大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【奈良】 山の辺の道③

2009年06月10日 21時00分00秒 | 旅 - 奈良県
6月6日(土)
当日の行程:(JR・天理駅…自転車) → 【石上神社】 → 【内山永久寺跡】 → 【夜都伎神社】 → 【竹之内環濠集落】 → 【萱生環濠集落】 → 【西山塚古墳】 → 【手白香皇女衾田稜(西殿塚古墳)】 → 【灯籠山古墳】 → 【大和神社御旅所】 → 【柿本人麻呂歌碑】 → 【長岳寺】 → 【長岳寺五智堂】【黒塚古墳】 → 【櫛山古墳】 → 【崇神天皇稜】 → 【景行天皇稜】 → 【垂仁天皇纒向珠城宮跡】 → 【景行天皇纒向日代宮跡】 → 【相撲神社】 → 【大兵主神社】 → 【桧原神社】 → 【箸墓古墳(孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命大市墓)】 → 【大神神社】 → 【狭井神社】【玄賓庵】 → 【平等寺】 → 【崇神天皇磯城端籬宮跡】 → 【金屋の石仏】 → 【海柘榴市観音】 → 【仏教伝来之地碑】 → 【欽明天皇磯城嶋金刺宮跡(推定地)】


【玄賓庵】


山の辺の道のルートに沿って歩くならば、桧原神社の次にこちらを訪れることになる。
桧原神社からの距離は0.3キロ、徒歩で5分というから、お隣さんだ。
けれど、どういうわけか通り過ぎてしまった。
狭井神社で、三輪山へ入山する時間に間に合わず、先を急ぐ必要もなくなり、せっかくだからと玄賓庵に戻ることにした。
玄賓庵から狭井神社までの距離は1キロ、徒歩で15分だという。
簡単に行けると思ったら、思いのほかキツイ。
上り坂だし、道はガタガタだし。
自転車よりも歩きのほうが楽だったかもしれない。

玄賓庵は、奈良時代から平安時代前期の僧・玄賓僧都の庵。
世阿弥の作といわれる謡曲「三輪」の題材として知られる。


【平等寺】

581年、聖徳太子が賊徒を平定するために建立したのがはじまり。

 
左:鐘楼
右:聖徳太子像


本堂


二重塔(釈迦堂)


不動堂


【崇神天皇磯城端籬宮跡】

第10代崇神天皇の皇居跡といわれる。



崇神天皇磯城端籬宮跡の碑は、志貴御縣社の境内に建っている。


【金屋の石仏】


右側の石仏が釈迦、左側が弥勒。
重要文化財に指定されている。
金屋の石仏の前には、喜多美術館が建っている。


【海柘榴市観音】



海柘榴市は、古代から栄えた交易市なのだそうだ。
堂内には、右側に十一面観音立像、左側に聖観音菩薩立像が祀られている。
海柘榴市と書いて、「つばいち」。


【仏教伝来之地碑】

この辺りは、難波津から大和川を上ってきた船の終着点。
大和朝廷と交渉を持つ国々の使節の船の発着もこの辺りで行われた。
仏教も、この地に初めて伝わったとされる。


また、遣隋使・小野妹子が隋使・斐世清を伴って帰国した際には、飾り馬75頭が海柘榴市の路上に並んだという。
斐世清って名前、久しぶりに思い出した。


飾り馬が出迎えたからだろう、碑の前に流れる大和川に架かる橋は「うまいではし」。


そして、川岸には飾り馬が。


【欽明天皇磯城嶋金刺宮跡(推定地)】

欽明天皇磯城嶋金刺宮跡と思われる場所に行ってみると、碑は磯城嶋公園内に移動したという掲示があった。
上の写真の碑は、磯城嶋公園内に建っているもの。
金刺宮は、仏教が正式に渡来した都。
内裏はこの碑が建っている場所から東北約100メートルの場所にあったとされる。


桜井駅へ向かう。
レンタサイクルは、天理駅で借りて桜井駅で返却できるので便利。
自転車で回ったのに、かなり疲れた。
歩いても気持ちいいだろうけれど、1日で歩き通すのは難しいのかもしれない。

道中、三輪素麺のお店をたくさん見かけた。
素麺は自宅で食べるものだと思っていたので、不思議なかんじがする。
暑かったせいか、走っているうちに素麺が食べたくなり、帰宅後すぐに素麺を茹でた。
三輪素麺ではなかったけれど。
私は薬味をたくさん入れるのが好みだが、あいにく生姜しかなかったので、それをすって入れる。
夕飯作る元気がなかったので、素麺と前日の夜に(こんなこともあるだろうと思って)作っておいた筑前煮とで簡単に食事を済ます。
それから、酢を野菜ジュースで割って飲む。
疲れたときには、これが効くような気がする。
できるだけのことはして早い時間に眠ったけれど、翌日はくたびれ果てていて、三輪山リベンジはできなかった。
いつかまた。


当日の歩数:21,432歩