(重めの日記なので,読みたくない人はスルーしてください.)
先週,義祖母が逝った….いつ逝ったか不明.どんな最後だったかも不明.誰にも看取られることなく,病院側もよく知らず,連絡も無く,ふと見舞いに立ち寄った孫(義姉)が第一発見者となった.身内が沢山いるにもかかわらず,まるで,孤独死のような死に方だった.
私にとって,身近な人が身近で亡くなるのは初めてのことなので,今回は「人生」についていろいろと考えさせられた.
90歳手前の義祖母の様態が11月中旬から悪化し、それ以来身内で壮絶なバトルが繰り返された.それまでヘルパーを雇っていたが,あまりにも気難しいお祖母さんなので…と断られた.その後介護の擦り付け合い,が切欠となり,これまでの不満や苛立ちなどが親戚同士で一気にぶつかり合っている….
実息子2人,実娘2人,嫁2人がいるにも関わらず,皆なんだかんだと理由を付けて義祖母のもとから逃げていった.大事な事を話し合うこともせず,「長男がするだろうから」「長男の嫁がすればいいんだから」「実娘のほうが適任だ」「遺産を全て貰うことになっている次男とその嫁が当然するべきだ」「家の近い者に任せとけばいい」などなど、皆それぞれが身勝手に責任転嫁し続け,挙句の果てに,孫嫁の私が子供達を連れて見舞いに行くと,「見舞いに来ただけで食事の介助や洗濯もせず,もう帰るのか?!見に来ただけなのか?!」と義叔母に言われたほどだった.
それでも普段そんなことを言う義叔母じゃなかったので,終わりの見えない介護に疲れてるからそういうことを言うんだろう…と,それほど気にもしていなかった.孫にあたる義姉に向かって義叔母が,「介護もしないんだったら,来てもらっても迷惑だから,二度と見舞いに来るな!」とクリスマスイブの日に怒鳴り散らしたそうで,義姉は相当凹んでいた.
11人いる孫達の中で,見舞いに行ったのは旦那とその姉弟のみ.孫の顔と名前が一致しなくなっているというのに,私の顔を見るなり,「ユウコか?ユウコか?」と起き上がってくれた.
汚い場所だからと小さい子供を病院へ行かせることを嫌うアメリカ&中国だが,親戚の反感を買いながらも私はあえて自分の子供たちを病院へ連れて行った.人生の綺麗なとこ,楽しいとこだけ見せるのではなくて,
こういうダークな部分も息子には見せてもいいと思った.本当の「病院」「病人」がどういうものなのか,君には「グレイトグランマ」がいるのだよということなど,分からなくてもいいから,感じて欲しかった.なので,最後に会った曾孫はデヴィとリディアである.10人いる他の曾孫は誰も病院に訪れていない.
本音を言うと,義母には少しがっかりした.なんだかんだ言っても,人の生死に関わるときは親身になるのがいいところだと思っていた.きっと嫌々でも長男の嫁として,立派に任務を果たすのだろう,私も義母の姿を見て,真似しなくてはいけないんだろうな…と思っていた.けれど,本当に「したくない!」の一点張りで,週の半分を息子(義弟)の家に泊まり,残り週の半分を娘(義姉)の家に泊まり,逃げ続けて終わった.
義祖母の生前,毎年毎年あんなに盛大に母の日や誕生日パーティーをしていたのに,あれは一体,何の騒ぎだったんだろう?と思う….
今はお通夜と葬儀,埋葬の予定で,実娘VS実息子で見苦しいバトルになっている….これも,義祖母の生前から「介護や葬儀」について,縁起が悪いだなんだと言わずにしっかり話し合っておかなかったからだ.なんと,各々が別日に葬式を計画しているという,前代未聞の流れ.「中国の仏式葬儀は日本のものほど決まりが無い」と言われるが,中国系アメリカ人の仏式葬儀は,日本のものよりももっと決まりが多く,クリスチャンの家庭で育った私には全く検討も付かない.
お通夜と葬儀は真っ黒の服だけど,何日目かは真っ赤じゃないといけないらしい(たぶん忌明けかな).髪の毛も暫く切ってはいけないので,実は予約をしていたヘアサロンは,逆らわずキャンセルした.四十九日も何かするし,101日目も何かするし,ややこしい.
「縁起が悪い場所」なので,子供はお通夜も葬式も参加させてはいけないとキツく言われたが,私は子供達を連れて行くつもりで準備している.唸り声のようなお経が暗闇の中で響き,線香の煙で燻されるようになり,地獄の使者が迎えに来るようなのだそうだ.「死」に対する考え方が,私のとは全く異なるけど,でもまあ,興味深い.
「葬式は死者のためにするのではなく,残された人のためにするのだ」と知人が言っていたと思ったら,高視聴率だった某ドラマでも同じようなセリフを言っていたが,やっぱり私にとっては,死者を送り出す式でしかない.
義祖母がなくなった夜.私は泣きながら沢山話し掛けた.気持ちが伝わっていると信じてる….
お義祖母さん,
身体の痛みを堪えながら一人で逝くときは寂しかったでしょうね.
そばに居てあげられなくてごめんね.
知ってる?
お義祖母さんが倒れてから大騒動なんだよ.
やっぱりお義祖母さんの力で,一族が纏まっていたんだね.
みんなはお義祖母さんのこと,なんだかんだ言ってるけどね,
私にはとっても優しかった.
結婚が決まって挨拶に行ったときからいつも可愛がってくれて,
私が義母や義姉と揉めているときも,いつも私側にいてくれた人だった.
だからとっても感謝しているんだよ.
激動の世界を生きてきて,大変な人生だったでしょうね.
中国での校長先生婦人だったときの話,ロサンゼルス暮らしの話,
フィラデルフィアで事業を始めたときの話,
40年前のマンハッタンの様子など,
昔のアルバムを出して聞かせてくれたこと,今でも忘れない.
言葉が通じれば…,もっと話ができれば…,と何度思ったことか.
お義祖母さんの存在,あなたの築いてきた道,
ちゃんと子供達に伝え,繋げていきますからね.
ありがとう.そして,お疲れ様でした.
どうぞ安らかに眠ってください.
お通夜でまたお会いしましょう.
子供達が騒ぐかもしれないけれど,
お義祖母さん,そういうの全く気にしなかったからいいでしょ?
もう親戚中から反感買ってるけどね….
私はこれまでどおり,私のやり方で私の気持ちを示します.
周りのいざこざには流されない.
買ったばかりのお洒落な黒い服で,子連れで集まることを好むと思ったからね,
旦那も子供達も皆,黒い服,買い揃えましたよぉ(笑).
しっかり見てね.
ではまた後で.