6月28日(土)
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】 → 【淀城跡】 → 【與杼神社】 → 【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館) → 【勝竜寺城公園】 → 【長岡天満宮】 → 【光明寺】 → 【大原野神社】 → 【勝持寺】 → 【願徳寺】 → 【善峯寺】 → 【長岡宮跡】 → 【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】
先日、長岡宮の北限とされていた場所よりも北に約800メートルの地点で、道路の遺構が見つかった。
この遺構の発見により、従来の想定よりも長岡宮北に広がっていた可能性が高まったらしい。
長岡宮跡を訪れたのは、このニュースが流れる2ヶ月前。
築地跡と大極殿公園(宝幢跡・大極殿跡)を見てきた。
【築地跡】
長岡宮の築地跡は、阪急・西向日駅から東に200メートルほど離れた場所にある。
昭和54年(1979)、道路の改良工事の際に発見されたそうだ。
「築地跡」の案内板があるだけで、草が生い茂っている。
ここにあった役所が何であるのか、まだ分かっていないらしい。
長岡宮の屋根瓦の大半は、遷都の時平安京に運ばれたが、破損瓦は捨てて行かれたようだ。
案内板では、屋根瓦についても言及している。
築地の屋根には 平城宮・難波宮・藤原宮で使われていた瓦と長岡宮用として新たに焼かれた瓦が使用されていたとのこと。
平城宮と長岡宮の瓦は35%ずつ。
難波宮の瓦は8%と少ないそうだ。
【大極殿公園(宝幢跡・大極殿跡)】
大極殿跡は、大極殿公園となっている。
「長岡宮 大極殿跡
桓武天皇が平城京より七八四(延暦三)年十一月十一日この地に遷都された長岡宮中心の建物跡である 向日市」とある。
毎年11月11日には、長岡京遷都を記念して大極殿祭が行われるらしい。
公園内は、シーソーやすべり台などの遊具も置かれている。
宝幢跡
宝幢(ほうどう)とは、古代中国伝来の儀式用旗飾り。
即位式や元旦の「朝賀の儀式」の際に、大極殿の前に七本の宝幢が立てられるものだという。
長岡宮で天皇の即位はなかったので、長岡宮の宝幢は、「朝賀の儀式」で用いられたものだと考えられている。
平成9年(1997)の発掘調査で、宝幢を立てた柱の掘形が三基発見された。
長さ約3メートル、幅約1.2メートル、深さ約0.8メートルの楕円形の掘方で、中央に大柱、両側に添柱の痕跡があったそうだ。
この宝幢跡の後ろが、大極殿跡。
大極殿の大きさは、東西約41.4メートル、南北約21.6メートル。
基壇の規模が聖武天皇の難波宮大極殿とほぼ同じであることや、難波宮の瓦が多く出土することから、難波宮から移築されたものとされる。
後殿(小安殿)跡
後殿(小安殿)は、長岡宮で初めて設けられた建物。
天皇が大極殿に出御する時の休憩所とされている。
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】 → 【淀城跡】 → 【與杼神社】 → 【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館) → 【勝竜寺城公園】 → 【長岡天満宮】 → 【光明寺】 → 【大原野神社】 → 【勝持寺】 → 【願徳寺】 → 【善峯寺】 → 【長岡宮跡】 → 【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】
先日、長岡宮の北限とされていた場所よりも北に約800メートルの地点で、道路の遺構が見つかった。
この遺構の発見により、従来の想定よりも長岡宮北に広がっていた可能性が高まったらしい。
長岡宮跡を訪れたのは、このニュースが流れる2ヶ月前。
築地跡と大極殿公園(宝幢跡・大極殿跡)を見てきた。
【築地跡】
長岡宮の築地跡は、阪急・西向日駅から東に200メートルほど離れた場所にある。
昭和54年(1979)、道路の改良工事の際に発見されたそうだ。
「築地跡」の案内板があるだけで、草が生い茂っている。
ここにあった役所が何であるのか、まだ分かっていないらしい。
長岡宮の屋根瓦の大半は、遷都の時平安京に運ばれたが、破損瓦は捨てて行かれたようだ。
案内板では、屋根瓦についても言及している。
築地の屋根には 平城宮・難波宮・藤原宮で使われていた瓦と長岡宮用として新たに焼かれた瓦が使用されていたとのこと。
平城宮と長岡宮の瓦は35%ずつ。
難波宮の瓦は8%と少ないそうだ。
【大極殿公園(宝幢跡・大極殿跡)】
大極殿跡は、大極殿公園となっている。
「長岡宮 大極殿跡
桓武天皇が平城京より七八四(延暦三)年十一月十一日この地に遷都された長岡宮中心の建物跡である 向日市」とある。
毎年11月11日には、長岡京遷都を記念して大極殿祭が行われるらしい。
公園内は、シーソーやすべり台などの遊具も置かれている。
宝幢跡
宝幢(ほうどう)とは、古代中国伝来の儀式用旗飾り。
即位式や元旦の「朝賀の儀式」の際に、大極殿の前に七本の宝幢が立てられるものだという。
長岡宮で天皇の即位はなかったので、長岡宮の宝幢は、「朝賀の儀式」で用いられたものだと考えられている。
平成9年(1997)の発掘調査で、宝幢を立てた柱の掘形が三基発見された。
長さ約3メートル、幅約1.2メートル、深さ約0.8メートルの楕円形の掘方で、中央に大柱、両側に添柱の痕跡があったそうだ。
この宝幢跡の後ろが、大極殿跡。
大極殿の大きさは、東西約41.4メートル、南北約21.6メートル。
基壇の規模が聖武天皇の難波宮大極殿とほぼ同じであることや、難波宮の瓦が多く出土することから、難波宮から移築されたものとされる。
後殿(小安殿)跡
後殿(小安殿)は、長岡宮で初めて設けられた建物。
天皇が大極殿に出御する時の休憩所とされている。