ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

船旅

2006-08-14 03:23:34 | Weblog
小樽からフェリーで実家大阪に帰ってきました。

いやはや長かった!!

でも、いろんな本読めたしいろんなこと考えられたし、なんか久々にゆっくり時間使えた気がした。

なかでも、見田宗介の「社会学入門」っていう新書がすごいよかった。

まさに社会学についての基礎知識みたいなんですが。
時間を「使う」とか「費やす」とか時間をお金を数える表現で表わすようになったのは、近代以降らしいです。

考えれば時間を金で買って飛行機乗るわけで、確かに今の考えからしたら有効なんかも。ただ、それは時間がかかるもの=無駄ってきめつけてるわけで、自分がフェリーに乗ってる間に仲よくなった人とか、海に沈む夕日とか、星みたいな漁船の光の群れとか、そういういろんなものは残念ながら今の社会じゃお金で換算されない。
そのへんのこともこの本には書いてた。

社会学って何なんとか、近代と現代の特徴と歴史とか、現代の次の時代の予想とか、テロとの戦争についてとかいろんなことが書いてあったけど、特に印象的やったんが小林一茶の俳句をつかってる部分。

手向くるや むしりたがりし 赤い花

っていうの。これは一茶がかわいがってたちっさい女の子が死んじゃった時に歌った歌らしい。今考えたら別になんも普通のことやんとか意味分からんやんとかなるかもしらんねんな、ってか実際自分がそうでした。

なにが印象深いのか。

昔は花っていうのは何も無いつぼみから急に色鮮やかにでてくるもので、向こうの世界から具現化されるもんやと思われててんて。すごい畏敬の念をみんな持っててん。たとえちっさい子でも、花をむしることはゆるされなかったらしい。
そして、死んだときにやっと手向けられるものやってんて。
それぐらい大事にされてた。
やから、死んじゃった女の子に、あんだけ綺麗ってむしりたがってた花だよ、ってゆってあげてんねんな。

今の世の中ではいたるところにむしられた、というか、むしられるために作られた花があふれかえってて、その量自体は日常に増えたけど、そのひとつひとつの花に対する人間の情が薄くなってるっていう。。。

繁華街でも、CMでもそうやけど、みんなが華やかさをアピールしようとするあまり、華やかさはあふれかえるんやけど、逆にどれも目立たなくなってしまうっていう、打ち消しあいみたいなんが、現代の特徴のひとつらしい。

なんか考えさせられるな。

もしお暇な方があれば、一度読んでみてください。

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