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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

2つのステージ、2つのアイデア

2010-11-16 23:59:59 | いろいろ雑記帖
工業生産を目指して物作りをする場合、2つのステージとそれにともなう2つの考え方が必要になるのじゃないかと感じている。技術の仕事をする場合にはそれを2つ、どっちも持っていて切り替えたり時にはミックスして使わなければならないのではないかと思う。

その2つを説明するにあたっては概論としてなので、ここでは誤解を恐れずばっさり2つに分けて大まかに言ってしまうことにする。

(1)1つ目のステージ(図の上)
ここでは開発とか試作などの段階を言う。ここで間違ってしまっても商品には直接影響は無くて修正が許される。この時点ではバラバラで断片的な情報を集めたり仮定したり想像したりアイデアを出してみたり何でもやってみる。技術を仕事にしている人はここでは独裁者であり遊び人でもありと、ちょっと楽しい思いをすることもできる。

(2)2つ目のステージ(図の下)
ここの段階は実際の生産に入った段階で、ここまで来ると(1)とは違って"キープ"を第一に考えなければならなくなる。今やっている方法が多少ダメだったとしても、相当にダメでなければ安定した状態を保つようにしなければならない。その理由は工業生産品は可能な限り同じ状態の物でなければ信用できなくなるからだ。だからダメが少しあってもそれをわかった上で"キープ"なのである。



(1)はまだ誰が何をしても自由なのだけれど、(2)のときに(1)のような考え方でやってしまうとこれは相当に混乱を招くし、もし仮に良い物ができたとしてもそれが偶然なのか正解なのかが誰にもわからない。つまり良い物でも信用できないものでしかなくなってしまう。はっきり言ってそんな物はお客さんに対して出荷できるものではない。偶然できたものなんて、誰もそれを保証できはしないからだ。品質保証と言うのはすごく良いかも知れません、と言うのでなくて、一定ですよと言う事だ。

良くてもダメだなんて一見矛盾しているように思うかもしれないが、工業生産とはそう言うものなのである。ダメがあるならダメをちゃんとコントロールするのが正しいやり方で、散発的にこっちの方が良いからこっちに変えるなどしていたらそれは木彫りの1品物と同じことで、1点1点に誰かがサインして出荷しなければならなくなる。(3つ位しか作らない工業製品だってあるのでそう言うやり方も無いではないが。)



よく間違えるのが、歩留(ぶどまり)やNG率に関してだ。

歩留が良ければ、または逆のNG率が低ければ品質が良いと普通は考える。歩留は一つの指標なので間違いとは言えないが、全く正解とも言えない。

全体の数に対してNGの数と言うのは、よく考えると端っこの議論だ。どこまで許されるからここまでならOK。その線の内側に入っているなら"一応"あるレベル以上の物になっていると言う考え方だけれども、それは本当に品質の議論なのかと言うとそうでもない。

本当に"品質"を言うのならば、あれとこれとそれがどれだけ影響していてその結果としてターゲットになる中心あたりにどれだけの物が集まるかと言うことを言わなければならない。(ターゲットと中心がいつも同じであるとは限らないが、それも踏まえて中心にどれだけ集められるかと言うこと。)それがどれだけ正確に毎回同じにできるかと言うのが品質なのであって、単純に"良い物"ができると言うのは品質と言うものを簡単に捉えただけの幼稚な発想と言える。


エンジニアって言う人種は時々そう言う間違いを犯すことがある。単純にこっちのが正しいやり方だからこっちにしちゃえ、と(2)の時に考える。技術的には間違いではないので誰もそれを否定できないと言うのもあって、全体をそれによって間違った方向へ迷い込ませることになってしまう。

技術の仕事も技術そのものについてばかりじゃなく、いろいろ考えてやらなければならないのである。

真実の公式

2010-11-06 02:01:48 | いろいろ雑記帖
真実に至る公式を求めよ、と出題された場合、こんなのはいかがだろう?

インスピレーション+(修行x時間)=真実

こんなに単純に済んでしまえば明日、あの角を曲がって歩いてくる神様に会えるはずだ。



何だか今夜は眠れなくなってしまった。今日は特になにもすることなく、少しの買い物を、それもあまり必要でもなかったものだけれども、済まして帰ってきたからだろうか。ちょっと銀行の様子を伺ってきたは来たのだけれど。



縁あって、以前に精神世界関係の本をたくさん読んだ。これは自分の好みでそうしたわけではなくて、たまたま日本語の本にそう言うのが多かったことと勧める人も多かった、さらにそれ以外の本が少なかったと言うこともある。元来文字に書かれたものはなんでも読むようにできているのでそうした書物も苦にならずに読める。楽しんで読めると言った方が近いかもしれない。

楽しんで読めると言うのは、他の分野も読んでいるので頭の中で相対化できると言う意味だ。前にも書いたかと思うが、たった1冊だけよんでこれはすごい本だと言うわけにはいかない。その1冊だけに真実が書かれていれば角を曲がらずとも神様はドアをノックして入ってくるに決まっている。


そうしたわけで、多くの精神世界の書物にもグルの言葉にも本当の意味での真実の公式は無かったと思う。結局、そうした人たちは誰も結論を出すことができないままだった。そして行き着く先は修行であり瞑想であり、そうした結論に導くための方法論を説くに過ぎない。もちろん、そうした方法論を否定はしない。使い方によっては何かに使えるだろう。ただ、それをする事によって誰でもが真実や結論に至るものではない。それは単に方法論なのだし、誰がやってもできる、つまり公式に当てはめられるほど確実なものではないだろう。


真実を求める、そして絶対なる真実があるはずだと言う考え方からして現代教育の産物だとどうしてわからないのだろう。修行を重ねればいつか見えてくるとか言うような単純な理解をしたがるのは"3+5=?でしょう"、と言う教育の成果でしかない。そのやり方が正しいと知らぬ間に教え込まれていて、正しさや秩序や法律やそうした動かせないものが考えてみもせずにあると信じ込んでいるところから来る単純さなのだ。


逆に言えば、何処かに真実があるだろうと言う予定調和的な考え方をしていれば辻褄を合わせるのは割りと簡単なのだ。それをするにはある"世界観"のようなものを作り出せば済むことで、その世界の中だけで丸く丸くまとめることだ。それ以外、例外などを無視しても良いし、異説を唱える者を糾弾する方法も採ることができる。その世界にいれば幸せなのだと言えばそれで良いとも言える。



しかしながら、そうした考え方はそれでも良いとも思う。放っておいてもあまり害にはならないのと、単に趣味の問題だからだ。それに、修行をするのも良いかと思う。但し、ラジオ体操と同じだと思ってすべきだ。

そしてどうせするなら自分のためだけにやるのは馬鹿げている。なぜならそうした具体的な行動自体だけが自分の人生の時間を消費する手段なのだし、結論にも真実にも届かないだろう人間が貴重な時間をかけてすることだからだ。例えば、マザーテレサのように毎日毎日だれかを助けるような事をしていれば自分が死ぬ前までに誰かに感謝されるかも知れないしそうでなくても何がしかの事ができたと思える可能性だって無くはない。もちろんそんなたいへんな事ばかりが修行じゃないだろう。もっと身近な小さいことだってかまわない。仕事によっても出来るかも知れない。

トランスやそれに類する何かだって、それも良い。けれど、酒に酔ってカーネルサンダースを川に投げ込みたくなるのと何が違うのか、風邪薬を飲みすぎて変な感覚になるのと何が違うのか。そうしたところに自分の真の姿を探すのならカーネルサンダースを見るたびに川に投げ込むと言う真の動機を自己の中に認めなければならないだろう。結局本当の自分の思いはどこにあるのかと言う素朴な疑問に立ち返るだけで、自分に対してさへ何も結論は出ない。


修行やその種の事に時間を費やしているうちにどんどん時間は過ぎて行き、最終目的地に到達する前に、これは100%の確立で必ず人生の方が先に終わる。終わるけれども、その行い自体が人生の一部であって真実が無かったから無意味だったと言うことにはならないはずだ。

人間には光り輝く真実でなく、行動する時間そのものしか用意されていない。それが事実だと思うのだ、現実には。



そろそろ眠れるかな?

テーブルマウンテンでボール遊び

2010-11-03 23:59:59 | いろいろ雑記帖
テーブルマウンテンの上でボール遊びをする。

ボールが転がってテーブルの外にこぼれそうになるとみんながそこに集まってきて議論を始める。あと5cm位なら大丈夫じゃないかな? いやあと2cmだろう。落ちるといけないから網を張ろうか。見張りを付けて24時間見張っていたらどうだ? 見張りったって誰がやるんだよ。人数少ないんだから。おまえやれよ。

ボールが外にこぼれちゃったら終わりなわけだからとりあえずはどうしても端っこで食い止めようとする。それは正しいと言えなくもないがそうでもない。



工業生産の品質を考える場合に、NG比率は一つの指標になる。全体数=OK+NG だからNGが少なければOKが多いわけで、それは品質が良いと言うことになるはずだ。はずだ、けれども単にそれは"はず"に過ぎない。本質的にはそれは崖っぷちの議論であって最終手段なのだ。本当はそれはもうやるべき事が無くなってそれしか手立てが無い場合にする議論だろうと思っている。

だから本当はそれは品質なんかじゃない。

品質を議論するのならば、ボールをテーブルのセンターにどう集めてそこでどう楽しく遊ぶかを考えるべきなのだ。ボールが落ちなきゃ良いやなんてのは全然品質をどうにかしようとしているのじゃなく、品質を放棄しているのと同じだ。品質と言うのは限りなくボールを中央のゴールに近づけるた事であって、ボールが落ちるのをどうしようなどと言う消極的な話ではないのだ。


買う方は"良いもの"を買いたいわけで、決して"ダメじゃないもの"を買いたいとは思わないでしょう?

朝に雨

2010-10-30 06:56:16 | いろいろ雑記帖
昨日も今日も朝に雨が降っている。

昨日の方が降り始めが早かったので出るときには小雨だったけれど、今朝は6時半過ぎからなのでこの時間でもまだ雨が激しい。(6時50分)でも昨日のように雷は鳴っていない。今日もポンチョ型カッパを着てスズキ君に乗ることになるな。

マレーシアのiPhoneはsimロックフリーだった

2010-09-20 23:59:59 | いろいろ雑記帖
マレーシアで売られているiPhoneはsimロックがかかっていないようだ。
(このページは一番下の横スクロールバーをスライドさせて見る。)

iPhone ワイヤレスキャリアを検索する - Apple (←クリック)


DiGiの料金プラン(iPhone4 プランに更新。9月25日)



24ヶ月継続契約で月額が88リンギットがその間63リンギットになり、本体価格2690リンギット(32GB)が200リンギット安くなる。(更新9月25日)


MAXISの料金プラン(iPhone4)


24ヶ月契約で本体価格2690リンギット(iPhone4-32GB)が1790リンギットになる。

和朝食

2010-09-15 09:52:34 | いろいろ雑記帖
かなり久しぶりに和食の朝食を食べる。

玉子焼きに秋刀魚に味噌汁、大根おろし。
ビジネスホテルや旅館で出るタイプのあの朝食だ。
でもここはジャカルタ(実際にはジャカルタ市ではない)なのだ。

しかしながら特に懐かしいと言うこともなし。
さて、10時出発でこれから仕事。
今日を乗り切れば一段落だと思うが、どうだろう?

毛がない

2010-07-18 11:20:05 | いろいろ雑記帖
タイパンの朝市でパキスタン・マンゴーを買う。1kgで12リンギット。2個買って13リンギットだった。この国ではもう農産物輸入は普通で、前にも書いたけれどイスラエルからの柿なども食べている。そろそろラマダンの時期に近づいているのでドライ・デーツ(ナツメヤシの実)も北アフリカ、中東、中国などから多く輸入され始めた。美味しいものが好きなだけ食べられるのはうれしい事だけれども、農業よりも儲かる商売が他にいくらでもあるのだから仕方が無い。それは日本も通ってきた道なのだ。



美味しいものと言えば、タイパンにやっとまともなパン屋さんを見つけた。キャサリンさんが果物屋さんの隣のパン屋さんのショーウィンドウにあんドーナツがあるらしいのが気になっていたと言う。それでは一度確かめてみようと入ってみた。間口が狭いけれども中は広めでカフェでもあった。コーヒーはイタリアの豆だ。

あんドーナツだと見えたのはアップルあんドーナツだった。それも美味しいのでがっかりしたりはしない。新発売のパンダン・ココナツは見た目は抹茶あんパンに見えるが、生地の緑色はパンダンで中身はグラインド・ココナツを甘く味付けしたものだった。こう書いてしまうと、なんだ、なんちゃってパン屋かと思われてしまうかも知れないが、そうではない。生地自体がよく醗酵されていてソフトでそして甘みが少なくて美味しいのである。

ショーケースを見てみると、なるほどこのパン屋さんには毛の生えたパンが1つも置いてない。それで納得。マレーシアのパン屋さんの多くは中華系が元のようで多くのパンに日本で言うデンブ(田麩)が付いているのが多い。だいたいそう言う毛の生えたパンを売る店の生地は甘く、具はけっこう極端な味だったりふっくら見せるために中身が空洞だったりエッグタルトの卵の味が生臭いほど強かったりと、どこかで見て来てまがい物を作ってみましたと言うようなものが多いのだ。(彼らの名誉のために言っておくと、全てが不成功に終わっているわけではない。)

東南アジアのパンの中でも、日本のとも、そうした中華系のとも違う生地のしっかりふっくらと醗酵して柔らかいパンが時々ある。しっとりした生地の小麦の美味しさと言うのがあるのだ。ジャカルタで無店舗で売っているパンやペナンのジョージタウンのパン、バリのタバナンのパンなどいくつか思いつく。このタイパンの""PATISFRANCE"のパンはそれよりちょっと日本の生地に近いけれどなかなか良いと思う。マラッカから来たパン屋さんだ。



タイパン・カレー・ハウスと言うそのものズバリ名前のインド系食堂にインド風お粥があったので食べてみた。すっきりした味で朝にはぴったりだ。帰りがけにこのお粥の名前を聞いてみたが、ただのライスだと言っていた。もしかしたらこの店にしか無くて、まだ名前が付けられていないのだろうか。



最初の写真はタイパンでインドっぽいマッサージを提供している店の求人広告。給料を明示しているのがとても珍しいので撮ってきた。月に2500リンギット(約7万円)と悪くない。それに保険関係も充実しているし、年毎のベースアップ、ボーナス、出来高部分の割り増しまでも明示している。体験のためかどうかわからないが、従業員が自分で受けるのは無料だとも書かれている。

どうして土日はニュース無いの?

2010-07-11 10:44:49 | いろいろ雑記帖
土日は比較的時間に余裕がるのでインターネット上のニュースをまとめて読もうと思うけれども、新聞社、雑誌社などマスコミ関係者も土日は休むようで土日は更新がほとんど無い。こう言うのは普通なわけだが、何か期待してしまってブックマークのページを表示させてみるとやはり更新が無くてがっかりする。昨日の画面と同じトップ記事、同じ写真のサムネイルだとああ、やっぱり彼らも休んでいるのね、と。世界のニュースは土日もきっと均等にあるんじゃないかと思うけれども、そう言うのも月曜日までお預けなのだ。

最近はどの社会も勤め人が多くなっているのでみんなでデモでもやろうかと思うときっと休日を選ぶ人が多いのかなあと想像したり、テロだって怪しまれないように金曜日まで普通に会社に出て土日でやろうかと思ったりするかも知れない。土日に大勢が集まるイベントがあってそれを狙おうと言う場合もある。選挙だって土日に投票日が設定されている。

逆に企業さんはやはり土日が休みと言う場合が多いのであまり重大な発表とか新製品の発表が無いかも知れないな。


土日休みで記事が出ないと言うことは、新聞社、出版社もまだ事務所に出勤してそこで記事を書いてそれを責任者の誰かに送ってOKを貰ってから出しているのだろうか? こんなにネットワーク上で多くのことができるようになったけれども、このあたりは未だに土日や事務所の地理的な制限に左右される状態が続いていると思うと不思議だ。ボーダレス、壁の無い社会、いろいろ言われるけれども依然としてボーダーも壁もあるのだ。

婚姻大事

2010-07-09 22:26:02 | いろいろ雑記帖
「紅番茄」と書いてどう読むか知らないが英語にすると"red tomato"と言う。これは中国語の無料新聞の名前だ。アパートの出入り口で毎週セキュリティーの人が配ってくれる。

日本人は中国人と見た目が似ているのでこれをくれたりするがもちろん何も読めないので時々しかもらわない。その代わりに英語版の方のSUNを貰うことにしている。中国語版は刺激的な写真が多くて日本で言えばスポーツ新聞のような感じがするが読めないし毎度同じような感じがして面白くも無い。

この新聞の中にはちょっと覗き見趣味的なところがあって、例えば今回は「婚姻大事」と言う記事に結婚式に必要な費用が表になって出ている。そう言うのは日本でもよくあって、きっとこれを見て他人はどの程度の結婚式をやるのだなあと思うのだろうが、中国系も同じ事を考えるのかもしれない。

1.結婚晩宴(たぶん披露宴のこと):RM30,000
(500人程度参加)
2.結婚戒指(たぶん結婚指輪):RM6,000
3.結婚照片(たぶん結婚記念写真):RM3,000
4.結婚礼服与外套(たぶん衣装代):RM4,000
5.礼物(引き出物だろうか?):RM3,000
6.蜜月(並州地区)(たぶんハネムーン):RM4,000
7.其他"惊喜"(その他。"ケーキ"か?):RM5,000
トータルでRM55,000(150万円ほど)

けっこう高いと思って日本での相場をネットで調べたら300万円から400万円と書いてあった。額面ではもちろん日本の方が高いが、物価から考えるとマレーシアの中国系の方が結婚にお金をつぎ込んでいることになる。


と、余談が長くなったわけだが、今日は自分とキャサリンさんの結婚記念日だ。もうこれで8年が経過したことになる。あの時何をどう思っていたのかと8年前のブログを見る。

が、8年前にはまだブログは始めていなかったことに気付く。

確かあの日は映画「I am Sam」を見ていた。知恵遅れのサムがスターバックスで働く様子がとても新鮮に見えた。なぜならあんなに素敵なお客への応対をする店員さんなど日本にはいないと思うから。そう言えばマレーシアではジャスコ・カード(スーパーマーケットのジャスコがマレーシアにもある。そのポイントカード。)を持っているとスターバックスが10%引きになる。しかしながらスタバのメニューではコーヒー1杯でも1食分以上に相当するから10%引きで喜んでも仕方ない。と、また脱線したが、映画ではビートルズの曲が全体に流れていたっけ。All you need is love~♪


紅番茄は次のページをめくると「現代式離婚」と言う特集ページになっている。何て直接的で刺激的なんだろう。なにはともあれ、キャサリンさん8年間我慢してくれてありがとう。

「1Q84」book1おわり

2010-06-24 06:55:33 | いろいろ雑記帖
「1Q84」のbook1を昨夜、読み終えた。
この先どうなるのか気になる終わり方だ。
国際交流基金でbook2を借りてみることにしたいが、いつ借りられるだろうか。

ところで、ちょっと気になること。
(1)登場人物が1人の頭から出てきた複数の人工的な人格であるかのようにに感じられる。これは後半になるほどそう思える。作者がこの物語を成立させるためにとても便利にそれらを将棋の駒のように動かしているようで、何だか不自然だ。下手な落語家の話しぶりに似ている。これは意図的なものなのか?

(2)人の人格を表すのに「物」が多く使われる。ブランド名、お酒の名前など。1980年代らしいと言えば言えなくもないが、これも時代を表現するための意図的な方法論なのか?、もし無意識に書いているのだったらちょっと古臭いやり方と言えなくもない。

メールの仕事の大半は...

2010-06-21 22:21:10 | いろいろ雑記帖
仕事でメールを使っているが、メールは便利です。
今ここに居ないたくさんの人に言葉を一斉に送信できます。
そうすると何かしてやったり、と言うような感覚を覚えます。
メールの内容が複雑であったりすればするほどそうです。

しかし、この感覚が実は曲者です。
私はメールを送信しただけで実際には仕事などしていません。
何も実質的には動くことはないのです。

よく考えるとメール仕事の大半は単なる「転送」に過ぎません。
サーバはあっちの言葉をこっちにコピー・リレーすることで仕事をしていますが、メールを送信すると言う仕事はそれと同じです。

人力によって転送する場合、多少内容が書き換わって元とはちがうんだよ、と言うことでしょうが、だいたいそれはノイズに過ぎません。ノイズを乗せて転送しているに過ぎません。今や多くの人がそれを仕事にするようになっていて、ある意味効率化した部分もありますが非効率化した部分もその2倍はあります。何しろ機械の代わりを人間がやっているわけですから。

コンピュータを使って何かを実質的にクリエイトしている人はあまり多くはありません。ほとんどの場合、コピーする、転送する、消費すると言う行為です。もちろん全員がクリエイターである事は考えられません。ごく一部の人がそれを有効に使うために他の大半の人々はそれを消費する、その構造は出版でもマスコミでも製造と消費の関係でも何でもきっと同じです。

我々は口を開けて餌が落ちてこないか待っている雛鳥なのです。


わけのわからないことでした。
ピーピー

便利なインターネット

2010-06-16 22:04:21 | いろいろ雑記帖
シンガポール政府は全居住者500万人に政府からの文書を受け取るためのメールアドレスを配ることにしたと言うニュースが出ていた。同ニュースによると国民のうち、家にパソコンがある人の割合が83%にもなるそうでかなりパソコンの利用率が高いらしい。

さすがシンガポール!進んでると言いたいところだけれど、1960年代に作られたインターネットと同じかさらに古い文字情報を送る技術でこんな事をしようとは、逆に遅れている感じがしなくもない。

またさらに逆に、あるものは利用しなくちゃね、とも思うのでこれも当然考えられる手段なのだろうか。



もう一つ、インターネットの話題で興味深いのが"iUniv"と言うサービス。世界の大学の公開されている講義がビデオなどで見られるとの事。こう言うコンテンツを積極的に利用する人はどんな人たちなのだろう....?



キャサリンさんはあれから(Windowsが遅くて困ったときから)Puppyだけを使っている。インターネット関係だけなので特にそれで不便はないらしい。こう言う人ならこの古パソコンが壊れてiPadとかそれに類する簡易な機械になってもきっと不便を感じる事はないのだろうと想像する。

パソコンなんて100個も200個もある機能のうちの3個ほどを使えれば成立するものなのだろうなあ、と思うのだ。

足がつったカモメ

2010-05-09 09:34:02 | いろいろ雑記帖
今朝、寝ていた時に全身で伸びをしたら左足のふくらはぎがつった。痛みを感じた時には既に遅く体を縮めてももうダメだった。

足がつる原因は何だろうと検索してみたらミネラル不足、水分不足、病気などいろいろあるらしかった。それを読むと幸いにもミネラルの摂れる食物は不足していなようだ。オレンジや小魚類、わかめ、酢も食べている。一番可能性のあるのが水分不足かと思う。1日中気温が高いし寝ている間にも汗をかいたりシーリングファンにあたっているから水分が失われやすいと思う。気をつけないと。



キャサリンさんは昨日国際交流基金に行ってカモメ食堂のDVDを借りて見てきたそうだ。キャサリンさんは小林聡美が好きだとの事だ。小林聡美もキャサリンさんと同じようにジョン・トラボルタが好きらしいがそんな事はどうでも良い。カモメ食堂の中身を話してくれたのだけれども何だか連想ゲーム的に話が続く物語のようで、舞台でやるギャグっぽいお芝居の話を聞いているようだった。それで結局その話が何を意味しているのかまでは残念ながら伝わっては来なかった。自分で見てみるしか無さそうだけれど、その機会を持とうと思うかどうかは微妙だ。


その映画の舞台になっている食堂がどうしてカモメ食堂なのかはよくわからないが、カモメは船の手すりなどにとまっている時に足がつったら海に落ちてしまうのだろうか? それとも空中クルクル飛びながらもがき苦しむのだろうか?

つまらない美の話

2010-05-08 23:55:14 | いろいろ雑記帖
夕食のテーブルの上にランブータンが置かれていた。ピンポン玉ほどの鮮やかに赤くて丸い実にやわらかい黄緑色の棘がたくさん生えている。その形と色は熱帯地方の果物らしい鮮烈な印象を受ける。

昔インドネシアでこうした熱帯の果物や花の絵、彫刻をよく見た。ただ、作っている彼らはその形も色も自分と同じようには感じていない事はわかる。美しいとも何とも思っていなくて単に外国人観光客に売れるから描いたり掘ったりしていると言う印象しかその作品からは受けないのだ。

中国人はお金に余裕があると絵をよく買うらしい。彼らが買う絵と言えばだいたい赤い鯉の泳いでいる姿とか勢いよく走る馬と相場が決まっている。その絵がどれも素晴らしい出来かと言うとそうでも無くて、彼らなりに縁起良く感じられるかどうかで選んでいるようだ。

インドネシアである芸術大学を卒業して絵を描いている人達(インドネシア人)による展覧会と言うのを見に行ったことがある。その描く技術なりがどうなのか自分には評価できないけれども、彼らが描くのは社会の問題を象徴するものばかりであってその絵を居間に飾ってその美を楽しもうと言うようなものではなかった。


どちらにしても芸術、美術、工芸のようなものではあるわけで、それがいけないと言うことは誰にも言えない。それにしても美と言うようなものがその中に絶対にあるべきと言う事でもないと言うのはよくわかる。美も単にそうした活動の数ある中の1つの要素に過ぎないのだろうと思う。



何てつまらない話なんだ。

Slateと仕事パソコンの問題 その3.1

2010-05-01 08:51:47 | いろいろ雑記帖
昨夜、HPのSlateに期待していると書いたら既に開発が中止されたのではないかとの噂が流れていた。噂だから本当かどうかわからないが、これはHPによるPalm買収の関連するらしい。これによってHPはWindowsの入った端末からPalmのWebOSにシフトしていくのではないかと言う事だ。もし本当だったら残念だ。

事務員さんが使うような普通のラップトップを安いからと言う理由でエンジニアが持ち歩くなど考えられないし、ThinkPadのような加速して画面のどこへでもすばやく飛んで行けるポインタも無いトロいGUIなんてイライラするためにあるようなものだ。だったら画面タッチをメインにしたSlateやiPadのようなデバイスの方がうれしい。


それにしてもPalm買収でSlateが本当に開発中止なのだろうか?

普通に考えればWindowsが乗っているものの方が売りやすい(特に日本では)だろう。しかしKindleとかiPadのようにそれとは無関係に売れているデバイスもあってパソコンとは別の魅力的なビジネスが成り立つ世界もあるわけだし、逆にその方がWindowsのような複雑さや面倒臭さを廃することも可能だろう。

いくら最新のWindowsが乗っているとは言え、やはりWindowsはWindowsなわけでSlateがいくら魅力的なインターフェイスを備えたものであってもパソコンと同じ程度のメンテナンスや注意深さから逃れることはできないだろう。そしてWindowsを使うと言うシチュエーション以外では日常のどの場面でも利用できない無駄な知識が多く必要と言うわけだ。(それはもちろん誰だってゲンナリする。)それに儲からないデバイスを売って収入を得続けなければならない。

HPが世界シェアNo.1の立場を利用してもうそろそろそうした変なものから人々を解放しようとする事や、AppleやAmazonを見て別のビジネスモデルを作ることの方に注力しようとする事だって考えられないわけではない。

今後の成り行きを見守るしかないが注目しておきたいが、Slateのような"パソコン"は他に無いのでできれば出してみてはいただきたいと思う。