女優さんって泣いても目が腫れないのよね~
私はすぐ腫れちゃう…
不細工すぎて顔見せられない。
ま、本来定休日だから溜まったビデオ観てのんびりしよ。(^_^)
先日来店されたお客様の話。
酒屋時代からのもう十数年前からの私のファン。
初めてのビール会で、試しに作ったビアT。
アーティストの友人が“在庫持ちたくない”と14枚しか作らなかったので、もちろん完売…。
私の分は、ようやく一枚だけ取り置けたけどサイズが小さくて余ったスゴいピンク色。
他の色が良かったんだけど、仕方ない。
後日、河口湖のビールの会で、それを着ている白髪混じりのオジサンに出会った。
来てくれてたんだ…(ノ_・,)
聞けば杉並にお住まい。わざわざ町田の駅からもバスに乗らなくちゃならない蔵家に来てくれていた。
酒屋を辞めてからも私のことは何かでチェックしてくれていて、十月祭にも時々顔だしてくれる。
その方は出版社にお勤めで博学なんだけど、会話がとても理屈っぽい。もう一度聞き直さないと愚鈍な私の脳細胞は理解できないことばかりだ。
こういう人が酒場にいるのを面倒くさいと思う人は多いと思う。ご本人も承知で面白がっているような困った人だ。
だけど、理解できた時点でパズルのピースが見つかったみたいに目の前が明るくなるんだ。
ギリシアのアカデメイア、イタリアやフランスのサロンのような問答が愉しい。
“それは偏見です。”
言われた瞬間はイラッと来る。
なに話してもそう言われると話せなくもなる。意見を持つことが間違っているのかとも感じ取れる。
でも、考えてみればそうなんだよね。
誰の意見であれ偏見だ。
私たちの発する言葉は、全てその人の経験や習慣から産み出されるものだ。
そしてそれらとの比較でしかない。
私たちが愛玩する犬だって隣の国では鍋になる。
オーストラリアのサンタクロースはサーフボードに乗ってくる。
“肌色”というイロエンピツがあるのは日本だけ。
日本の手話で“黒”を意味する時頭をさわる。
北が寒くて南が温かい。
“フツーそうでしょ”
考えもなく発する人は多い。
この普通とは、同じ国籍の狭い人間関係でのみ発して伝わる言葉。
私のように始終色んな人との絡みがある仕事は、このフツーを仕分けるのが難しい。
あまり自己表現をしない方へはどうしても私の中で“決め付け”で会話を選び言葉を発している。
正しいのか間違っているのか…
本当は怖いんだ。
でも、思考回路がその人へ真っ当過ぎてファジイ機能がないもんだから。分かった振りができないもんだから。
せっかく人当たりのいい顔に生まれて、テキトーに笑って聞いてる振りしてりゃ好かれるのだろうに。人に愛される生き方はどうしてもできない。
“人それぞれ”でごまかす人は苦手だ。
“皆楽しく”ってどんな状態?
有りもしないもの想像したり分析するのは無意味だ。
理屈っぽくて、偏見に溢れていて、面倒くさい人の方が私には逆に分かりやすい。
考えたら分かるからね。
ちょっと寄ったと、軽く飲むなんて言っていた彼は、結局終電まで飲んでいた。
あれだけ理屈こねて私を困らせてたくせに、少年のような満面の笑顔で“いい女だね”って照れくさそうに言った。
理解されない人間というのは、理解者に会えることが本当に嬉しいのだ。
私もそうだもん(;^_^A
またお話ししようね!
私はすぐ腫れちゃう…
不細工すぎて顔見せられない。
ま、本来定休日だから溜まったビデオ観てのんびりしよ。(^_^)
先日来店されたお客様の話。
酒屋時代からのもう十数年前からの私のファン。
初めてのビール会で、試しに作ったビアT。
アーティストの友人が“在庫持ちたくない”と14枚しか作らなかったので、もちろん完売…。
私の分は、ようやく一枚だけ取り置けたけどサイズが小さくて余ったスゴいピンク色。
他の色が良かったんだけど、仕方ない。
後日、河口湖のビールの会で、それを着ている白髪混じりのオジサンに出会った。
来てくれてたんだ…(ノ_・,)
聞けば杉並にお住まい。わざわざ町田の駅からもバスに乗らなくちゃならない蔵家に来てくれていた。
酒屋を辞めてからも私のことは何かでチェックしてくれていて、十月祭にも時々顔だしてくれる。
その方は出版社にお勤めで博学なんだけど、会話がとても理屈っぽい。もう一度聞き直さないと愚鈍な私の脳細胞は理解できないことばかりだ。
こういう人が酒場にいるのを面倒くさいと思う人は多いと思う。ご本人も承知で面白がっているような困った人だ。
だけど、理解できた時点でパズルのピースが見つかったみたいに目の前が明るくなるんだ。
ギリシアのアカデメイア、イタリアやフランスのサロンのような問答が愉しい。
“それは偏見です。”
言われた瞬間はイラッと来る。
なに話してもそう言われると話せなくもなる。意見を持つことが間違っているのかとも感じ取れる。
でも、考えてみればそうなんだよね。
誰の意見であれ偏見だ。
私たちの発する言葉は、全てその人の経験や習慣から産み出されるものだ。
そしてそれらとの比較でしかない。
私たちが愛玩する犬だって隣の国では鍋になる。
オーストラリアのサンタクロースはサーフボードに乗ってくる。
“肌色”というイロエンピツがあるのは日本だけ。
日本の手話で“黒”を意味する時頭をさわる。
北が寒くて南が温かい。
“フツーそうでしょ”
考えもなく発する人は多い。
この普通とは、同じ国籍の狭い人間関係でのみ発して伝わる言葉。
私のように始終色んな人との絡みがある仕事は、このフツーを仕分けるのが難しい。
あまり自己表現をしない方へはどうしても私の中で“決め付け”で会話を選び言葉を発している。
正しいのか間違っているのか…
本当は怖いんだ。
でも、思考回路がその人へ真っ当過ぎてファジイ機能がないもんだから。分かった振りができないもんだから。
せっかく人当たりのいい顔に生まれて、テキトーに笑って聞いてる振りしてりゃ好かれるのだろうに。人に愛される生き方はどうしてもできない。
“人それぞれ”でごまかす人は苦手だ。
“皆楽しく”ってどんな状態?
有りもしないもの想像したり分析するのは無意味だ。
理屈っぽくて、偏見に溢れていて、面倒くさい人の方が私には逆に分かりやすい。
考えたら分かるからね。
ちょっと寄ったと、軽く飲むなんて言っていた彼は、結局終電まで飲んでいた。
あれだけ理屈こねて私を困らせてたくせに、少年のような満面の笑顔で“いい女だね”って照れくさそうに言った。
理解されない人間というのは、理解者に会えることが本当に嬉しいのだ。
私もそうだもん(;^_^A
またお話ししようね!