5月31日(月)
湯島聖堂は、元禄3年(1690)、5代綱吉によって建てられた孔子廟。
上野忍ヶ岡の林羅山の邸内に設けられたものを移したのだという。
寛政9年(1797)、11代家斉の時代に規模を拡大して「昌平坂学問所」ができた。
関東大震災で、殆どの建物が焼失、現在の建物は、昭和10年(1935)に再建したもの。
入徳門
宝永元年(1704)建立。
関東大震災で焼失を免れていて、聖堂内、唯一の木造建造物である。
杏壇門
杏壇門の両脇には、絵馬が奉納されている。
大成殿
「大成」とは孔子廟の正殿の名称で、大成殿内の中央の厨子には、孔子像が祀られているそうだ。
楷樹
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木。
孔子銅像
仰高門
正門から通りに出ると、目の前にニコライ堂が見える。
ゆるい坂をのぼる。
右手には、湯島聖堂の塀。
左手には、聖橋。
湯島聖堂は、元禄3年(1690)、5代綱吉によって建てられた孔子廟。
上野忍ヶ岡の林羅山の邸内に設けられたものを移したのだという。
寛政9年(1797)、11代家斉の時代に規模を拡大して「昌平坂学問所」ができた。
関東大震災で、殆どの建物が焼失、現在の建物は、昭和10年(1935)に再建したもの。
入徳門
宝永元年(1704)建立。
関東大震災で焼失を免れていて、聖堂内、唯一の木造建造物である。
杏壇門
杏壇門の両脇には、絵馬が奉納されている。
大成殿
「大成」とは孔子廟の正殿の名称で、大成殿内の中央の厨子には、孔子像が祀られているそうだ。
楷樹
楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木。
孔子銅像
仰高門
正門から通りに出ると、目の前にニコライ堂が見える。
ゆるい坂をのぼる。
右手には、湯島聖堂の塀。
左手には、聖橋。