大倉草紙

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【京都】 伏見桃山城

2008年07月26日 23時56分35秒 | 旅 - 京都府
本日の行程:(京阪電車・伏見稲荷駅) → 【伏見稲荷大社】 … (自転車) → 【鳥羽伏見戦跡石碑】【城南宮】【鳥羽離宮跡公園】 → 【戊辰戦争東軍戦死者之墓(悲願寺墓地)】【寺田屋】【月桂冠大蔵記念館】【鳥羽伏見戦の弾痕】 → 【伏見奉行所跡】【伏見桃山城】【桓武天皇柏原陵】 → 【明治天皇伏見桃山陵】 → 【昭憲皇太后伏見桃山東陵】


   

   

伏見城は、文禄3年(1594)、豊臣秀吉によって指月山に築かれたが、その2年後に地震で倒壊してしまう。
このとき、蟄居を命ぜられていた加藤清正が真っ先に駆けつけたことで秀吉に許された「地震加藤」の話は有名で、歌舞伎にもなっている。
地震の後、伏見城は、木幡山に築城し直された。
しかしこれもまた、慶長5年(1600)、伏見城の戦いで焼失する。
翌年、徳川家康によって再建されるが、寛永2年(1625)には廃城となってしまう。

そして、この写真は、1964年に建設された伏見桃山キャッスルランドの模擬天守。
伏見桃山キャッスルランドは、2003年1月に閉鎖されている。
またもや廃城となるところだったが、住民の要望で取り壊しを免れ、閉鎖後は京都市が譲り受け、現在も、伏見桃山城運動公園の中の一施設として存続している。

よく見ると、望楼の下に虎が描かれている。
何かいわれがあるのだろうかと夫と話しながら歩く。
帰ってきて調べてみれば、なんとまあ、映画の撮影のために完成後間もない大阪城を再現したのだそうだ。
大阪城での撮影には、何かと制約が多いからだとか。
けれど、いくら伏見桃山城が文化的な価値が認められない建造物だとしても、それはちょっと残念な気がする。
うそでもいいから、伏見城のままであって欲しいような。


   
       伏見城石垣に使用されていたと思われる石材

伏見城の本丸跡は、現在の明治天皇陵のあたりらしい。
明治天皇陵への道すがら、伏見城石垣に使用されていたと思われる石材があった。
平成19年、下水道管敷設工事の際に出土したものだという。

近くの御香宮神社には、伏見城の遺構が多く残っているようだ。
次に伏見を訪れたときには、見に行ってみよう。


今日の歩数:23,177歩

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