天気予報で“ゲリラ豪雨”なんて言うからお客さん誰も来やしない。
参ったねぇ~(/。\)
blogでも書こうかねぇ~
昨日はてんこ盛りだったのは前のblogで書いたのだけど、実はストーリーには続きがあった。
書くこといくらでもあるのよ。
終電の終わった駅で、座りこんで寝ている女性に遭遇。
歩いている人はいても、誰も気にすることなくポツンとしていたの。
まだ30くらいかな?
OL風のお勤めファッション。ちょっと心配になって声をかけてみた。
「大丈夫です。」
そう言いながら立ち上がった彼女の足はフラフラ。
酔っているんだ…。
支えながら一緒に歩く。
「水を買いたい」
そう言うので一緒にコンビニ。
スイカらしきカードで支払ったのだが、残額が足りなかった。
彼女は大きなバッグから財布を探しているようだったが、いくら探しても出てくる気配がない。
後ろに列もできていたし、ガサゴソやってるより、30円くらい足りなかっただけなので、私のお財布から支払い、コンビニを出る。
床にバッグを下ろし中のものを出しながら探す彼女。
私の目から見ても有るようには思えなかった。
きっとお店に忘れたか落としたのだろう。
駅からは30分も歩くそうで、それはこの時間心配だった私は「お金貸そうか?」と申し出た。1000円位あれば十分だろうし、それくらい返ってこなくたって構いやしない。
お金は大事だし私だって節約のため滅多に乗るもんじゃない。歩くのも健康維持の為だ。
今回は非常事態だし人助け。
彼女はそれを断り、歩いて帰ると言い張る。
仕方なく、彼女のスマホを出してもらい、私の電話番号を押してワン切り。
「何か困ったら電話してね!」
そう言って別れた。
帰宅しても心配だった私は、帰宅したであろう時間に彼女の電話番号にショートメールを送った。
“大丈夫ですか?先程お会いした者です”
送って30分くらい経って、メール音が鳴る。
“ご連絡がおそくなってしまい、大変申し訳ありません。大丈夫です!無事家につきました!ご心配をおかけして申し訳ありません。ありがとうございます。”
“よかった無事に着いてくれて。眠れなかった”
“え!ほんとにご心配をおかけしてすみません!”
“もう気にしないで寝てください(o^-^o)”
“ありがとうございます!”
こんなやり取りがあって、私も安心して床についた。
朝目覚めて、そう言えば彼女の財布はあったのだろうか?
記憶がないとしたら彼女が乗っていた電車とかどこに座っていたとか教えてあげなくちゃかな…。
そう思ってショートメールしてみた。
“おはようございます。大丈夫ですか?お財布はありましたか?”
送ってから何時間かして、多分昼休みなのか昼過ぎにショートメールが来た。
“おはようございます。お財布はやっぱり見つかりませんでした…。飲んでたお店に忘れてないか夕方頃電話して確認する予定です。”
“そうですか…見つかると良いですね(^-^)vきっとでてきますよ!いいことたくさんありますよ!”
“ご心配をおかけしてすみません。昨日はありがとうございます!”
やり取りは以上。
見つかったのかなぁ~(´・ω・`)
財布が出てくることをただ祈るのみ!
彼女以外にも、帰り道以外でも、誰かを助けることは日常だ。
人目も何も気にならない。
これを読んでいて
「ここまでやるか?」
どんだけお前はお節介だと思うのでしょうね…。
でもね、私が育った環境と言うのはお互いすごく干渉する文化の中、他所のオジサン、オバサンにも時には叱られ、優しく面倒みてもらい、大事にしてもらったんだ。
家の外に出されたら、近所のオバサンが「やっちゃん、うち来る?」
そう言われて、平気でテレビ観ながらご飯までいただいていた。
外に出しても何の効果もない事が分かった母は諦め子供を出すことはなくなった。
友達の家に遊びに行って、その子がいなくても
「やっちゃん、帰ってくるまでたこ焼きでも食べてる?」
そう言われて、平気でオバサンとたこ焼き焼いていた。
共働きの両親の子供として、本来抱える孤独もなく、こんなに温かくしてもらっているから、他人にも平気で干渉できる今の私がいる。
誰かに愛情を与えることが出来るのは、たくさん愛を受けて育ったからだと思うのね。
子供は社会が皆で大事に育てるものであって、家庭だけの問題ではない。
そして、困っている人に遭遇するのも私の運命であり縁。
神様に課された使命なのだろう。
…と言いつつ
ここは東京。
勝手に気持ちよくなっていて申し訳ないのだけど、寝ていた彼女に迷惑でなかったこと、実はちょっと気にしていたりする。
参ったねぇ~(/。\)
blogでも書こうかねぇ~
昨日はてんこ盛りだったのは前のblogで書いたのだけど、実はストーリーには続きがあった。
書くこといくらでもあるのよ。
終電の終わった駅で、座りこんで寝ている女性に遭遇。
歩いている人はいても、誰も気にすることなくポツンとしていたの。
まだ30くらいかな?
OL風のお勤めファッション。ちょっと心配になって声をかけてみた。
「大丈夫です。」
そう言いながら立ち上がった彼女の足はフラフラ。
酔っているんだ…。
支えながら一緒に歩く。
「水を買いたい」
そう言うので一緒にコンビニ。
スイカらしきカードで支払ったのだが、残額が足りなかった。
彼女は大きなバッグから財布を探しているようだったが、いくら探しても出てくる気配がない。
後ろに列もできていたし、ガサゴソやってるより、30円くらい足りなかっただけなので、私のお財布から支払い、コンビニを出る。
床にバッグを下ろし中のものを出しながら探す彼女。
私の目から見ても有るようには思えなかった。
きっとお店に忘れたか落としたのだろう。
駅からは30分も歩くそうで、それはこの時間心配だった私は「お金貸そうか?」と申し出た。1000円位あれば十分だろうし、それくらい返ってこなくたって構いやしない。
お金は大事だし私だって節約のため滅多に乗るもんじゃない。歩くのも健康維持の為だ。
今回は非常事態だし人助け。
彼女はそれを断り、歩いて帰ると言い張る。
仕方なく、彼女のスマホを出してもらい、私の電話番号を押してワン切り。
「何か困ったら電話してね!」
そう言って別れた。
帰宅しても心配だった私は、帰宅したであろう時間に彼女の電話番号にショートメールを送った。
“大丈夫ですか?先程お会いした者です”
送って30分くらい経って、メール音が鳴る。
“ご連絡がおそくなってしまい、大変申し訳ありません。大丈夫です!無事家につきました!ご心配をおかけして申し訳ありません。ありがとうございます。”
“よかった無事に着いてくれて。眠れなかった”
“え!ほんとにご心配をおかけしてすみません!”
“もう気にしないで寝てください(o^-^o)”
“ありがとうございます!”
こんなやり取りがあって、私も安心して床についた。
朝目覚めて、そう言えば彼女の財布はあったのだろうか?
記憶がないとしたら彼女が乗っていた電車とかどこに座っていたとか教えてあげなくちゃかな…。
そう思ってショートメールしてみた。
“おはようございます。大丈夫ですか?お財布はありましたか?”
送ってから何時間かして、多分昼休みなのか昼過ぎにショートメールが来た。
“おはようございます。お財布はやっぱり見つかりませんでした…。飲んでたお店に忘れてないか夕方頃電話して確認する予定です。”
“そうですか…見つかると良いですね(^-^)vきっとでてきますよ!いいことたくさんありますよ!”
“ご心配をおかけしてすみません。昨日はありがとうございます!”
やり取りは以上。
見つかったのかなぁ~(´・ω・`)
財布が出てくることをただ祈るのみ!
彼女以外にも、帰り道以外でも、誰かを助けることは日常だ。
人目も何も気にならない。
これを読んでいて
「ここまでやるか?」
どんだけお前はお節介だと思うのでしょうね…。
でもね、私が育った環境と言うのはお互いすごく干渉する文化の中、他所のオジサン、オバサンにも時には叱られ、優しく面倒みてもらい、大事にしてもらったんだ。
家の外に出されたら、近所のオバサンが「やっちゃん、うち来る?」
そう言われて、平気でテレビ観ながらご飯までいただいていた。
外に出しても何の効果もない事が分かった母は諦め子供を出すことはなくなった。
友達の家に遊びに行って、その子がいなくても
「やっちゃん、帰ってくるまでたこ焼きでも食べてる?」
そう言われて、平気でオバサンとたこ焼き焼いていた。
共働きの両親の子供として、本来抱える孤独もなく、こんなに温かくしてもらっているから、他人にも平気で干渉できる今の私がいる。
誰かに愛情を与えることが出来るのは、たくさん愛を受けて育ったからだと思うのね。
子供は社会が皆で大事に育てるものであって、家庭だけの問題ではない。
そして、困っている人に遭遇するのも私の運命であり縁。
神様に課された使命なのだろう。
…と言いつつ
ここは東京。
勝手に気持ちよくなっていて申し訳ないのだけど、寝ていた彼女に迷惑でなかったこと、実はちょっと気にしていたりする。