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(@キエフ)ウクライナを取材する仲間たち

2014年03月11日 | 国際 ヨーロッパ

 ■特派員リポート 駒木明義(モスクワ支局長)

 ウクライナで親ロシア派のヤヌコビッチ政権が崩壊してから2週間が過ぎた。国際社会の関心は、ロシアへの併合へと動きだしている南部のクリミア半島に向かっている。今回の「革命」の震源地となった首都キエフの独立広場は今、深い悲しみにつつまれている。

 反政権派の拠点となったテントが並ぶ広場に通じる通路には、バリケードが幾重にも張り巡らされたままだ。広場の中心に設置された仮設の舞台では今 も欧州への統合を求める人たちが代わる代わる演説を続けている。目を閉じてその声を聞いていると、まだ反政権デモが続いているような錯覚にとらわれる。

 だが、大きな違いがある。広場のあらゆる場所が市民が供えた花で埋め尽くされているのだ。2月18日に始まった反政権派と治安部隊の激しい衝突で少なくとも88人が犠牲になった。広場の一角に、彼らの写真が並べられていた。

 地面の敷石はバリケードや投石に使うためにはがされて、ぬかるんだ地面がむき出しになっている。広場周辺の多くの建物は焼け落ちて、異臭が鼻をつく。まるで空襲の後のようだ。

 私が7年ほど前にキエフで見た華やかな広場は姿を消してしまった。

 今回の政変は私たちにとって、とても難しいタイミングで起きた。本来ウクライナをカバーしなければならないはずの私を含むモスクワ支局の2人が、ソチ冬季五輪の取材にかかりきりだったからだ。

 20人以上の死者が報じられた2月18日の衝突を受けて最初に現地に入ったのは、ウィーン支局の喜田尚支局長。地理的に近いというだけでなく、モスクワ勤務の経験があり、言葉ができる。ウクライナに土地勘もある。

 だが、19日にさっそくキエフを訪れて直面したのは想像を超える事態だった。予約した独立広場に近いホテルの周辺が、炎に包まれていたのだ。急遽(きゅうきょ)宿泊先を変更せざるをえなかった。

 一番危険な場面に居合わせたのは、ウラジオストク支局の西村大輔支 局長だったろう。五輪取材をしていたソチから19日夜に現地入り。20日の朝、最大の犠牲者を出した衝突の現場に居合わせたのだ。後になってわかったこと だが、広場を囲む建物から狙撃手が広場に向けて次々に発砲していた。西村支局長の目の前を被弾したばかりの犠牲者が運ばれていったという。その直後には現 場近くの教会で、犠牲者の遺体が並べられているのを目撃する。

 今、私たちは首都キエフと、クリミア半島のクリミア自治共和国を2大拠点として取材にあたっている。ロンドン、パリ、ローマ、ベルリン、エルサレム、ハノイなど世界中の支局から続々と同僚記者が応援にかけつけている。そして、取材助手を務めてくれる地元ウクライナの人たちの献身的な協力にも支えられている。

 今ウクライナで起きていることは、世界史の1ページに刻まれる出来事だと思う。当面、私たちにとっても総力戦が続くことになりそうだ。

     ◇

 駒木明義(こまき・あきよし) モスクワ支局長。1990年入社。和歌山、長野支局、モスクワ留学、政治部、国際報道部などを経て2013年4月から現職。47歳



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