虚空漂浪日記

魂の開放を求めて、右往左往。嫌われものの”宗教”の根本を捜し求める日記です。

ルドルフ・シュタイナー解体新書(その1)

2009-07-29 05:57:14 | 社会
7月24日夜、ついに今年の子猫軍団が押し寄せてきました。まだ、数はかぞえていないのですが、4~5匹のようです。出奔した神君の替わりなんでしょうが、騒々しくなりそうです。

(1)シュタイナーとの出会い

さて、以前にお話ししていたように、ルドルフ・シュタイナーの思想について検討してみたいと思います。
ルドルフ・シュタイナーは、シュタイナー学校などで日本でもそこそこ知られた存在なようです。シュタイナーの教育理念については、著作を詳しく読んでいませんので、検討しないこととします。
さて、私がルドルフ・シュタイナーを知った切っ掛けは、ブログで知り合ったミーナさん(現:ミューシャさん)に教えてもらったとい経緯があります。彼女が大変尊敬する人のようでした。
そこで、最初に読んだ本が「アカシャ年代記より」です。
奇妙な本であり、賛同できる点と違和感を感じる点がありましたが、特にアトランティスの話は、新鮮味もあり興味をひきました。
一方、違和感を感じた点は、
①霊学の開示を目的としながら、ニュースソースを秘密にしている点。
②明らかに、何処かからの引用と思われる部分が多々あるにも関わらず、あたかも 霊視によって得たかのように表現していること。
③文章の所々に人種的な偏見や権威主義的であると感じましたこと。
などです。

①は原注で、「これらの知識や技術の起源について公表することは今のところまだ許されていない。」(p41-アカシャ年代記より)と記されています。
「本書が伝えようとする記録の出典については、今日のところまだ沈黙を守るべき義務を私は負っている。このような史料の存在について・・・」(p13-まえがき、同上)=この時点ではまだ神智学に属していました。

②「・・・はじめてそれを霊視した時、著者自身にとっても驚くべき内容であった・・・それ故著者はできる限りの検討を加えた上で、はじめて筆をとることを自分に許した。」(p47-レムリア時代の人類、同上)=彼が霊視したことになっており、連載を始めた頃と事情が変わったことを示しています。
「神秘学概論」では更に「本書におけるこれらの存在たちについての記述は、霊的合一による認識に基づいている。」(筑摩書房:ちくま学芸文庫 p371)と述べ、あたかもすべて霊視によるものであるかのように述べています。

③「第六、第七亜人類の思考力はすでに或る種の邪道に陥ってしまい、もはや新しい発展をたどるには不適当になっていた。」(p37-アカシャ年代記より)
注)第六亜人類=アッカード人、第七亜人類=蒙古人。

そのような訳で、シュタイナーに対する私の評価は、中途半端なものでした。
色々と興味を引く部分と、何か嘘臭いという疑問があったのですが、その後、シュタイナーを読む機会がありませんでした。

(2)シュタイナーは五目御飯である!

昨年末から今年に入って、シュタイナーの著作を集中的に読みました。次々と展開される聞いたこともない主張に面食らいながら、笑ってしまう部分もあり、何となくシュタイナーという人物像が分かり始めました。
最後に読んだ自伝には、彼の性格がよくあらわされています。
彼は、ヘレナ・ブラバツキーから多くを仕入れながら、ブラバッキーについて全く自伝で触れていません!
このことは、何を意味しているか、考えて頂ければわかると思います。
同様に、古代文献や同時代の文献から思想を吸収しても、それは自分の霊視によるものとされてしまいます。
これが彼の正体だったのです。
ただ、彼は細目にこだわる哲学者ですから、相当、自己流に解釈し、体系だてていったものと思われます。

一つ事例を示しましょう。

シュタイナーは、「イエスを語る」(1910年9月6日講話)という講演の中で、二人のイエスについて語っています。ソロモン系のイエスとナタン系のイエスという二人のイエスがいたというのです。

ソロモン系のイエスは「マタイによる福音書」にでてくる系譜で、「ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり・・・」とイエスの系譜が記されています。

一方、ナタン系のイエスは「ルカによる福音書」に「・・・ナタン、ダビデ、エッサイ・・・」と逆に並べてアダムへ至る系譜が書かれているのです。

シュタイナーはそこに注目した、というより、古くからそういうことに注目していた人はいたようです。
http://www.akina.ne.jp/~t.hara/iesu.htm(表示できないので「イエスは二人いた」で探してください。)

シュタイナーは、新約聖書4篇は、同じ木を四方向からみて違うように、四篇とも全て正しいし、見た方向(部分)が違うだけだと主張していますが、マリアの処女懐妊については"不思議だねー"くらいの言い方で、お茶を濁してしまいます。
そして二人のイエスについて語るのです。
そこにはゾロアスターが憑依したり、何だかんだで、最後にキリストがナタン系イエスに憑依するという話なんですが、アホらしいので解説したくないです。
しかし、シュタイナーは真面目に講演していますので、多分、自分が何かから発見し、それを辻褄が合うように論理展開した(必ずしも論理にはなっていませんが)創作に自らがのめり込むタイプだということがいえると思います。

とにかく、シュタイナーは、私たちがよく知らないことを連発して、惑わしてしまいます。それはまるで五目御飯(要するにゴッタ煮)のようのもです。ですから、<彼の新たな主張>と<元々あった原根拠>とがゴチャゴチャになっているので、何が正しいのかなかなか判別ができないのです。

ところが、世の中には、色々な人がいて、私が疑問の思っていることを解き明かしてくてる人がいるものですw
Webは便利ですね。「イエスが二人いた」というWebもシュタイナーの発想が、特別なものでないことを明らかにしてくれます。無論、シュタイナーがそういうことを言っているという権威付けをしてから、過去の絵画に遡って説明しているところ少々が逆転していると思いますが。

長くなるので、次回に続けますが、シュタイナーは色々なことを言っているのでその全てを説明するのは無理だろうと思います。その点はご容赦ください。

尚、シュタイナーがナチスに迫害されたような話があります。これは根拠のないヨタ話であり、シュタイナー信奉者が作ったでっち上げです。
以下に根拠を示しておきます。

ルドルフ・シュタイナーが死んだのは1925年で、64才のことです。
一方、ヒットラーは1921年にナチス党首になり、1923年にミュンヘン一揆を起こし、逮捕・投獄され、ナチスは非合法化されています。
ナチスが再建(=合法政党として)されたのが、シュタイナーの死んだ1925年のことです。
どうして活動もろくに出来ないナチスの迫害にあうのでしょうか?
教えて欲しいですねw
シュタイナーの主催した人智学協会には、多くのナチ党員がいたと言われています。シュタイナーの死後に、あたかもシュタイナーは反ナチであり、そのためにナチに迫害されたという嘘をでっち上げたということです。
死んだ人を迫害することはできません! 時間が証明しています。
ま、残った人はその後迫害されたかも知れませんが・・・・。
物事を真面目に調べて、考えて見ようじゃありませんか!

では、次回まで。










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