この2日、3日と家族そろってTBS系で放映された「里見八犬伝」を見ました。そういえば小学生の頃NHKで人形劇の「新八犬伝」を見て、それから原作の滝沢馬琴作「南総里見八犬伝」を読んだのを思い出しました。角川映画で薬師丸ひろ子や真田博之の出演で映画化されていますが、あれは別物のように思えます。
私と嫁さんは、同じ世代なので同じノスタルジーを持っていますし、娘はなんとなく雰囲気が「犬夜叉」に似ているから(犬つながりということで?)興味深々で、息子は怖いもの見たさということで世代間を越えて同じ物語を見るというのは冬休みの貴重な機会だったと思います。内容は子供向けではなく、放映時間もかなり遅かったのですが、戌年ということと、冬休みということで多めに見ることにしました。娘には3学期が始まったら原作を読むようにと宿題を与えておきました。
内容は、タッキーが主役なので犬塚信乃役というのはすぐ理解できましたが、昨年義経を一年間撮っただけのことはあって、天才剣士役をそつなく演じていたと思います。一昔前の時代劇スターと比較すれば見劣りはするでしょうが、現在「若き」という冠がつけばタッキー以上の役者を見つけるのは簡単ではないと思います。絵的には時代劇というよりはロード・オブ・ザ・リングを意識したものじゃないかというのと、中国風の旗指物(合戦シーンは中国ロケだそうですが)が散見されたのが少々ひっかかりました。
この南総里見八犬伝の設定が室町時代後期から戦国時代初期の房総地方ですが、実在の人物が登場しています。扇谷定正と足利成氏です。扇谷定正(1443~1494)といえば関東管領として八犬伝の敵役の代表格ですが、正式には(昔読んだ原作もそうなっていましたが)上杉定正、上杉氏は足利尊氏の親族を祖とする一族で、有名な上杉謙信は、長尾氏の出ですが上杉家の養子となることで上杉の姓ともはや実権の伴わない関東管領の職を得ました。定正は、上杉家の分家筋で扇谷に居住していたことから扇谷を名乗っていました。
関東管領は、関東を統治する足利一族から任命される鎌倉公方を補佐する役職で、足利氏の重臣クラスから任命されていましたが、後に上杉家が独占的に任命されるようになったそうです。上杉家では主に山内上杉家から関東管領が出ており、扇谷家の上杉定正は史実では関東管領に任命されていないようです。ともあれ家臣である太田道灌(江戸城を築城した人物として有名です)の活躍もあり、扇谷上杉家はこの時期隆盛を誇ったそうです。ところが同じ分家筋として対立する山内上杉家の顕定への対応を巡って定正と道灌は対立し、顕定に内通しているのではないかと疑った定正は道灌を暗殺(一説には道灌を恐れた顕定にそそのかされて)し、片腕を自らの手にかけて失った定正は次第に衰退していったそうです。
足利成氏(1438~1497)は古河公方と呼ばれています、成氏は元々鎌倉公方でしたが、山内上杉氏の憲忠と対立し、そのため1454年から始まった享徳の乱の結果鎌倉を失い、その後下総古河を本拠地としたため古河公方と呼ばれたそうです。この経緯からすると足利成氏は里見八犬伝で里見家を打つべく手を組んだように、山内家と対立する扇谷家の上杉定正と手を組んでよさそうです。実際当初両上杉家が当初対立した際に成氏は定正に加担しましたがその後山内上杉家の顕定を支援し、定正とは敵味方になったようです。その後も幕府より派遣された堀越公方足利政知や上杉氏と抗争を続けましたが、やがて和睦します。古河公方はその後も引き継がれますが室町末期には関東管領同様名目上のものでしかなくなったそうです。
また里見家の殿様の里見義実も資料が乏しくその信憑性が疑問視されているものの実在説があり、上杉家と対立する鎌倉公方により安房に派遣されたという説が有力だそうです。
物語は勧善懲悪で単純ですが実際の歴史はかなり複雑そうです。
私と嫁さんは、同じ世代なので同じノスタルジーを持っていますし、娘はなんとなく雰囲気が「犬夜叉」に似ているから(犬つながりということで?)興味深々で、息子は怖いもの見たさということで世代間を越えて同じ物語を見るというのは冬休みの貴重な機会だったと思います。内容は子供向けではなく、放映時間もかなり遅かったのですが、戌年ということと、冬休みということで多めに見ることにしました。娘には3学期が始まったら原作を読むようにと宿題を与えておきました。
内容は、タッキーが主役なので犬塚信乃役というのはすぐ理解できましたが、昨年義経を一年間撮っただけのことはあって、天才剣士役をそつなく演じていたと思います。一昔前の時代劇スターと比較すれば見劣りはするでしょうが、現在「若き」という冠がつけばタッキー以上の役者を見つけるのは簡単ではないと思います。絵的には時代劇というよりはロード・オブ・ザ・リングを意識したものじゃないかというのと、中国風の旗指物(合戦シーンは中国ロケだそうですが)が散見されたのが少々ひっかかりました。
この南総里見八犬伝の設定が室町時代後期から戦国時代初期の房総地方ですが、実在の人物が登場しています。扇谷定正と足利成氏です。扇谷定正(1443~1494)といえば関東管領として八犬伝の敵役の代表格ですが、正式には(昔読んだ原作もそうなっていましたが)上杉定正、上杉氏は足利尊氏の親族を祖とする一族で、有名な上杉謙信は、長尾氏の出ですが上杉家の養子となることで上杉の姓ともはや実権の伴わない関東管領の職を得ました。定正は、上杉家の分家筋で扇谷に居住していたことから扇谷を名乗っていました。
関東管領は、関東を統治する足利一族から任命される鎌倉公方を補佐する役職で、足利氏の重臣クラスから任命されていましたが、後に上杉家が独占的に任命されるようになったそうです。上杉家では主に山内上杉家から関東管領が出ており、扇谷家の上杉定正は史実では関東管領に任命されていないようです。ともあれ家臣である太田道灌(江戸城を築城した人物として有名です)の活躍もあり、扇谷上杉家はこの時期隆盛を誇ったそうです。ところが同じ分家筋として対立する山内上杉家の顕定への対応を巡って定正と道灌は対立し、顕定に内通しているのではないかと疑った定正は道灌を暗殺(一説には道灌を恐れた顕定にそそのかされて)し、片腕を自らの手にかけて失った定正は次第に衰退していったそうです。
足利成氏(1438~1497)は古河公方と呼ばれています、成氏は元々鎌倉公方でしたが、山内上杉氏の憲忠と対立し、そのため1454年から始まった享徳の乱の結果鎌倉を失い、その後下総古河を本拠地としたため古河公方と呼ばれたそうです。この経緯からすると足利成氏は里見八犬伝で里見家を打つべく手を組んだように、山内家と対立する扇谷家の上杉定正と手を組んでよさそうです。実際当初両上杉家が当初対立した際に成氏は定正に加担しましたがその後山内上杉家の顕定を支援し、定正とは敵味方になったようです。その後も幕府より派遣された堀越公方足利政知や上杉氏と抗争を続けましたが、やがて和睦します。古河公方はその後も引き継がれますが室町末期には関東管領同様名目上のものでしかなくなったそうです。
また里見家の殿様の里見義実も資料が乏しくその信憑性が疑問視されているものの実在説があり、上杉家と対立する鎌倉公方により安房に派遣されたという説が有力だそうです。
物語は勧善懲悪で単純ですが実際の歴史はかなり複雑そうです。
こちらも2日間連続で見ました。
歴史物のドラマも本当おもしろいですね。
勉強にもなりますしね。
年末年始には時代劇をどこの局もやりますが、テレビ東京系の1日中やってるやつはさすがにテレビの前に座っている訳にはいきませんのでまともにみたことはありません。
年末年始の時代劇では、里見浩太郎や松方弘樹が一時期常連でしたが、印象に残っているのが柴田恭兵の豊臣秀吉です。