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▲ご近所の名人から頂いた、米の粉の芸術品“やしょうま”
信州松本地方では、お釈迦様の亡くなられた2月15日の涅槃会(ねはんえ)のお供物として、2~3月に米の粉で「やしょうま」を作ります。
作り方は、米の粉を蒸して、食紅で色を付け、棒状にのした何種類ものパーツを作ります。そのパーツを組み合わせて模様を作り、周りは板状の生地で巻き、長く細く伸ばします。直径20cmぐらいのものが、5~6cmになるまで力を入れて伸ばします。すると、金太郎飴の原理で、どこを切っても同じ模様が出ます。
お釈迦様の弟子のヤショが作って差し上げたところ、お釈迦様が「ヤショ、これはウマ(旨)いぞよ!」と言われたことから、“やしょうま”と呼ばれるようになったとか。
昔は、近くのお堂に涅槃図が掛けられ、その前にお供えをしたり、みんなで交換をしました。小学校へ持って行き、先生を囲んでストーブの上で焼いて食べたりしました。
懐かしい“やしょうま”ですが、今では作る人は少なくなり貴重品です。米の粉で作った芸術品、軽く焼いて砂糖醤油で食べます。古の良き時代を、懐かしく想い出させてくれます。
お帰りにはこちらも
信州松本地方では、お釈迦様の亡くなられた2月15日の涅槃会(ねはんえ)のお供物として、2~3月に米の粉で「やしょうま」を作ります。
作り方は、米の粉を蒸して、食紅で色を付け、棒状にのした何種類ものパーツを作ります。そのパーツを組み合わせて模様を作り、周りは板状の生地で巻き、長く細く伸ばします。直径20cmぐらいのものが、5~6cmになるまで力を入れて伸ばします。すると、金太郎飴の原理で、どこを切っても同じ模様が出ます。
お釈迦様の弟子のヤショが作って差し上げたところ、お釈迦様が「ヤショ、これはウマ(旨)いぞよ!」と言われたことから、“やしょうま”と呼ばれるようになったとか。
昔は、近くのお堂に涅槃図が掛けられ、その前にお供えをしたり、みんなで交換をしました。小学校へ持って行き、先生を囲んでストーブの上で焼いて食べたりしました。
懐かしい“やしょうま”ですが、今では作る人は少なくなり貴重品です。米の粉で作った芸術品、軽く焼いて砂糖醤油で食べます。古の良き時代を、懐かしく想い出させてくれます。


