買い物の途中に、サイクルランドちゃりんこに寄った。サイクリング用の手袋を買うつもりだったのだが、ベラベラしゃべって何も買わず、逆にお土産までいただいた。
「K住さん。手袋じゃないよ、グローブだよ」
駄客に言い方のアドバイスまでしてくれるY崎さんである。
さて、私が行ったとき、ちゃりんこにはバリバリのサイクリストI田さんがいた。その後、最近サイクリングにのめり込んでいるO澤君が、2人の友人とともにやってきた。なだれ込み現象はここでも起きている。
たぶん、地域のところどころにこうした場所はあり、それは自転車やさんだったり、お化粧品やさんだったり、喫茶店だったり飲み屋さんだったりするのだけれど、共通の趣味、共通の土地柄、共通の感性などで人と人とをつなげる。
その価値を外に向かって発信しないし、そもそも価値だと意識していないかもしれないけれど、そこには確かに地域における価値がある。
なだれ込み研究所の一日をブログで発信しようと思ったとき、ここで起こる様々な出来事を、中にいる人だけが知っているのはあまりにもったいない、と思った。言葉に出して「こうだ」と明確に言えないけれど、それでもここにしかない価値を感じ、発信したいと思った。
なだれ込み研究所の社長であるS水さんは、私のことを「まとめることのできる人」と評してくれたが、たぶん、私のまとめる力がブログを書くとき役に立っているのは確かだ。さらに、なだれ込み研究所での日々の仕事やブログを書くことが、さらに私のまとめる力を向上させてくれていることも実感している。
ただ、最近思うのは、まとめる力がつけばつくほど「物語」は書けなくなってしまうかもれない、ということだ。と同時に、でも私が今ここにいるのが偶然ではないのだとしたら、私が書かなくてはいけない、とも思うのだ。
そんなことを思いながら、久々に本屋さんに行った。
「おおーっ!『彩雲国物語』の新刊が2冊も出ているではないか!」
2冊出ていたことに気づかないほど、本当にしばらくぶりの本屋さんだった。マンガのようにスルスルと読めるライトノベルだけど、主人公秀麗(しゅうれい)の、まるで私の心をそのまますくい取ってくれたかのようなセリフがあった。
「強がらなきゃやっていけないことだってあるんだから。カッコつけたい人にはうっかり強がっちゃうし、認められたい人には弱音なんか吐かない。頑張れって言ってくれる人の期待には調子こいて応えたいって思うし、無理するしかないに決まっているんじゃない。1回でも『もーいっか』なんて思ったら、それきりズルズル行っちゃうんだから。口だけでもエラそうなことを言わなくてどうすんのよ!」
あまりに痛快で「秀麗ちゃ~ん!」と思わず叫び、娘に軽蔑の目を向けられた。
ちなみに昨日は、宮部みゆきの『名もなき毒』(幻冬舎)を読んだ。刊行されたと同時に図書館に行って予約したのだが、5ヶ月たってようやく順番が回ってきた。
私にとって、今も『火車』が宮部みゆきのベストなのは変わらないが、これはこれで面白いしうまいし、宮部みゆきでなければ書けないテイストやフィーリングがてんこ盛りだ。うますぎて、さらりと書いたように感じさせるから「もの足りない」と感じる人もいるかもしれないが、それは作者が宮部みゆきだからだろう。
私には、主人公杉村の義父(妻の父)である今多コンツェルンの総帥今多嘉親(80歳)が素晴らしくカッコよかった。
「権力というものをどうお考えですか」
の問いに、今多嘉親は「空しいな」と答える。
「社員達がわけのわからん薬を盛られて、それが誰の仕業かわかっておっても、手出しができんのだ。それが何の権力者だ。そう思わんか」
そして、こう続けるのだ。
「究極の権力は、人を殺すことだ。他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。無力なことでは、そのへんの小学生と同じだろう」
この言葉を読んだとき、作者は『模倣犯』で答えの出せなかった問いの答えに(それは社会もいまだ答えを出せずにいることなのだが)、自分のこととして苦しんでいるのだと私は感じた。作家とは、なんと苦しいものなのだろうとも。
「なぜ、そうした権力を求めてしまうのか」の問いに、作者は一つの考えを提示している。今多嘉親の言葉を借りて。
「飢えているんだ。それほど深く、ひどく飢えているのだよ。その飢えが本人の魂を食い破ってしまわないように、餌を与えなければないない。だから他人を餌にするのだ」
この『名もなき毒』は『誰か』の続編であるのだが、新たなキャラクターも登場して、このシリーズの先がさらに楽しみになってきた。
あれこれ考え、あれやこれや読み、でもサイクリストOさんに借りている本はいまだ進まず、年賀状も待ったなしの状況、クリスマスイブだというのにこうして自分の心を大仰にまとめ、それで心が安堵しているような気分になっている、そんな休日の一コマでした。
(2177文字、原稿用紙5枚強も書いてしまった……)
「K住さん。手袋じゃないよ、グローブだよ」
駄客に言い方のアドバイスまでしてくれるY崎さんである。
さて、私が行ったとき、ちゃりんこにはバリバリのサイクリストI田さんがいた。その後、最近サイクリングにのめり込んでいるO澤君が、2人の友人とともにやってきた。なだれ込み現象はここでも起きている。
たぶん、地域のところどころにこうした場所はあり、それは自転車やさんだったり、お化粧品やさんだったり、喫茶店だったり飲み屋さんだったりするのだけれど、共通の趣味、共通の土地柄、共通の感性などで人と人とをつなげる。
その価値を外に向かって発信しないし、そもそも価値だと意識していないかもしれないけれど、そこには確かに地域における価値がある。
なだれ込み研究所の一日をブログで発信しようと思ったとき、ここで起こる様々な出来事を、中にいる人だけが知っているのはあまりにもったいない、と思った。言葉に出して「こうだ」と明確に言えないけれど、それでもここにしかない価値を感じ、発信したいと思った。
なだれ込み研究所の社長であるS水さんは、私のことを「まとめることのできる人」と評してくれたが、たぶん、私のまとめる力がブログを書くとき役に立っているのは確かだ。さらに、なだれ込み研究所での日々の仕事やブログを書くことが、さらに私のまとめる力を向上させてくれていることも実感している。
ただ、最近思うのは、まとめる力がつけばつくほど「物語」は書けなくなってしまうかもれない、ということだ。と同時に、でも私が今ここにいるのが偶然ではないのだとしたら、私が書かなくてはいけない、とも思うのだ。
そんなことを思いながら、久々に本屋さんに行った。
「おおーっ!『彩雲国物語』の新刊が2冊も出ているではないか!」
2冊出ていたことに気づかないほど、本当にしばらくぶりの本屋さんだった。マンガのようにスルスルと読めるライトノベルだけど、主人公秀麗(しゅうれい)の、まるで私の心をそのまますくい取ってくれたかのようなセリフがあった。
「強がらなきゃやっていけないことだってあるんだから。カッコつけたい人にはうっかり強がっちゃうし、認められたい人には弱音なんか吐かない。頑張れって言ってくれる人の期待には調子こいて応えたいって思うし、無理するしかないに決まっているんじゃない。1回でも『もーいっか』なんて思ったら、それきりズルズル行っちゃうんだから。口だけでもエラそうなことを言わなくてどうすんのよ!」
あまりに痛快で「秀麗ちゃ~ん!」と思わず叫び、娘に軽蔑の目を向けられた。
ちなみに昨日は、宮部みゆきの『名もなき毒』(幻冬舎)を読んだ。刊行されたと同時に図書館に行って予約したのだが、5ヶ月たってようやく順番が回ってきた。
私にとって、今も『火車』が宮部みゆきのベストなのは変わらないが、これはこれで面白いしうまいし、宮部みゆきでなければ書けないテイストやフィーリングがてんこ盛りだ。うますぎて、さらりと書いたように感じさせるから「もの足りない」と感じる人もいるかもしれないが、それは作者が宮部みゆきだからだろう。
私には、主人公杉村の義父(妻の父)である今多コンツェルンの総帥今多嘉親(80歳)が素晴らしくカッコよかった。
「権力というものをどうお考えですか」
の問いに、今多嘉親は「空しいな」と答える。
「社員達がわけのわからん薬を盛られて、それが誰の仕業かわかっておっても、手出しができんのだ。それが何の権力者だ。そう思わんか」
そして、こう続けるのだ。
「究極の権力は、人を殺すことだ。他人の命を奪う。それは人として極北の権力の行使だ。しかも、その気になれば誰にでもできる。だから私は腹が立つ。そういう形で行使される権力には誰も勝てん。禁忌を犯してふるわれる権力には、対抗する策がないんだ。無力なことでは、そのへんの小学生と同じだろう」
この言葉を読んだとき、作者は『模倣犯』で答えの出せなかった問いの答えに(それは社会もいまだ答えを出せずにいることなのだが)、自分のこととして苦しんでいるのだと私は感じた。作家とは、なんと苦しいものなのだろうとも。
「なぜ、そうした権力を求めてしまうのか」の問いに、作者は一つの考えを提示している。今多嘉親の言葉を借りて。
「飢えているんだ。それほど深く、ひどく飢えているのだよ。その飢えが本人の魂を食い破ってしまわないように、餌を与えなければないない。だから他人を餌にするのだ」
この『名もなき毒』は『誰か』の続編であるのだが、新たなキャラクターも登場して、このシリーズの先がさらに楽しみになってきた。
あれこれ考え、あれやこれや読み、でもサイクリストOさんに借りている本はいまだ進まず、年賀状も待ったなしの状況、クリスマスイブだというのにこうして自分の心を大仰にまとめ、それで心が安堵しているような気分になっている、そんな休日の一コマでした。
(2177文字、原稿用紙5枚強も書いてしまった……)