6月28日(土)
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】 → 【淀城跡】 → 【與杼神社】 → 【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館) → 【勝竜寺城公園】 → 【長岡天満宮】 → 【光明寺】 → 【大原野神社】 → 【勝持寺】 → 【願徳寺】 → 【善峯寺】 → 【長岡宮跡】 → 【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】
第一駐車場から見た寺宝館文殊堂
山深い。
善峯寺までは、JR・向日町駅や阪急・東向日町駅から、1時間に約1本の割合でバスが出ている。
徒歩だと2時間くらいかかるようだ。
徒歩だと「本当にこの道で合っているのか」と、幾度も不安になるだろう。
そんな道を、カーナビの案内に従って進む。
お寺は、山の中腹にある。
駐車場から見上げたとことに建っている寺宝館文殊堂は、平成12年(2000)に完成したばかり。
春と秋の年に2回、期間を設けて公開されているようだ。
山門 本堂方面から振り返り見た山門
善峯寺は、長元2年(1029)、源算上人によって開かれた。
長元7年(1034)に、後一条天皇により鎮護国家の勅願所と定められ、善峯寺の寺号を賜る。
鎌倉時代初期には、慈円大僧正や浄土宗西山派の祖・証空上人が住職をつとめる。
また、青蓮院の宮様が代々住職をつとめたので、西山宮門跡と呼ばれるようになったそうだ。
応仁の乱で消失した伽藍は、江戸時代に、徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院の寄進によって復興されたという。
この山門も、元禄5年(1692)に、桂昌院によって再建された。
楼上の文殊菩薩像と、両脇の金剛力士像は運慶の作で、源頼朝が寄進したものだといわれる。
かなり大きな門だ。
山門の右手には、「西山宮門跡」とある。
観音堂(本堂)
本尊・十一面千手観世音菩薩は弘法大師の作。
脇立・十一面千手観世音菩薩は源算上人の作。
ここで、「おちないお守り」や「ならないお守り」を受けることができる。
阪神大震災のとき、阪神高速の高架が落ちるギリギリのところで停止して、墜落を免れたバスの運転手さんは、善峯寺のお守りを持っていたそうだ。
その後、「おちないお守り」は、受験生の守り神となったとのこと。
「ならないお守り」は、それを持っていると、神経痛や腰痛に「ならない」らしい。
杖をつきながら参拝しているご老人を多く見かけた。
神経痛や腰痛に苦しんでいるのだろうか。
善峯寺は、山門までの石段はキツく、境内は広いので、神経痛や腰痛になってしまった人が詣でるのは大変だろうと思う。
経堂 多宝塔
桂昌院が、一切経を納めた経堂。
祈願成就の絵馬が、たくさん掛けられていた。
多宝塔は、重要文化財。
元和7年(1621)、賢弘法師によって再建されたもの。
遊龍の松
開山堂から経堂の前にかけて、L字型に地をはうように伸びる遊龍の松は、天然記念物。
樹齢600年の五葉松である。
5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が移植したといわれている。
現在の姿も立派なものだが、もともとは全長54メートルもあったという。
平成6年(1996)、猛暑のために大量発生したマツクイムシの被害に遭い、殺虫剤を注入したが効果がなく、全体のおよそ3分の1にあたる約15メートルを切り落としたのだそうだ。
護摩堂 つりがね堂
護摩堂は、元禄5年(1692)に建立された。
本尊・不動明王五大尊を祀っている。
つりがね堂には、「魔除けの鐘」が吊るされている。
5代将軍綱吉の魔除けのために、母である桂昌院が寄進したもの。
幸福地蔵 あじさい苑
幸福地蔵(しあわせじぞう)は、約300年以上前のお地蔵さま。
桂昌院が、幸せを願ったという。
お地蔵さまの傍らには、「自分以外の人の幸せをお願いしましょう」と書かれている。
幸福地蔵の辺りや裏手の山肌には、あじさいの花がびっしりと植えられている。
境内には、約1万本のあじさいがあるという。
雨に濡れたあじさいの色は、ひときわ鮮やかだった。
釈迦堂
源算上人が刻んだ本尊・石仏釈迦如来を祀る。
石仏釈迦如来は、善峯寺から約2キロメートル離れた釈迦岳に安置されていたが、明治13年(1880)、善峯寺に移された。
釈迦堂は、この像を祀るために、明治18年(1885)に建てられたものである。
釈迦堂の北側には、薬湯場がある。
神経痛や腰痛をはじめ諸病に効くという薬湯風呂は、年に2回、5月と10月の第2日曜日に入浴できるそうだ。
奥の院薬師堂
薬師堂は、元禄14年(1701)に建立された。
桂昌院の両親が祈願した出世薬師仏を祀る。
薬師堂のあたりは、善峯寺の境内の中で最も見晴らしが良い場所だといわれる。
晴れていれば、京都市内が見渡せるとか。
雨天のため、何も見えず残念。
けいしょう殿 蓮華寿院庭
けいしょう殿は、花山法皇の西国中興1000年を記念して、昭和62年(1987)に建立された。
桂昌院の像が祀られている。
正座をして掌を合わす桂昌院の膝に、子犬がじゃれている像だ。
綱吉の母だから、子犬なのだろうか。
蓮華寿院庭は、薬師堂の南側にある。
ここは、青蓮院の宮様が、代々住職をつとめていた場所とされる。
青蓮院宮御廟
青蓮の滝 阿弥陀堂
青蓮の滝の竿石は、京都青蓮院門跡から受けたもの。
阿弥陀堂は、寛文13年(1673)の建立。
本尊・宝冠阿弥陀如来を祀る。
常行三昧の道場としても使われていることから「常行堂」とも呼ばれるそうだ。
徳川家代々と善峯寺信者の位牌を安置している。
善峯寺のてぬぐい
善峯寺の御朱印
平成17年(2005)、片岡鶴太郎による本坊座敷の襖絵「游鯉龍門圖(ゆうりりゅうもんず)」が完成した。
25面、約25メートルの襖絵には、約250匹の鯉が描かれているという。
本坊は、通常、非公開なので、訪れたときに襖絵を見ることはできなかったが、今年の11月15日~30日の間、一般公開されるとのこと。
境内を歩いているときに、アナウンスが入った。
観光バスで訪れたご老人が、帰りのバスを間違えてしまったらしい。
アナウンスが流れるほどに、境内は広かった。
約3万坪もあるらしい。
受付で参拝案内図をいただいたが、これがなければ、迷ってしまったかもしれない。
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】 → 【淀城跡】 → 【與杼神社】 → 【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館) → 【勝竜寺城公園】 → 【長岡天満宮】 → 【光明寺】 → 【大原野神社】 → 【勝持寺】 → 【願徳寺】 → 【善峯寺】 → 【長岡宮跡】 → 【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】
第一駐車場から見た寺宝館文殊堂
山深い。
善峯寺までは、JR・向日町駅や阪急・東向日町駅から、1時間に約1本の割合でバスが出ている。
徒歩だと2時間くらいかかるようだ。
徒歩だと「本当にこの道で合っているのか」と、幾度も不安になるだろう。
そんな道を、カーナビの案内に従って進む。
お寺は、山の中腹にある。
駐車場から見上げたとことに建っている寺宝館文殊堂は、平成12年(2000)に完成したばかり。
春と秋の年に2回、期間を設けて公開されているようだ。
山門 本堂方面から振り返り見た山門
善峯寺は、長元2年(1029)、源算上人によって開かれた。
長元7年(1034)に、後一条天皇により鎮護国家の勅願所と定められ、善峯寺の寺号を賜る。
鎌倉時代初期には、慈円大僧正や浄土宗西山派の祖・証空上人が住職をつとめる。
また、青蓮院の宮様が代々住職をつとめたので、西山宮門跡と呼ばれるようになったそうだ。
応仁の乱で消失した伽藍は、江戸時代に、徳川5代将軍綱吉の母・桂昌院の寄進によって復興されたという。
この山門も、元禄5年(1692)に、桂昌院によって再建された。
楼上の文殊菩薩像と、両脇の金剛力士像は運慶の作で、源頼朝が寄進したものだといわれる。
かなり大きな門だ。
山門の右手には、「西山宮門跡」とある。
観音堂(本堂)
本尊・十一面千手観世音菩薩は弘法大師の作。
脇立・十一面千手観世音菩薩は源算上人の作。
ここで、「おちないお守り」や「ならないお守り」を受けることができる。
阪神大震災のとき、阪神高速の高架が落ちるギリギリのところで停止して、墜落を免れたバスの運転手さんは、善峯寺のお守りを持っていたそうだ。
その後、「おちないお守り」は、受験生の守り神となったとのこと。
「ならないお守り」は、それを持っていると、神経痛や腰痛に「ならない」らしい。
杖をつきながら参拝しているご老人を多く見かけた。
神経痛や腰痛に苦しんでいるのだろうか。
善峯寺は、山門までの石段はキツく、境内は広いので、神経痛や腰痛になってしまった人が詣でるのは大変だろうと思う。
経堂 多宝塔
桂昌院が、一切経を納めた経堂。
祈願成就の絵馬が、たくさん掛けられていた。
多宝塔は、重要文化財。
元和7年(1621)、賢弘法師によって再建されたもの。
遊龍の松
開山堂から経堂の前にかけて、L字型に地をはうように伸びる遊龍の松は、天然記念物。
樹齢600年の五葉松である。
5代将軍徳川綱吉の母・桂昌院が移植したといわれている。
現在の姿も立派なものだが、もともとは全長54メートルもあったという。
平成6年(1996)、猛暑のために大量発生したマツクイムシの被害に遭い、殺虫剤を注入したが効果がなく、全体のおよそ3分の1にあたる約15メートルを切り落としたのだそうだ。
護摩堂 つりがね堂
護摩堂は、元禄5年(1692)に建立された。
本尊・不動明王五大尊を祀っている。
つりがね堂には、「魔除けの鐘」が吊るされている。
5代将軍綱吉の魔除けのために、母である桂昌院が寄進したもの。
幸福地蔵 あじさい苑
幸福地蔵(しあわせじぞう)は、約300年以上前のお地蔵さま。
桂昌院が、幸せを願ったという。
お地蔵さまの傍らには、「自分以外の人の幸せをお願いしましょう」と書かれている。
幸福地蔵の辺りや裏手の山肌には、あじさいの花がびっしりと植えられている。
境内には、約1万本のあじさいがあるという。
雨に濡れたあじさいの色は、ひときわ鮮やかだった。
釈迦堂
源算上人が刻んだ本尊・石仏釈迦如来を祀る。
石仏釈迦如来は、善峯寺から約2キロメートル離れた釈迦岳に安置されていたが、明治13年(1880)、善峯寺に移された。
釈迦堂は、この像を祀るために、明治18年(1885)に建てられたものである。
釈迦堂の北側には、薬湯場がある。
神経痛や腰痛をはじめ諸病に効くという薬湯風呂は、年に2回、5月と10月の第2日曜日に入浴できるそうだ。
奥の院薬師堂
薬師堂は、元禄14年(1701)に建立された。
桂昌院の両親が祈願した出世薬師仏を祀る。
薬師堂のあたりは、善峯寺の境内の中で最も見晴らしが良い場所だといわれる。
晴れていれば、京都市内が見渡せるとか。
雨天のため、何も見えず残念。
けいしょう殿 蓮華寿院庭
けいしょう殿は、花山法皇の西国中興1000年を記念して、昭和62年(1987)に建立された。
桂昌院の像が祀られている。
正座をして掌を合わす桂昌院の膝に、子犬がじゃれている像だ。
綱吉の母だから、子犬なのだろうか。
蓮華寿院庭は、薬師堂の南側にある。
ここは、青蓮院の宮様が、代々住職をつとめていた場所とされる。
青蓮院宮御廟
青蓮の滝 阿弥陀堂
青蓮の滝の竿石は、京都青蓮院門跡から受けたもの。
阿弥陀堂は、寛文13年(1673)の建立。
本尊・宝冠阿弥陀如来を祀る。
常行三昧の道場としても使われていることから「常行堂」とも呼ばれるそうだ。
徳川家代々と善峯寺信者の位牌を安置している。
善峯寺のてぬぐい
善峯寺の御朱印
平成17年(2005)、片岡鶴太郎による本坊座敷の襖絵「游鯉龍門圖(ゆうりりゅうもんず)」が完成した。
25面、約25メートルの襖絵には、約250匹の鯉が描かれているという。
本坊は、通常、非公開なので、訪れたときに襖絵を見ることはできなかったが、今年の11月15日~30日の間、一般公開されるとのこと。
境内を歩いているときに、アナウンスが入った。
観光バスで訪れたご老人が、帰りのバスを間違えてしまったらしい。
アナウンスが流れるほどに、境内は広かった。
約3万坪もあるらしい。
受付で参拝案内図をいただいたが、これがなければ、迷ってしまったかもしれない。