あまりに聞かれるから書いた方がいいのかなぁ…
「今年はやりません」
後述で自分的な見解を説明しますね。
今から約11年前、地ビール厨房COPA、イングリッシュパブトラファルガーの互いの店主の友情から始まり、初回は両店舗の名前をくっつけた“トラコッパー”と言いました。
当日私は蔵家と言う酒屋に勤めており、初回はお客として、そしてボランティアとして参加しています。
小さなプラカップであれこる飲めるイベントでした。オリジナルのグラスもTシャツもありませんでした。(スタッフTシャツはあって私も持ってます)
その後、トラファルガーさんから声をかけてもらって、酒屋としてジョイントしました。
オリジナルグラスで飲めるように、その年の色を決めオリジナルTシャツを皆さんも買えるようにしたのです。
「グラスが余ったらどうするんだ?」
二人の店主に責められたものです。
が「余ることより売ること考えよう!」と押しきりました。
そして地ビールの世界に精通していた私がビールをセレクトして、そして自分の人脈を生かして宣伝をしたわけです。
その自信はありましたから。
当日、ビールのイベントは少なかったので、それはもう日本各地から宿をとってまでファンが現れたものです。
町田の街がその色のTシャツで埋め尽くされるのは圧巻でした。
その後、私は酒屋を辞め自分の店を出しました。そして三店舗に増えたわけです。
残念なことに、それからしばらくして当時のCOPAの店長が転職してしまいます。
色々あってCOPAが抜けました。
ビール屋ではないですが、個人的に仲良くしている店舗も増えました。
もともとビール屋である必要なんかないと思っているので私は喜ばしいことだと思ったのです。
ところが、全国的にビールのイベントが増え、集客が難しくなったのです。
次から次に空いていた樽があまりがちにもなってきました。
お客が減ったのに、店舗が増え、雇ってる人やボランティアへの経費が増え、樽が余るとどうなるか…
そうです。
売り上げが上がらなくなったのです。
十月祭は狭い店です。
来場数を捌くには、店のレイアウトを変えなくてはなりません。
ボージョレーヌーボ(ディアブロ)の解禁パーティーを終えて、金曜日営業して、ほぼ寝ずにレイアウトを変え、フードを仕込み、定休日の土日がビアホッパーと言うのは、肉体的にもボロボロ…。
それで売り上げがないのはさすがにね。
ついに九年目の店主同士の反省会で私は皆に告げました。(つまり二年前)
「十月祭は来年を持ちましてビアホッパーを卒業します!」
(来年とはつまり昨年の11月のことです)
十年と言うのがキリが良いと思いました。大好きなイベントだから尻すぼみはは嫌だと思いました。
そして十年目のビアホッパー。
トラファルガーさんに花を持たせて、いつも私が作っていたTシャツは彼に任せました。グラスも金色です。
いつもと同じく楽しかったし盛況でしたが、開けてみると…
やはり収益は上がりませんでした。
私が抜けたらリーダーのトラファルガーさんどうするのかなぁと思っていたのですが、夏のある日報告を受けました。
もうやらないと…
残念ですが、私なんかよりずっと数字に強いマサさんならそう判断するでしょう。
だから、私とマサさんが仲違いしたとか勝手なこと言わないでください。
向こうはどうか知らないけど、兄貴のように慕っているんですから。
(実は昨夜もビールのヘッド借りた)
もちろん、町田の飲食仲間でビアホッパー的なイベントができるのなら喜んで参加させていただきます。
「なんでー?」
「やればいーのに!」
子供のように駄々こねないでください。
主催者と来場客、WIN WIN ならイベントは続くのです。
例えばだけど、もし私がマサさんとすごい喧嘩したとして、儲かっているなら事業家としてはやりますよ。
私たちはそんなに幼くないです。
なめないでください(  ̄▽ ̄)
楽しいイベントだってのは私が一番知ってます。
なにせ10年ですよ!
重ねてきた思い出や友情は永遠です。
参加してくれたお客様
働いてくれたスタッフやボランティアさん
そしてランバイオンさんやプーマルさん
途中で抜けたけどCOPAさん
special Thanks トラファルガーマサさん!
昨年の打ち上げで語るマサさん
トラファルガーマサさん(左)とCOPA(初期店長)横さん
チーム十月祭ボランティア精鋭
プーマルぷーさん(左)
右からランバリオン翔さんマーちゃん
左がランバリオン(てかタワリシチ)ミツくん
一番左がもとCOPAちえちゃん
ありがとうみんな!
町田でいつまでも…o(^o^)o
追伸:ビアホッパーを偲んで、その日にそれぞれの店舗で同時開催イベントやったらどうかと思ってます。(まだ相談してないけどさ)
どう思う?
「今年はやりません」
後述で自分的な見解を説明しますね。
今から約11年前、地ビール厨房COPA、イングリッシュパブトラファルガーの互いの店主の友情から始まり、初回は両店舗の名前をくっつけた“トラコッパー”と言いました。
当日私は蔵家と言う酒屋に勤めており、初回はお客として、そしてボランティアとして参加しています。
小さなプラカップであれこる飲めるイベントでした。オリジナルのグラスもTシャツもありませんでした。(スタッフTシャツはあって私も持ってます)
その後、トラファルガーさんから声をかけてもらって、酒屋としてジョイントしました。
オリジナルグラスで飲めるように、その年の色を決めオリジナルTシャツを皆さんも買えるようにしたのです。
「グラスが余ったらどうするんだ?」
二人の店主に責められたものです。
が「余ることより売ること考えよう!」と押しきりました。
そして地ビールの世界に精通していた私がビールをセレクトして、そして自分の人脈を生かして宣伝をしたわけです。
その自信はありましたから。
当日、ビールのイベントは少なかったので、それはもう日本各地から宿をとってまでファンが現れたものです。
町田の街がその色のTシャツで埋め尽くされるのは圧巻でした。
その後、私は酒屋を辞め自分の店を出しました。そして三店舗に増えたわけです。
残念なことに、それからしばらくして当時のCOPAの店長が転職してしまいます。
色々あってCOPAが抜けました。
ビール屋ではないですが、個人的に仲良くしている店舗も増えました。
もともとビール屋である必要なんかないと思っているので私は喜ばしいことだと思ったのです。
ところが、全国的にビールのイベントが増え、集客が難しくなったのです。
次から次に空いていた樽があまりがちにもなってきました。
お客が減ったのに、店舗が増え、雇ってる人やボランティアへの経費が増え、樽が余るとどうなるか…
そうです。
売り上げが上がらなくなったのです。
十月祭は狭い店です。
来場数を捌くには、店のレイアウトを変えなくてはなりません。
ボージョレーヌーボ(ディアブロ)の解禁パーティーを終えて、金曜日営業して、ほぼ寝ずにレイアウトを変え、フードを仕込み、定休日の土日がビアホッパーと言うのは、肉体的にもボロボロ…。
それで売り上げがないのはさすがにね。
ついに九年目の店主同士の反省会で私は皆に告げました。(つまり二年前)
「十月祭は来年を持ちましてビアホッパーを卒業します!」
(来年とはつまり昨年の11月のことです)
十年と言うのがキリが良いと思いました。大好きなイベントだから尻すぼみはは嫌だと思いました。
そして十年目のビアホッパー。
トラファルガーさんに花を持たせて、いつも私が作っていたTシャツは彼に任せました。グラスも金色です。
いつもと同じく楽しかったし盛況でしたが、開けてみると…
やはり収益は上がりませんでした。
私が抜けたらリーダーのトラファルガーさんどうするのかなぁと思っていたのですが、夏のある日報告を受けました。
もうやらないと…
残念ですが、私なんかよりずっと数字に強いマサさんならそう判断するでしょう。
だから、私とマサさんが仲違いしたとか勝手なこと言わないでください。
向こうはどうか知らないけど、兄貴のように慕っているんですから。
(実は昨夜もビールのヘッド借りた)
もちろん、町田の飲食仲間でビアホッパー的なイベントができるのなら喜んで参加させていただきます。
「なんでー?」
「やればいーのに!」
子供のように駄々こねないでください。
主催者と来場客、WIN WIN ならイベントは続くのです。
例えばだけど、もし私がマサさんとすごい喧嘩したとして、儲かっているなら事業家としてはやりますよ。
私たちはそんなに幼くないです。
なめないでください(  ̄▽ ̄)
楽しいイベントだってのは私が一番知ってます。
なにせ10年ですよ!
重ねてきた思い出や友情は永遠です。
参加してくれたお客様
働いてくれたスタッフやボランティアさん
そしてランバイオンさんやプーマルさん
途中で抜けたけどCOPAさん
special Thanks トラファルガーマサさん!
昨年の打ち上げで語るマサさん
トラファルガーマサさん(左)とCOPA(初期店長)横さん
チーム十月祭ボランティア精鋭
プーマルぷーさん(左)
右からランバリオン翔さんマーちゃん
左がランバリオン(てかタワリシチ)ミツくん
一番左がもとCOPAちえちゃん
ありがとうみんな!
町田でいつまでも…o(^o^)o
追伸:ビアホッパーを偲んで、その日にそれぞれの店舗で同時開催イベントやったらどうかと思ってます。(まだ相談してないけどさ)
どう思う?