12月29日(月)
当日の行程:(車) → 【松江郷土館】 → 【松江城】 → 【小泉八雲記念館】 → 【松江の武家屋敷】 → 【月山富田城跡】 → 【足立美術館】 → 【名和神社】 → 【元弘帝御着船所】 → 【後醍醐天皇御腰掛石】 → 【白兎神社】 → 【鳥取砂丘砂の美術館】 → (鳥取泊)
富田城は、島根県安来市広瀬町富田の月山に築かれた城。
保元・平治の頃、平氏の武将が築城したという。
佐々木氏、山名氏、京極氏、尼子氏、毛利氏、堀尾氏らが歴代城主となっているが、なかでも11ヶ国を領有した尼子氏の時代が最も栄えていた。
月山のそばを流れる飯梨川。
このあたりは、とても気持ちのよい風景が広がる。
大手門跡
周りの石垣は大石垣と呼ばれる。
門の左右の石垣 の上には櫓があったそうだ。
上御殿平
下御殿平
山中御殿は、月山正面の中腹にある。
ここは、お子守口、菅谷口、塩谷口の3つの入口が交差する場所で、軍事上、政治上重要な位置である。
山中御殿は上下2段に分かれている。
雑用井戸
櫓跡
菅谷口
多門櫓跡
月山軍用道
親子観音
月山を登り始めてすぐに、親子観音がある。
慶弔12年(1607)、堀尾忠氏急逝後年に富田城内で起こった跡目争いの張本人である堀尾河内守とその一子掃部(かもん)をの霊を祀った宝篋印塔。
こんな感じの道を登る。
山吹井戸
七曲がりにある井戸で、年中枯れることがないと案内板に書いてあったが、水が湧き出ている様子はなかった。
三の丸への虎口
三の丸跡
二の丸跡
二の丸跡から北の方向を望む
遥かかなたに中海と島根半島も見える。
本丸跡
標高は197メートル。
勝日高守(かつひたかもり)神社
本丸跡の奥のほうには、大国主命を祀る勝日高守神社が建っている。
尼子氏の時代は、代々場内の守り神であったといわれる。
安来市立歴史資料館
月山の麓にある。
年末のため休館していて、見ることはできなかった。
尼子興久(おきひさ)墓
歴史資料館の近くに、尼子興久のお墓がある。
興久は経久の三男。
禄高に関する不満を父に訴えるが聞き入れられなかったことから父にそむくが敗れ、妻の父・備後甲山城主山内大和守直通に頼るが、天文3年(1534)、そこで切腹した。
当日の行程:(車) → 【松江郷土館】 → 【松江城】 → 【小泉八雲記念館】 → 【松江の武家屋敷】 → 【月山富田城跡】 → 【足立美術館】 → 【名和神社】 → 【元弘帝御着船所】 → 【後醍醐天皇御腰掛石】 → 【白兎神社】 → 【鳥取砂丘砂の美術館】 → (鳥取泊)
富田城は、島根県安来市広瀬町富田の月山に築かれた城。
保元・平治の頃、平氏の武将が築城したという。
佐々木氏、山名氏、京極氏、尼子氏、毛利氏、堀尾氏らが歴代城主となっているが、なかでも11ヶ国を領有した尼子氏の時代が最も栄えていた。
月山のそばを流れる飯梨川。
このあたりは、とても気持ちのよい風景が広がる。
大手門跡
周りの石垣は大石垣と呼ばれる。
門の左右の石垣 の上には櫓があったそうだ。
上御殿平
下御殿平
山中御殿は、月山正面の中腹にある。
ここは、お子守口、菅谷口、塩谷口の3つの入口が交差する場所で、軍事上、政治上重要な位置である。
山中御殿は上下2段に分かれている。
雑用井戸
櫓跡
菅谷口
多門櫓跡
月山軍用道
親子観音
月山を登り始めてすぐに、親子観音がある。
慶弔12年(1607)、堀尾忠氏急逝後年に富田城内で起こった跡目争いの張本人である堀尾河内守とその一子掃部(かもん)をの霊を祀った宝篋印塔。
こんな感じの道を登る。
山吹井戸
七曲がりにある井戸で、年中枯れることがないと案内板に書いてあったが、水が湧き出ている様子はなかった。
三の丸への虎口
三の丸跡
二の丸跡
二の丸跡から北の方向を望む
遥かかなたに中海と島根半島も見える。
本丸跡
標高は197メートル。
勝日高守(かつひたかもり)神社
本丸跡の奥のほうには、大国主命を祀る勝日高守神社が建っている。
尼子氏の時代は、代々場内の守り神であったといわれる。
安来市立歴史資料館
月山の麓にある。
年末のため休館していて、見ることはできなかった。
尼子興久(おきひさ)墓
歴史資料館の近くに、尼子興久のお墓がある。
興久は経久の三男。
禄高に関する不満を父に訴えるが聞き入れられなかったことから父にそむくが敗れ、妻の父・備後甲山城主山内大和守直通に頼るが、天文3年(1534)、そこで切腹した。