大倉草紙

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【大阪】 キリシタン遺物史料館とクルス山

2009年05月31日 22時12分44秒 | 旅 - 大阪府
本日の行程:(阪急・茨木市駅…阪急バス・阪急茨木市駅~千提寺口) → 【クルス山】 → 【キリシタン遺物史料館】 → (阪急バス・千提寺口~阪急茨木市駅…阪急・茨木市駅~高槻市駅) → 【高槻カトリック教会】 → 【野見神社】 → 【高山右近天主教会堂跡】 → 【高槻市立しろあと歴史館】 → 【高槻城跡の碑】 → 【城跡公園】 → 【高槻市立歴史民俗資料館(旧笹井家住宅)】 → (阪急・高槻市駅~烏丸駅…京都市地下鉄・四条駅~今出川駅) → 【相国寺】【相国寺金閣銀閣名宝展-パリからの帰国-(相国寺承天閣美術館)】【薩摩藩邸跡】【俵と龍のコレクション-屋号にちなんだ菓子意匠と茶道具-(京菓子資料館)】【藤井右門宅跡】【室町幕府跡】【山名宗全邸宅跡】

茨木市の千提寺地区は、かつて高山右近の領地であり、キリスト教信者となった者も多かったという。
禁教令が出された後は、仏教を信仰しているように思われてきたが、大正8年(1919)にキリシタン研究家の藤波大超氏がクルス山でキリシタン墓碑を発見したことから、隠れキリシタンの存在が明らかになった。

【クルス山】
千提寺は遠い。
阪急茨木市駅前からバスで45分強。
バスを降りてからクルス山やキリシタン遺物史料館までは、徒歩で15分程度か。
バスが1時間に1本なので、帰りのバスの時間を気にしながら歩いたが、1時間もあれば十分に見て回れる範囲だ。
バス停からの道順では、キリシタン遺物史料館のほうが先だったが、9時半の開館時間まで少し間があったので、通り過ぎてクルス山へ向かう。


愛と光の家
クルス山へ向かう途中、愛と光の家がある。
カトリック黙想の家で、キリシタンの遺物はないとの張り紙があった。


愛と光の家にある高山右近像


愛と光の家にある聖母マリア像

愛と光の家の前の道から直角に延びる細い道を入ると、左手に天満宮の石段が見え、右手に目をやると、こんな案内が。



「クルス山」といっても、丘ほどの高さもなく、ほんの少し土を盛り上げたような場所だ。
「クルス山」と呼ばれることが多いが、正式には「字寺山(あざてらやま)」というらしい。
写真のような山道を、5分も登らないうちに墓碑までたどり着く。


墓碑
この墓碑が、キリシタン遺物発見の端緒となった。
墓碑の脇には、次のような説明がある。
●光背形
 立石型
●花崗岩
●高 さ 63.5㎝
 巾中央 38cm
 厚中央 18.2cm
●表面上部に二支十字章
 人名(上野)教名(マリヤ)
 女
●慶長8年正月10日
●千提寺 東藤嗣氏所蔵


近くに寄って見てみても、十字章が判別できるだけで、他の文字は読み取ることができない。
大正8年に発見された時には、もっとはっきりと見えたのだろうか。


【キリシタン遺物史料館】

展示物の数は決して多くはないが、興味深いキリシタン遺物と出会えた。
クルス山の墓碑の拓本も陳列してある。
「あけずの櫃」は、縦約70センチ、横約15センチ、高さ約12センチの木製の櫃。
中に遺物が隠し、屋根裏の鴨居に括り付けられていて、代々誰も開けようとしなかったことからその名が付いたようだ。
「キリスト磔刑木像の筒」は、キリストの両腕をはずして入れていた真鍮の円筒。
禁教から逃れるために作られたのだといわれる。
「牛に乗った天神像」は、天神像を外すと牛の背中に十字が刻まれていて、空洞になっている牛の腹にメダルを隠すことができるような仕組みになっている。
天神様でカムフラージュするとは!
「禁制札」もあったが、文字が薄くなってしまっていて、詳しい内容は分からず。

千提寺の信者が口承してきた祈祷文と長崎信者の祈祷文が掲げられていた。
これは面白い。
各地に残る祈祷文を比較してみたいものだ。
その土地の言葉が入っていたり、固有名詞が全く違う音で伝わっていたりするのだろう。
千提寺の信者の祈祷文では、「マリア様」が「まるや様」となっていた。


今日の歩数:21,807歩

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