大倉草紙

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【滋賀】 石山寺

2009年01月28日 20時00分00秒 | 旅 - 滋賀県
8月25日(月)
当日の行程:(JR大津京駅) → 【近江神宮】 → (京阪・近江神宮前駅~別所駅) → 【大津絵美術館・圓満院門跡】 → (京阪・三井寺駅~京阪膳所駅) → (【義仲寺】月曜日は閉まっていて拝観できない) → (京阪・京阪膳所駅~石山寺駅) → 【石山寺】【瀬田の唐橋】


東大門(重要文化財)

天平19年(747)、良辨僧正が石山院を設け、聖武天皇の念持仏如意輪観音像を安置したのが石山寺のはじまりだといわれる。
石山寺が観音霊場として広く信仰を集めるようになるのは平安中期以降のこと。
宇多法皇の行幸をはじめ、皇族や貴族の「石山詣」が流行する。
紫式部も参籠し、石山寺で『源氏物語』を執筆したと伝わる。

瀬田川に面して建つ東大門は、建久元年(1190)に源頼朝の寄進で建てられたとされる。
その後、慶長年間(1596~1615)に、淀君の寄進で大修理が行われた。


参道には、「源氏物語千年紀」のマスコットキャラクター「おおつ光ルくん」が。
石山寺の塔頭を「源氏夢回廊」として、催しが開かれていた。



会場のひとつ「密蔵院」は、島崎藤村ゆかりの地。
密蔵院での2ヶ月間の生活を『文学界』に「茶丈記」として寄稿している。


毘沙門堂は、安永2年(1773)に建立された。
本尊・兜跋毘沙門天(重要文化財)を祀る。


御影堂は室町時代に建立された。
真言宗の開祖弘法大師、石山寺開基の良弁僧正、石山寺第三代座主淳祐内供の遺影を安置している。


硅灰石(天然記念物)
硅灰石は、石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したもの。
石山寺の硅灰石のように巨大な岩石群となっているものは珍しいそうだ。
「石山寺」の名は、硅灰石に由来するといわれる。


蓮如堂
蓮如堂は、慶長期に三十八所権現社の拝殿として建てられた。
現在では、蓮如上人の遺品や御影が安置されている。



本堂(国宝)
正倉院文書によれば、本堂は、天平宝字5~6年(761~762)に造東大寺司によって拡張されたそうだ。
その後、承暦2年(1078)に焼失し、永長元年(1096)に再建されたのが現在の本堂。
滋賀県最古の木造建築物とされている。
本尊・如意輪観世音菩薩(重要文化財)は、本堂が再建された永長元年(1096年)頃の作といわれる。
日本で唯一の勅封の秘仏で、御開扉は33年毎。
相の間には、紫式部が『源氏物語』を起筆したという「源氏の間」がある。
写真の花頭窓のある場所である。


経蔵は、16世紀後期の建立と考えられている。
高床の校倉で、かつては淳祐内供筆聖教(国宝)などを収蔵していたという。
滋賀県で最古の校倉造。


紫式部供養塔


芭蕉の句碑
「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」


多宝塔(国宝)
日本最古の多宝塔で、源頼朝の寄進で建久5 (1194) 年に建立された。
本尊は、快慶作の大日如来坐像。


多宝塔の近くには「めかくし石」がある。
目隠しをしてこの石を完全に抱くと、諸願成就するという。


「芭蕉庵」は、松尾芭蕉ゆかりの茶室。
芭蕉は、境内の句碑にある「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」の他にも「石山の 石にたばしる 霰かな」といった句を残している。
左側に見えるのは、月見亭。


月見亭

歌川広重・近江八景「石山秋月」

「月見亭」は、後白河上皇の行幸の際に建てられたそうだ。
石山秋月として知られている名月は、ここから観る月だという。


補陀洛山「雅の台」から本堂を望む



「朗澄大徳遊鬼境」は、東大門を出て京阪・石山寺駅方面へ数10メートルの場所にある。
朗澄律師は、約800年前の中興の祖で、死後は鬼の姿になって石山寺の一切経と聖教を守護し、人々の降魔招福を誓い入寂したという。
庭園の石には、「石山寺縁起絵巻」に描かれた朗澄律師の姿が刻まれている。


石山寺の御朱印

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