大倉草紙

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【奈良】 吉野

2008年04月05日 23時06分39秒 | 旅 - 奈良県
本日の行程:(近鉄・吉野駅)…(徒歩)…(吉野ロープウェイ・吉野千本口駅~吉野山駅) → 【金峯山寺】 → 【脳天大神龍王院】 → 【吉水神社】 → 【如意輪寺】 → 【後醍醐天皇陵】 → 【吉野水分神社】 → 【金峯神社】 → 【西行庵】


     
               下千本で

     
   「蔵王堂」脇から「南北妙法殿」方面を望む
   

吉野の桜は、2日前に下千本が開花したばかり。
花見には少し早いけれど、来週末に出かけられるかどうか定かではないので、思い切って出かけた。


ロープウェイを降り、下千本の「大橋」を渡ると、「黒門」が現れる。
金峯山寺(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)の総門だ。
「銅(かね)の鳥居」(重要文化財)を通り過ぎ、「仁王門」から金峯山寺の境内へ入る。

「蔵王堂」(国宝)では、春の特別展が開催されていたので拝観する。
「蔵王堂」の正面には、「四本桜」が植えられていた。
ここは、護良親王が幕府軍に攻められ、吉野山に立て籠もり、落城するときに最後の酒宴を開いた場所だそうだ。
残念ながら、「四本桜」は蕾だった。
桜越しに見る「蔵王堂」は、さぞかし美しいだろう。


「蔵王堂」から西側、「南朝妙法殿」のほうへ階段を下りる。
ここでは、南朝四天皇とその忠臣の霊が祀られている。
「役行者像」を過ぎ、長い長い階段を下りると脳天大神龍王院に辿り着く。
階段は445段もあるそうで、戻ってくるのに一苦労。
ここで体力を使い果たしてしまった。


くたくたになりながら、吉水神社へ。
吉水神社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)には、多くの宝物がある。
「義経の鎧」や「静御前の衣装」、また、「後醍醐天皇玉座」、「義経潜居の間」、「弁慶思案の間」なども残されている。
それらを、間近に見ることができるのは嬉しい。
狩野派の絵師たちによる襖絵も、何気なく置いてある。
話術に長けた宮司が、神社の歴史と宝物について説明してくれた。
この宮司、大阪府警に勤めていたらしい。
阪神・淡路大震災の被災地に応援部隊として派遣されたときの経験から考えるところがあり、宮司になる決意したとのこと。


如意輪寺(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)は、後醍醐天皇の勅願寺。
宝物殿を入るとすぐ、天井に描かれた如意輪観世音菩薩像には驚かされた。
「寝拝みの観音」で、台に寝転んで拝むようになっている。
宝物殿には、楠正行が四条畷の決戦に向かうとき、鏃で辞世の歌を刻んだ如意輪堂の扉が残っている。
 「かゑらじと かねておもえば 梓弓 なき数に入る 名をぞとゞむる 」


     
         後醍醐天皇塔尾陵

如意輪寺の本堂の裏手に、後醍醐天皇塔尾陵がある。
後醍醐天皇は、「玉骨はたとえ南山の苔に埋ずむるとも魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ」という遺言を残した。
それ故、通常は南向きである天皇陵が、北面の陵となっている。


中千本から上千本への道は、勾配が急だ。
吉野水分神社>(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)は、子守明神として信仰されている。
「水分(みくまり)」→「みこもり(御子守)」と転訛するからだとか。
木立の中だからだろうか、境内の雰囲気は暗い。
三社一棟造の社殿(重要文化財)は、荘厳である。


吉野水分神社から更に山をのぼること約1.5km、金峯神社(世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成要素)だ。
吉野山の総地主神を祀っている。
「義経隠れ塔」へ行ってみたかったが、山を下る最終バスの時間が迫っていたので、西行庵へ先に行くことにした。


     
             西行庵
 
西行庵は、吉野山の最奥、奥千本にひっそりと佇んでいる。
そこまでの道のりは、寂しい。
ここに西行は三年間閑居していたと伝えられる。
かねてから訪れたいと思っていた場所なので、感無量だった。

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