ねるまえとねおき

ねるまえみたいにいろいろ考える自分と、ねおきみたいになんもかんがえない自分の思ったことを、思いついたときにかきます。

having, doingからbeingへ

2011-11-17 23:28:19 | Weblog
「会社終わってお金おろそーとコンビニ行ったら、なんとボジョレーヌーボーの解禁日でした!
去年まで学生だったのですが、その時分はただただ解禁日だからというよくわからない理由で毎年飲み会が開催されていました。
それを思い出して、ついつい購入してしまった。ボジョレー。
チーズを買おうとしたのですが、あんまりいいのがなかったので、チーザを買いました。」


この短時間で、僕はボジョレーとチーザを買うという意思決定をしたわけです。

ボジョレーを売る側、チーザを売る側からしてみれば、なぜこの意思決定がなされたのかを考えることがそこそこ大事、というか、結構真剣に考えるべき事象じゃないかと思います。

なぜ買いたいと思ったか、というのはなぜ買ったのかの直前のステップだからです。
その理由を解明すると、売り上げの増加につながる可能性が非常に高いからです。


でも、毎年「この十年で最高!」とか「今年は天候に恵まれ素晴らしい品質に仕上がりました!」とか
よく分からないうたい文句で売られているワインを「解禁日だから」というよくわからない理由で買うのかはなぜなのか、
僕自身よく分かりません。

その、消費する人間ですらわからない無意識の深層心理がインサイトだそうです。
(でも、インサイト直訳自体は「物事の本質を見抜く力」とかいう意味で、そもそもインサイト自体がいろんな意味を持った和製英語化しているのかな?)

難しくてよく分かりませんが、ものをつくって売る人間たちにとってこういう難しいことは大事だったりするようです。



ちょっと前に読んだ「「買いたい!」のスイッチを押す方法」という本に、

「消費者の心はhavingからdoingへ、doingからbeingへ変わってきている」
という興味深い話が書かれていました。

昔はよく価値が分からないけど、すごい高いものを持っていること(having)自体がステータスだったと。
でもそれが、レジャーだったりバカンスや旅行だったりテーマパークだったり、何かを楽しんでいる「行為」自体にお金を払うこと(doing)がステータスになったと。
でも今や、「こういう自分でありたい!」とか「こういう自分になりたい!」とか(being)にお金を使うことがステータスになりつつあると。

その本には書かれていました。

まぁざっくりとした話なのでそう思う人もいればそう思わない人もいると思いますが、
僕自身は占いが当たった時のように「確かになー」と思いました。

若者の車離れとかもこう考えると説明しやすいのかなと思います。
昔は高級車を持ってること自体がステータスだったと。
ちょっと前は、その価値の高い車に女の子を乗せてドライブ行ったりとかがステータスやったのかなと。
でも、今の時代、それこそ都会では車持っている自分(being)の価値自体があまりはっきりしてないのかなと。
車検も駐車場代もかかるし、beingのメリットがそんなないと。
だから若者は車離れをしているのかなと。
シンプルに考えれば分かりやすい考え方だと思います。



ボジョレーを例に用いると

having こんな毎年出来のいいボジョレーを僕は手に入れてるんだよーすごいでしょー
doing 毎年僕はボジョレーの解禁日にその年のボジョレーを飲んでるんだよーすごいでしょー
being こんな毎年ボジョレー解禁日に飲んでる自分って、なんか田崎真也っぽくていいよねーめっちゃすごいよねー











痛い。

自分で言うのもなんですが、相当痛い。


でもこんなことを、日々考えています。

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