろいろ今まで以上に活躍せねばならなくなる。だからでそちら用の回線も別途必要なままだ。無線の回線なら持ち歩きできるわけだけれども、家のパソコンが1台だけで自分が使わない時間は空いてるならそれも可能だけれども実際そうはならない。家の回線は同居している家族も使う。

結局そうした非現実的な出費は今のところ抑えられないわけで、どう魅力的な端末を提示されても今は購入して使う気にはなれないのだ。それに端末の実質価格がネットブックより高かったりするのだから困る。それはそのうちどうにかなるだろうけれども。


さて、高機能端末に良い事はたくさんあるのは誰でもわかる。出先でいろいろに使えると言うわけだから。それは殊更言うまでもない。でも一番良いことはiモードと言う"囲い"から開放されることじゃないだろうか。メールアドレス1つにしても携帯電話に縛られるなんてどう考えても普通じゃないわけで、それがどうにかなるのは確かに進歩ではある。



今朝は角のマレー食堂がやっと開店。超大盛クウェッティオと卵2個で4.5リンギットとおばちゃんが強く主張する。それはないだろう。絶対におかしい。持ち帰り用の入れ物だって安くはないのだ。それで4.5は安すぎる。強制的に5リンギット置いて帰ってきた。

弊害?

2010-01-22 07:29:20 | いろいろ雑記帖
建築ブログに大量のスパムコメントが入っていた。中国語で書かれたたぶんエッチ系サイトへのリンクだと思うがそれを消去。午前4時頃に入っていたものだ。

ブログのようなサービスにはいろいろコメントをいただくことになる。スパムは面倒だけれど、普通はだいたいやわらかいコメントが多い。角が立ちそうなコメントはほとんど無い。
「がんばって」「すごい!」みたいな情緒的に応援してくれそうなコメントはよくあるパターン。書き手を傷つけないようにと言うようなありがたい配慮が感じられる。まあ、でも責任ある発言かと言うとそんなわけでもなくと言うところ。

そうなるとこうしてこんなとこに日記のように書いていても、それもコメントもあまりたいした事はないわけで、スパムも含めて全部インターネットの弊害なのかも知れない。適当に当たり障り無くズズズーと流れていくだけで実際の人間関係とはあまり関係ないのかも知れない。だから「がんばって」って言われても積極的に支持してくれるなんて受け取らない方が良いのだろうか。

なんて思うと結局あまりいろいろ心の行ったり来たりの部分を書かないようになって結論だけポツンとってことになってしまいかねない。

たわごと

2010-01-11 22:32:50 | いろいろ雑記帖
あの世とこの世は地続きだと言う丹波哲郎の言葉が忘れられないのはなぜだろう。

それはさて置き、心と身体は一体だと言う考え方がある。精神と肉体と言うともう少し精神世界的に聞こえる。その仮定が根本的にどうであるのかはいろいろ議論があると思うがいろいろな解釈において肯定しておくことが可能ではないかと思う。


女性はよく化粧をする、女性ならずとも仕事を探す場合には履歴書を書く、外出するときには服装を整える。どれも自分からは見えない行為だけれども他人に見えるものだ。服装を整えてもそれは本人にとって苦しいだけで家に帰ったらネクタイを緩めてふ~と一息つく。快適とは言えないのだ。

世の中には仕事と言うものがある。仕事の内容と言うものはほとんどの場合、他人のためのものだ。自分のやりたい事をやっている人もいるが、それにしてもその仕事は他人に提供されて価値がある。これも時に苦しいこともあり、だ。

こうして人のする事のほとんどは他人のためのものだと言える。


人と人は握手をしたり話をしたりする。相手の好きな話題に合わせて自分の言葉を選ぶ。欲しいものを提供しようと試みる。他人の心を推し量り自分をそちらの方向へ持っていこうとがんばってみたりもする。

そうして心と心はどこかで共感して結びついたり相手の身になって考えるようになることで、いつしか行為ばかりでなく心まで精神までが交じり合う。

人はそうして生きていく。


自分は何のために、自分に合う仕事は何か、自分はいったいどこから来てどこへ行くものか、こう考えていると出口はないのではないか。なぜなら世界は自分の都合に合わせてなど存在していない。

あまり裕福でもないがこうしてこんな事をしていられるのは、少しだけだったかも知れないが自分のしてきた事を誰かが受け取ってくれていたからだ。自分にとってそれはあまり意味の無い行為。自分にとっては将来に繋がらない行動、お金持ちになれない程度のたいしたことのない仕事だったとしても、それを受け取ってくれた人は必ずいた。


どこかで多くの人や世界と繋がっていることを思えば、自分が大切な人でないとかたいした事のない存在だなどと言って軽く見る事はできないだろう。

論理にはヒゲがある

2010-01-03 22:47:41 | いろいろ雑記帖
前回の文章のつづき

何か目新しいものを見せられて「すごい!」と思うことがある。

そのときに「すごい!」で言葉が終わってしまうのはそれが本当にすごい場合もあるけれども、その裏に見ている自分がそれを解釈できないと言う事も否定できない。どちらかと言うとその場合の方が多いだろうと思う。

解釈できないとそれを人は「芸術的」と言い換えてしまう。
「芸術的」と言うのは芸術家個人の頭のどこかからなぜかよくは分からないけれども沸いてきたアイデアを形にしたものをその言葉を使って表現するもので、それは解釈を超えた個人的なものであったり神憑りのようなものを指す。

降って沸くことも神憑りも無いとは言えないのだけれども、どちらかと言うとそれを見る方の不勉強だと考える方が間違いないだろうと思われる。ピカソだって空中にポッカリと現れた人ならぬ人と言うわけではなくて、やはり時代と独立には存在する事のない普通の人間の仲間であるし、ザッハ・ハディドがあの造形を超人的な発想で作り続けていると思うならそれは単に知らないからである。(知っていれば同じことができると言うことではないにしても。)


(話はかなり飛ぶ)
ところで、幾何学のように組み合わされた論理にはヒゲがある。

論理は時間時代とともにどんどん積み重なっていくのであるけれども、そうなればかならず端面にあたる部分が存在する。それは現在と言う端面であって、その端面にはまだ解決されていない言わば「成り切らぬ部分、成り余る部分」が出来ている。

偉い人の書物を読むとそれらがもう全て解決されて表面がツルツルで完全な状態であるかのような印象を受ける場合があるけれども、よくよく見ればその表面には小さなヒゲ状の未解決がたくさん生えている。書物やら作品やらを使って世に何かを出すほどの人は自分の作品の一部に未解決があるとは言わないのだ。そして批評家であってもあまりに現在の端面についてはそれが未解決であるとは断言しない性質があるので傍から見ている素人は結局「すごい!」の部分しかわからないことになる。

そのヒゲと言うのが次の時代の人、つまり今勉強中の人、今巨匠で無い人、今専門家でもない人にはとても重要で、世の中はまだまだ完璧でなくてまだまだすべき事があると言うことを知るきっかけであったり、次のアイデアを掴む取っ手でもある。


そう言うわけで、ヒゲを掴みましょう。



何バカなこと書いてるんだろうね。
そんな事ほとんど誰にも関係ないし感心も無いのにね。芸術をしたい人間は自分自身の中にしか存在しないはずの芸術性なり個性なりヒラメキなりそうしたものを信じたいと思っているわけで、つまり「すごい!」が「すごい!」以上のものである必要なんて何も無いのだから。芸術に限らず多くの事はだいたいそんなものだと認識されているか、適当なスキルの産物だと考えられているに違いないのだから。

論理は幾何学

2010-01-03 10:17:54 | いろいろ雑記帖
あの"おやじ"がぼやいているブログに論理的に考えるのが難しいなどと書いてあった。

論理的に考える力が全員に必要かどうかはよくわからないけれども、論理的に考える事は立体感によく似ている気がしている。

論理を口にする場合にどうしても言葉を使うので幾何学的なものとは違うように思われるかもしれないが、あちらの言葉とこちらの言葉とまた別のところにある言葉がどう関係していて全体として何が言えるのかと言うのは、こちらの点とあちらの点とあの辺とこの辺が結局どんな形になって現れるのかと言うのとそっくりだ。

おやじが言ってるようにラグビーのフォーメーションも論理と関わっているのだろうなと思う。そう言えばサッカーの中田元選手は自分のチームがどんなフォーメーションでプレーしているか常に把握できていたそうで、そこからどう動けば得点に結びつくのかが分かっていたと言う。

最近流行りのマインドマップを使うのもスポーツのフォーメーションに似ている。あれはばらばらに見える選手を全部列挙しながらその関係を見ていくもので、書きながらではそれがどんな形を示すかわからないけれども完成に近くなるにつれて全体の形と関係が明らかになる。


そう言う便利な道具を必要とするのは論理性が人間に元から備わっている能力と言うのではないからだろう。言葉を使って何かを言う自体がもうある程度論理性を必要とすることから自然に身につく部分があるにしても、多分鍛えなくてはならないだろうと思う。

先日ある国際的に活躍されている人が毎日文字をどれだけ読んでいるかと言うことについて書かれていた。その数字は忘れてしまったけれどもやはり目立つほどに活躍する人は忙しいにも関わらずかなりの量の文字数を毎日読むそうだ。速読ではなくてスキミングと言って、どんどん読んでその本の大意をつかむのだと言う。

この大意をつかむと言う作業が論理力を鍛える元ではないかと思う。部分部分の言葉をつなぎ合わせて大きなものを構成する作業が論理力に結びつくのではないだろうか。ラグビーやサッカーのフォーメーションに似ている。

だからたくさんの文章を読み続けるのが訓練としえ必要なのだろうと思っている。そうしてまず1つの文章が構成する立体見えるようになり、その後に複数の文章がさらに大きな立体を構成しているのが見えてくる。また文章と文章だけではなくてその他の芸術作品もその立体の一部となっているように見えてくる。建築が文章で構成されることがあるのはその1つの証拠だろう。

だからどんな文章でも毎日たくさん読む必要があると思うのだ。

mixiチェック終了します

2010-01-01 00:00:01 | いろいろ雑記帖
日本は2010年になりました。あけましておめでとうございます。

ところで、今後mixiのチェックをしない事にしました。このブログはそのまま続けmixiにはその更新が反映されますが自分でmixiにログインして見に行くことはなくなります。万一連絡が必要な場合はメールかブログへのコメントなどでお願いします。

Say No ! to......

2009-12-26 10:46:51 | いろいろ雑記帖
前の記事を投稿しようと記事の下の投稿ボタンを押そうとスクロールしていったら、
「マイクロソフトの最新ブラウザ「Internet Explorer8.0」のgooバージョンを使ってみよう!」
と書いてあって、リンクになっていた。
(今までずっとそれが表示されていたのかどうかわからない。たった今気付いた。)

そっちがそう言うところに勝手にメッセージを書いておくならこっちも......
「 No ! 」
って書いておこう。
最新式の高速PCを持っていてもIEを使っていたらその能力の無駄です。

挿絵がきらい

2009-12-26 10:26:59 | いろいろ雑記帖
挿絵が嫌いだ。

小説のページに入っている挿絵のほとんどはペン画に簡単な濃淡が入っているだけの簡単なもの。理解を助けるために必要な挿絵もあるけれど何より絵が美しくないのが嫌だ。昨日読んでいたマクミランリーダーの中にもそんな挿絵が入っていたけれども、もう少しどうにかならないものかと思う。


小学校の国語の教科書などに岩崎ちひろと言う人の挿絵が多く使われていたのを思い出す。あれは光村図書と言う出版社だったと思うけれど、岩崎ちひろの挿絵が特に嫌いだった。文章で書かれている内容に対して変にイメージを固定してしまう描き方のように思うし、実際文章とあまり関係ないような気がして子供ながらイイカゲンだと感じていた。

その絵自体を鑑賞する人にはそれは趣味の問題として良いかもしれないけれどもどうして国語の教科書のあの文章にあの絵が付いているのかわからない。実はあまり考慮されずに入れられているのだろう。

だから基本的には文字だけの方がイメージが沸いて好きだ。
挿絵があってよかったと思うような小説にはまだ出会っていなかったかと思う。

マジックショー

2009-12-20 22:58:41 | いろいろ雑記帖
今日外出から帰ってみると愛妻さんがハンカチが無いと言う。
洗濯したときにどこかに行ってしまったのだろうかと言う。
洗濯物を乾かすと言っても半室内なので飛んでしまうことはないはずた。

仕方ないので自分のバッグの中を確認してみる。
1枚、2枚、あれっ?
こっちのポケットに3枚?
別のポケットに4枚.......出てきた。

よかった。無くなってはいなかった。
まるでマジックショーのように次々とハンカチが出てくるなんて.....

すみません。わたしはダメな人間です。
愛妻さんごめんなさい。

マンションの一室のような自分

2009-12-15 22:29:22 | いろいろ雑記帖
マンションの1室は完全性を備えている。少なくとも完全性を求められる。鉄のドアの内側には全てがある。補給を怠らなければほとんど何も不足はない。

その状態は現代人の生き方に似ているように思われる。完全でなければいけないし完全でなければ恥ずかしい。完全のために全ての責任を身体内部に閉じ込める。


もしそれを諦めたら?
そろそろ不完全は快適かどうか、確かめてみる時間じゃないだろうか。




(建築の方にも書いた。)

不安を打ち消す

2009-12-06 22:00:59 | いろいろ雑記帖
(ある方のあるコメントについて書いています。)

実は私はリストラに遭ったことがありません。なぜかと言いますと、その前に自分で自分のリストラをするからです。決して他人からそれをされた覚えはないと言うわけなのです。

仕事が無くなったとき不安か、と言うとやはり不安になることはあります。預金額が数千円程度になっていたこともあります。(前に書きました。)後から考えてみるとそれが死ぬほど不安だったとか心配だったかと言うとそれはたいした不安ではなかったと思います。

これからどうなってしまうのかとか、これから何ができるか、これからどう動けば良いのかのような未来が"見えない"不安が一番大きいのではないかと思います。日本人にとって仕事が無いとかリストラされるというのはそこに直結するわけですし、一度そうなると2度と元のような良い待遇は望めないと"確約されている"と言うのもそれを助長します。

そんな時、何かやる事を見つけてやってみると言う方法があります。普通です。資格を取ってみるなどもその1つです。が、これには落とし穴があります。それまでのキャリアに無関係な資格は年齢を重ねるとともに逆の効果を発揮してしまうからです。そうなれば下手に能動的に動くのは得策とは言えません。(実感)

不安を打ち消す方法なんてそう有るものじゃないと思うのです。

そう有るものじゃないと言うのは、こうすれば絶対であるとか、こうすれば誰でもOKのような方法は多分少ないだろうと言う意味です。そう言う事を本に書いている方はかなり多いものですが、それを参考にしたいと思ってしまうのはこれは自分を大多数の中の1人だと認識していて本に書かれるほどに一般的な方法を求めたいからに過ぎません。著者の思う壺です。そうするとそれは要は不安の中にいる時とやっていることは同じですから不安の解消には根本的にはならないのではないかと思います。

ざっと言って、他人任せは無理のように思われます。不安を打ち消そうとするのは不安が有る事を前提にしていますからこれは絶対無理でしょう。そこで、反対の問いはいかがでしょう?

幸せはどんなもの?

これの答えこそは全く他人と違っていますし、自分で考えないと出てくるものではないでしょう。不安を打ち消す方法は、それが効果を上げるかどうかは別として一般化できますけれども、幸せの方はそうは行きません。不安や不満は法律も行政も本もあらゆるシステムも物もそしてお金もどうにかしようとしてくれます。しかしその効果は限定的だと、我々は既に知ってしまっています。

そう言うわけで、不安を打ち消すなど私はどうでも良い事ではないかと思うのです。そんな事より.........

よろこびの原因

2009-10-25 12:12:08 | いろいろ雑記帖
UQ WiMAXと言うのがCMで流れるようになりました。
WiMAXと言うのは何かと言うと........そんなのどうでも良いのです。

CMのプラスチックのカップをパカパカ重ねてスピードを競う競技、スタックと言うらしいのですが、そのスタック編CMの右後の子供に注目です。自分は途中で失敗してしまった後に、前の子が成功したのをまるで自分の事のように喜んでいるのです。そんなメンタリティをこんな幼いうちから身に付けているなんてすごいなあ。自分のことで一所懸命だったり、自分だけに利益を引っ張り込もうとしている大人ばかりの世の中に一筋の光を見たような気持ちになりますね。


愛妻さんは「こんな子になりたい」などと言っています。その歳で子供に戻るなんてできるわけないじゃん。

UQ WiMAX スタック編(クリック)

冬からのお知らせ

2009-10-25 09:27:08 | いろいろ雑記帖
たった今、冬からのお知らせが舞い込んで来ました。

トラベルウォシュレットを使っています。
据え置き型ウォシュレットと違って温水機能が無いのです。
水が冷たいとお尻の穴が凍るかと思うほど冷たく感じます。
あそこは人間の皮膚のなかでも一番敏感です。
この水温でも氷の塊を押し付けたかと思うほどです。
お尻から冬のお知らせでした。