昔の望遠鏡で見ています

昔の望遠鏡による天体観望と、その鏡景写真についてご紹介します

アストロ光学の接眼鏡

2020-02-26 | 天体望遠鏡


 アストロ光学T-8型天体望遠鏡には3個の接眼鏡が付属しています。画像は、HM12.5とHM6です。後のアストロ光学工業の接眼鏡と見口の形状は同じですが、脇のシールはありません。なお、見口はプラスチック製です。





 もう一つは、地上用接眼鏡に組み込まれたK22です。銀色の部分を伸縮させることで、倍率を変えられるようになっています。伸縮させたときの感触はとてもスムーズで、60年以上前に作られたものとは思えませんでした。




 HMの裏側を見て、見慣れた接眼鏡と様子が異なっていることに気が付きました。なんと、円錐形の頂上部を切った形状の物が視野レンズの手前にあるではありませんか。最初、視野環かと思いましたが、これはHMの負の接眼鏡ですから、そんな筈はありません。きっと、望遠鏡の鏡筒内部の遮光環に類するものなのでしょう





 HM6を、分解してみました。すると内部は、すり鉢状になっていました。この遮光環とも呼ぶべきものを、どのようにスリーブ本体に取り付けているかは、確認できませんでしたが、とても凝った構造だと感じました。




 K22の文字の反対側には、Aの文字がありました。裏から見ても、アストロ光学製だと判るように作られているのでしょう。白地に赤の文字は、鏡筒銘板の製造番号と同様の配色で、一つのアクセントになっています。

 今では加工賃が高くなってしまい、とても採用することが出来ない構造や意匠も、その当時は可能だったのでしょう。これらの接眼鏡は、一見すると現代の製品と同じ様に見えますが、実際はとても凝った造りになっていて、古き良き時代を反映した製品なのだと判りました。


新旧アストロ5cm鏡筒

2020-02-23 | 天体望遠鏡



 ”人気のアストロ”の5cm鏡筒2本です。一つはアストロ光学製でもう一つはアストロ光学工業製です(以後、アストロ光学製を旧鏡筒、アストロ光学工業製を新鏡筒と呼ぶことにします)。上記画像では、新鏡筒が上で旧鏡筒が下です。ともに口径5cmで焦点距離は500mmと、同じスペックです。
 鏡筒の長さはほぼ同じですが、若干旧鏡筒の方が長いようです。
 新鏡筒は、塗装が傷んだので、壁紙が貼ってあります。また、ドロチューブを固定するためのネジ穴が、銘板上から後加工されています。旧鏡筒は汚れからか、全体的に黄ばんだ状態になっています。





 新鏡筒には、ねじ止めするための台が付属しています。
 レンズセルは、若干形状が異なりますが、ともに鏡筒へねじ込み式で、試しに交換して取り付けてみましたところ、共に取り付け可能でしたので、鏡筒径とネジの規格は同じなようです。新鏡筒のフードには、ねじ込み式蓋を取り付けるためのネジが有りますが、旧鏡筒のフードには見られません。





 ラックピニオンカバーもほぼ同じ形状です。ドロチューブもほぼ同じ長さですが、ハンドルは旧鏡筒がプラスチック製で、新鏡筒が金属製です。またラックピニオンカバーやラックの取り付けネジの頭ですが、旧鏡筒はマイナス、新鏡筒はプラスとなっています。ただ、旧鏡筒の接眼部と鏡筒の固定ネジの頭がプラスなのが、不思議な感じです。
 ドイツサイズの接眼鏡アダプターは、旧鏡筒のものは見慣れたものですが、新鏡筒のものは直線的なイメージで現代的なデザインでした。また接眼鏡を横から止めるネジについても、ローレットの模様や持ち手部分の形状が異なっています。ただし、特に新鏡筒については、オリジナルの部品が取り付けられていない可能性があります。

 このように見てくると、新鏡筒は旧鏡筒を元に制作されていることが判ります。旧鏡筒は、アストロ光学工業の設立が昭和33年ですから、それ以前に製造されていることになり、私達が慣れ親しんでいる望遠鏡の原型は、昭和30年代初頭には形作られていたということが言えそうです。

アストロ光学T-8型天体望遠鏡

2020-02-16 | 天体望遠鏡


 人気のアストロの昔の望遠鏡です。正確に言うと、現在のアストロ光学工業の前身である、アストロ光学の望遠鏡になります。アストロ光学工業は創業が昭和33年とのことですので、この望遠鏡は少なくても60年以上前に作られたことになります。鏡筒には黄ばみ、対物レンズには少しの汚れがありますが、年代の割にはとてもしっかりしています。口径は50mm焦点距離500mmで、後世にも同じスペックのものがあります。いわば元祖アストロ光学の望遠鏡となりますが、これまで写真でしか見たことはありませんでしたので、手に取ることができた時には、とてもうれしく感じました。




 赤道儀は、微動装置のない簡易型で、後のカートン84mm赤道儀と同タイプです。正しくはカートン84mm赤道儀が、この製品の流れを汲んでいる製品で、このT-8型がその原型なのでしょう。
 鏡筒バンドは開かないタイプですので、組み立てる際には、対物部を外して鏡筒を差し込み必要があります。鏡筒バンドには、回転を固定するためのネジが付いています。ネジの内側には可動するスペーサーがあり、これで鏡筒を固定しています。




 対物セルはアストロ光学工業の5cm屈折と似ていますが、途中に切れ込みがあるところが異なっています。レンズ箔は、後のアストロ光学工業のものと同じタイプです。フードは差し込み式ですが、おそらくあったであろう内側のフェルトは失われており、少しぐらつく状態でした。



 ファインダーはおなじみの口径1cm4倍のもので、ちりめん塗装が施されたものです。このファインダーは、使うには小さすぎで、実用的ではないかもしれませんが、とても好きなものです。大きな部品をそのまま小さくした、とてもかわいいもので、日本人の器用さがよく出ていると思います。
 鏡筒の銘板は、製造番号が白地に赤で刻印されていますが、これだけでカラフルに感じるのが不思議です。ファインダーの調節ボルトは、その光沢からおそらく後世の物だと思われます。




 意外だったのは、接眼繰り出しハンドルが、プラスチック製だということです。現在でこそ、金属製の方が高級品ですが、その当時は、最先端材料を使用した意欲作だったのでしょう。

 アストロの望遠鏡は、かっこうのよいものが多かったと思います。10cmニュートン反赤のLN4Tや6cm屈赤のS5、そして5cm屈赤のR51など、昔の雑誌に良く掲載されていました。大型の望遠鏡も製造していたと思います。1970年代の火星大接近の際には、熱心な観測家が庭に同社の25cmか30cmの反射を設置して観測したという記事が、昔の天文と気象に掲載されていたように憶えています。いつかは自分もという思いで、読んでいました。天文雑誌にもエネルギーを感じる、古き良き時代でした。

昔の望遠鏡の価格

2020-02-08 | 天体望遠鏡



 箱書きより、昭和24年のウラノス号3号機の価格は、24,800円ということが判ります。






 昭和31年のアストロ光学のカタログには、T-8型機の価格は18,000円と記載されています。

 上級国家公務員の初任給は、昭和24年が4,223円で昭和31年が8,700円、そして平成31年が181,200円とのことですので、これらを用いてそれぞれの現在の価値を求めると、ウラノス号は約1,065,000円、そしてアストロ光学T-8型機は約375,000円となります。
ウラノス号は口径58mmそしてT-8型機は口径50mmの小型機ですので、いかに昔の望遠鏡は高価だったのかということが理解できます。
 
 望遠鏡の手に入り易い時代に生まれて、本当に良かったと思います。もちろん対象は、最新型ではなく古スコですけれど。